樫杖の蛇(10)

 俺たち三人を乗せたおんぼろトラックは、先行する二台のテールランプを追って、狭い山道をひた走る。

 周囲を警戒しつつも、相棒とハキム師の会話はまだ止まらない。


「リリャールを正義の味方だと信じたい人たちは、リリャールに都合の悪い情報は、全てデマだと信じている。近隣の軍事力の低い国に対して侵略戦争を引き起こしていること、兵士たちが国際法違反を繰り返していること、紛争地に介入して兵器の実験を繰り返していること……全て、彼らにとっては存在しない。いや、存在してはいけないことなんだ」


「いくら否定したって、現実は変わらないでしょ? 犠牲者も遺族も、間違いなく存在するのに……」


「それでも、我が身に降りかからない限りは見えないんだ、ああいう人たちには。それどころか、紛争そのものの存在すら、デマだと主張している」


「どうしてそんなデタラメなことを?」


「自分の現状に不満があるとね、人は誰かのせいにしたくなるものなんだ」


「どういうこと?」


 口を動かしながらも、相棒の視線はしっかりと前を見据えたままだ。細かくハンドルを操作しながら、地面に開いた穴や飛び散った瓦礫を器用に避けて行く。

 俺も窓から半身を乗り出して周囲を警戒するが、幸いなことに斜面の上で動くものはないようだ。

 空には丸く輝く白い月。今のところヘリやドローンは影も形も見当たらない。


「リリャールの仮想敵国ライバルともいえるヴェスパは、金にモノを言わせて世界中の政治と経済を牛耳っているだろう?」


「それは、まあ……その通りだけど」


 ”民主主義”と”自由競争”の名のもとに、ヴェスパを後ろ盾にしている大企業が絶大な資本力にものを言わせて世界中の富や資源をかき集めていることは、誰だって知っている。

 その陰で搾取され、貧しい暮らしを余儀なくされている人たちは世界中にいる。


――我々はヴェスパの支配から世界を解放し、搾取されている人々を救うために戦っている。


 リリャール政府はそう主張し、ヴェスパと敵対している。


 一方、ヴェスパは自らを”自由と民主主義の守護者”と名乗っている。

 世界のどこかで何か大きな事件が起きるたびに、自分たちの価値観を絶対の正義とばかりに押し付けて、軍を送りつけては圧倒的な武力で彼らにとっての”悪役”をねじふせる。

 そして、”平和の監視”と称して紛争地に恩着せがましく居座って、ふんぞり返って大威張りしているのだ。


 それが、たとえ世界の裏側であっても、だ。

 もちろん利権をちゃっかり奪っていくのも忘れない。


 まだ大規模な虐殺をしないだけ、リリャールよりはわずかにマシだが……ヴェスパもリリャールもロクな国ではない。それが俺たちの見解だった。


「リリャールを支持する人々は、自分が不遇なのはみんなヴェスパの金持ちが引き起こす陰謀のせいだと思い込んでいる。ヴェスパさえいなければ、自分たちはもっと裕福で幸せに暮らせているはずだ。もっとたくさんの人に才能を認められて、称賛され異性からももてはやされていたはずだって」


 銃を構え、バックミラーを確認しながらハキム師が嘆息する。

 リリャールを支持する人々のほとんどは、リリャールの主張を全て知った上で賛同している訳ではない。単にヴェスパと対立していることだけが大切で、「リリャールが実際に何をしているか」には全く興味がないのだ。


「……もしヴェスパの陰謀論が本当だとしても、その人の才能が認められないのは全然別の話だよね。だいたい、本当に才能があるの? あと異性にもてるって、そんなに大事?」


 珍しく早口でハキム師に食って掛かる相棒。

 正論ではあるのだが、平穏な日々を送りつつも、自らの境遇に不平不満を溜めこんでいる「平和な国の普通の人々」の心理が全くわかっていない。


「うむ。俺たちから見ればそうなんだがな。だがなイリム、よく覚えておけ。信じたい人にとって、信じたい情報だけが真実なんだ。自分はもっと周囲に認められ、社会から優遇され、いい生活を送るのが正しい世界なのに、実際にはそうじゃない。それは、誰かが不当に自分の分を横取りしているからだ。だから、その横取りしてるやつ……つまり、自分の代わりにいい思いをたくさんしているヴェスパ資本主義の金持ちが何もかも悪いんだって」


「そんなのおかしいよ。ヴェスパが問題だらけだったり、一部の金持ちが富や権力を独占して身勝手に振舞ってるのと、その人の個人的な境遇は全然別の話でしょ? 別にヴェスパの富裕層に故郷や財産を奪われたわけでもないんだし、三段論法にすらなってないよ」


 穏やかに諭すハキム師も苦笑気味。

 小さな子に言い聞かせるような口調になっているが、頭に血が上ってる相棒は気付かないようだ。


「ところが、彼らはそうは思っていない。実に不思議だろう。そして、自分が享受すべき『いい思い』を横取りした悪い奴……すなわちヴェスパと対立しているリリャールは絶対的な正義の味方になるわけだ。彼らの頭の中ではな」


「わけがわからないよ。もしヴェスパが悪者だとしても、その人の不遇とは無関係だし、ましてヴェスパと対立してるリリャールが正義の味方ってことにもならないよね?」


 これだけ丁寧に説明されても、どこか納得が行かない様子の相棒イリム

 今までの人生で仲間以外の人間と接したことが極端に少ないせいか、自分の感覚が世間一般とズレているという自覚がないらしい。

 自分の知っている「正論」が誰に対しても通じると思ってしまっている。


 決して地頭が悪いわけではないのだが、視野が狭いのだ。

 純粋なのはいいが、凝り固まりすぎて大局が見えなくなっても困る。少し外部の人間と接触する機会を増やした方が良いかもしれない。


「うむ。悪い奴の敵が正義の味方だとは限らないよね。むしろ、悪人同士で対立していることの方が多い。この世は彼らが言うほど単純なものではないからね」


「やっぱり、そうだよね」


「でも、難しくものを考えたくない人は、世界がシンプルでわかりやすいと思いたいんだ」


「……つまり、自分がこうだ、と思いたい世界を守るために、それと矛盾のある事実はなかったことにしようとしてるってわけ?」


「うむ、そういうことだ」


 ようやく理解した様子にハキム師が満足気に頷くと、相棒イリムは呆れたように息を吐いた。


 実は陰謀論者に限らず、人は多かれ少なかれ「自分の信じたいもの」しか見えない傾向がある。

 だからこそ俺たちの行う「情報戦」にも意味があるわけで……いかに噂好きの人が好みそうな「真実」を、多くの人が受け入れやすい形で自然に見えるように拡散していくかがキモになる。

 もっとも、今その話をすると更に相棒が混乱しそうだ。いつか落ち着いている時にゆっくり話し合ってみよう。


「その通りだ。だから、そういう奴らが流すデマに消されないように、当事者たちの声を絶やさないようにしなければならないんだ」


「なるほど。そのためにも、今回の移送任務は絶対に成功させなきゃいけないんだね」


「その意気だ。しっかり頼むよ」


 ようやく納得したらしい相棒は、黙ってうなずくと前方の闇を睨み据えた。

 一度その気になれば、彼は驚異的な能力を発揮してくれる。

 この先に何が待ち受けていようとも、うまく切り抜けられるだろう。


 中天の月が白々と雪山を照らす中、3台の車は細い山道を走り続ける。

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