樫杖の蛇(14) 前半イリム・後半グジム視点
暗闇の中、ようやく山を降りて幹線道路に入ろうというところで敵の銃撃を受けた。
もっとも、1000m以上離れた場所からの遠隔射撃だったみたいで、弾はてんでばらばらに散ってる。きっと、きちんと兵員を配置する前に僕たちと出くわしたんだろう。
いったん銃撃が落ち着いたところで幹線道路に戻った。
逃げ切れそうだと思ったその矢先……
ズン……
お腹の底に響く音。続いて何かが大気を切り裂く鋭い音。
「なんでしょう? 狙撃にしては音が違う」
「ああ、これはおそらく……」
おじさんが言いかけたところでいきなり周囲が明るくなり、雪原に黒々とした車の影が落ちる。
バックミラー越しに覗くと、ゆらゆらと揺れながら舞い降りるまばゆい輝き。
「くそ……っ! 照明弾か」
「夜間の作戦だ、持って来ないわけがないな。今まで使って来なかったのは、追跡に気付かせないためだろう」
その割にヘッドライトをつけていたんだから、ちょっと抜けてるとは思うけど。
「来るぞ! 避けろ!!」
急ハンドルでまた荒地に。前の二台も同様に雪原に飛び込んだ。
同時に風を切る鋭い音。道路の上にまた焔の華が散る。
「狙いが正確になってるな。
ハンドルを細かく操作して左右に蛇行しながら窪地をたどる。極力狙いを絞らせないようにしながら、被弾面積を減らすためだ。
次々と襲い来る風切音。
また周囲で焔が弾けるが、着弾点がバラバラだ。
やっぱり
数秒間射撃が止む。
嫌な予感がして大きくハンドルを切ると、今度は前を行く救急車のすぐ近くに着弾した。
雪原に飛び散るオレンジ色の焔。
『これ以上スピードは上げられません! 脳幹が傷ついている重症患者がいるんです!』
無線から聞こえてくる悲鳴のような声。救急車に乗り込んでいる
「くそっ! あと2km……いや、1.5km先まで進めば友軍の検問所なんだが……」
荒地を進むなら、このままスピードを出しても時速30kmが限界だ。
それに、重症者がいるなら、こんな荒地を走って車体が揺れることだって避けたいはず。
「あと3分……3分だけ逃げきれれば……」
絞り出すようなおじさんの声。この人がこんなに焦った声を出すなんて……
いま僕たちが直面しているのは、そのくらい危険な局面なんだ。
そんな事態に僕たちが居合わせているのは、紛れもなく神様の思し召し。
照明弾に照らされてくっきりと見えているのは敵の姿だって同じはず……
だったら、僕のなすべきことはただ一つ。
――狙撃で敵を食い止める。
全部やっつける必要はない。
救急車が仲間の勢力圏に逃げ込むまでの3分間。その「たった3分」だけ、時間を稼げれば、それだけでいい。
――たとえ、僕が生き残れなかったとしても。
そう思い至ったら自然に身体が動いた。
座席下にあった愛用の
何も言わなくても大丈夫、あの二人なら必ず分かってくれる。
だって僕が降りてもおんぼろトラックは止まることもふらつくこともなく、真っすぐアルファーダに向かっていく。
これでいい。
奴らは、ここで僕が食い止める。
僕は大地に伏せて銃を構えると、はるか彼方の車両に向かって引き金を引いた。
※ ※ ※ ※
がちゃり
だしぬけに運転席のドアが開くと、
照明弾の強い光にくっきりと浮かぶシルエット。
ぱたん
何とも軽い音を立てて運転席の扉が閉まる。
俺も愛用の銃をつかんだまま、すかさず助手席の窓から飛び降り……ようとして、力強い手に足首をつかまれた。
いつの間にか運転席に移動したハキム師だ。
「駄目だ。君は残れ」
「しかしっ!」
振りほどこうとしても彼の手は万力のように強く、俺が渾身の力をこめてもぴくりともしない。そのくせ車体をブレることなくしっかりと走らせ続けているのだからただ者ではない。
この人の凄さを改めて目の当たりにして、思わずぞくりと身震いした。
「自分の任務を思い出せ。今は1秒でも早く救急車を無事にアルファーダに送り届けるのが先だ」
俺にとって何より大切な任務は
この国に来るずっと前から、俺が俺自身に課してきた大切な任務。
それは、隊長もハキム師もわかってくれていたはずなのに。
「彼のサポートが俺の任務です。彼を守って救急車が安全圏にたどり着けるだけの時間を稼ぎます」
「君まで行ってしまったら、他の敵が現れた時にどう対処するんだ? 彼がなぜ黙って一人で残ったのか考えろ」
「しかし……っ!」
「ここで立ち止まって負傷者にもしものことがあれば、彼の奮闘が無駄になる。君は彼を犬死させる気か?」
俺を真っすぐに見据えるハキム師の眼光が強い。決して睨みつけられている訳ではないのに、琥珀色の瞳から立ち上る黄金の炎に焼きつくされそうだ。
野生の狼と相対しているようなプレッシャー。やはりこの人にはかなわない。
すっかり気を飲まれた俺は、無駄な抵抗をやめた。
「……わかりました」
俺が諦めたと見て取るや、ハキム師の手が俺を解放する。
獣のように鋭かった瞳がふっと緩むと、とたんにいつも通りのいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「よし、いい子だ。さあ、一秒でも早く救急車を送り届けて、私たちも彼の増援に向かうぞ」
「……っ! はい!!」
俺も銃を持ち直して窓から身を乗り出し、周囲の警戒に戻る。
――待ってろ、イリム。すぐに戻ってくるから……それまでは、絶対に生きていてくれ。
後方の雪原でチラチラと瞬く発砲炎に、俺は心の中で語り掛けた。
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