樫杖の蛇(11)

 インクをぶちまけたような闇の中を先行車のテールランプを追いかけていく。

 雪がヘッドライトを白く反射するが、かえって道の左右の木立が作り出す闇を濃くするだけだ。決して視界が明るく開けるわけじゃない。


 ここは山肌にへばりつくようにして連なる狭い狭い山道だ。

 左手には険しい斜面、右手は切り立った崖のふち。どちらに逸れても無事では済まないはず。

 ところどころに残るえぐれた地面は、砲弾の爆発によるものだ。少しでも油断をすると、至る所に残る戦争の爪痕に足元をすくわれる。

 うっかり穴にはまって転がり落ちないよう、うまくかわしながら通らなくっちゃ。

 本音を言えばもっとスピードを出したいけど、事故を起こしたら元も子もない。山道を抜けるまでは時速15㎞がせいぜいだ。

 できるだけ急いで……でも、できるだけ慎重に。闇の中、車を走らせる。


「この先、左手の斜面に倒木。道を塞いではいないがいつ転がって来るかわからない。気を付けて通れよ」


 助手席の窓から身を乗り出して周囲を警戒している相棒グジムが、点在する障害物を知らせてくれる。

 どのくらい走っただろうか。

 ふいにおじさんの持っている無線機から先行した斥候からの連絡が入った。


フクロウの耳より本部へ。カディン到着。夜明けの虎カプラン・ブリッジの皆さんがお待ちかねですぜ』


「本部より梟の耳へ。どういうことだ? 鷹から話はついているはずだろう?」


『ええ、通るのは構わないそうです。ただ、事情を説明しろと』

       

「それも鷹から聞いていないのか?」


『えっとそれが……』


『ええぃ、まどろっこしい。オレに代われ』


 いきなり斥候さんの声が途切れたかと思うと、代わって聞こえたのは少し苛々したような年配の男性の声。


『おぅ、”高山の王者”だな? 直接話すのは初めまして、か?』


「そう呼ばれることもあるが……はて、名乗ってもらえなければ、初めましてかどうかはわかりかねるな」


『噂にたがわず、人を食った奴だ。まぁいい、俺は”夜明けの虎カプラン・ブリッジ”のハイダルだ』


 何だか粗野な印象の中年男性の声。

 少しせかせかした話し方で、いつもクールな隊長や、飄々としているハキムおじさんにくらべると、どこか余裕がない感じがする。


「ご丁寧にどうも。”森林狼ティルティス旅団”のハキムだ。”赤い鷹シュチパリア・クラン”のカーディムから話は通っているはずだが」


『……話が通っているというより、勝手に通されたんだよ、あのクソジジイに! 余計なお客さんを連れて来られちゃ困るから俺ちゃ関与しないと言ったはずなのに、気がついたらあんたらが通過するのを黙認すると誓わされてた』


 かなりイライラした声。

 この調子だと、何だかよくわからないうちにうちの隊長父さんに言いくるめられちゃったんだろうな。

 きっと、それが悔しくて、ハキムおじさんに八つ当たりしてるんだ。


「ああ、うかつに口を挟むと、完全に彼のペースに飲み込まれるからな。我に返った時にはいいように丸め込まれている」


『ふん、あんたもやられたクチかい? まぁ、黙ってたって勝手に要求飲んだって事にされるんだろ? まったく、たまったもんじゃねぇよ』


「やれやれ、災難だったようだな。同情するよ」


 ハキムおじさんが遠い目をして困ったように笑っている。この調子だと、おじさんも隊長にしてやられたことがあるんだろうか?

 いつも悠然としているおじさんが丸め込まれて困っているところなんて、とても想像がつかないんだけど。


『まったくだ。で、何があったんだ? あいつがわざわざ自分で動き回るなんて珍しいだろ?』


「こちらの事情は簡単だ。うちの陣地の近くの村が昼間リリャール軍の砲撃に遭ったので、負傷した民間人をアルファーダの病院に運びたい」


『本当にそれだけかよ? あの秘密主義の”鷹”が自らお出ましになったって言うのに、なんともシケた話じゃねぇか。負傷者に大物がいるとか、別のルートを通れない理由があるとか、何かないのか?』


「疑うなら、自分で”鷹”に確かめてみればいい。それ以上のことは私も知らない」


 淡々と答えるおじさんは、噛みつくようなハイダルさんの言葉を軽く受け流した。

 どうやら余計な情報を与えないことにしたようだ。

 一方的に言いたいことだけわめく様子を見て、信用するには値しないと判断したんだろう。


『それができたら、最初からアンタにゃ訊いてねぇよ。誰があのジジイから情報を引っ張り出せるって言うんだ?』


「あの”峡谷の鷹”の考えることなど、我々凡人にわかるわけがないだろう? 彼ならどこで何を聞きつけていたって不思議じゃないんだ。私に聞かないでくれ」


『……ちっ、手の内はあかせねえってか?まあいい、報酬はもらっちまったからな。俺らはあんたらが通ったことには気が付かなかった、ただそれだけだ。協力はしねぇかんな』


 忌々しそうなハイダルさんの声。

 それでも、ちゃんと対価は隊長から受け取っているようで、今回の件が遺恨になるという心配はしなくて済みそう。

 この辺りも交渉力に長けた隊長ならではの手腕だね。


「ああ、感謝する」


『じゃあな。神のご加護がありますように』


「ああ、君たちにもね」


 ハイダルさんも言いたいことを言って満足したみたい。

 ハキムおじさんの挨拶と共にぷつりと無線が切れた。

 しばしの沈黙。


「……ものすごく、どうでも良いことなんだが……」


 ややあってから口を開いたおじさんの声は、いつもより少しだけ疲れているような感じがする。気のせいか、ちょっと遠い目をしているかも。


「どうしました?」


「”虎”の方が”鷹”よりも5歳ほど年上のはずなんだが。年下をジジイ呼ばわりというのは、どうなんだろう……?」


「え、ええっと……何か誤解があるのかもしれませんね。うちの隊長に丸め込まれて、だいぶ頭に血が上っておられたようですし」


 相槌をうつ相棒の声も戸惑いがちだ。

 そもそも、そういう問題じゃないとも思うんだけど、いちいち気にしてる余裕もないよね。


「今まで作戦で組むことがなくて幸いだったな」


「……まぁ、今後もないことを祈りましょう」


 それにしても、さっきの人は隊長よりも5歳も年上なんだね。それじゃ、ハキムおじさんよりは10歳くらい年上のはずなんだけど……

 話してる時の印象はおじさんの方がずっと貫禄がある。もちろん、うちの隊長もね!


 やっぱり、戦士としての風格というか存在感というものは、単純な年齢や実戦経験の長さで決まるものじゃないんだなぁ。

 僕もいつかは、隊長やおじさんみたいな一人前の戦士になりたいんだけど。


 まずは、目の前にある任務を確実にやり遂げなくっちゃ。

 僕は改めてしっかりとハンドルを握り直し、前方の闇を凝視した。

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