樫杖の蛇(7)

フクロウの耳より本部へ。シャクラ村通過、異常なし』


「本部よりフクロウの耳へ。了解。以降も警戒を怠るな。送れ」


 道にぶちまけられた薪を拾い集め、再度出発した後は順調だった。

 先行したバイクからも「異常なし」との報告が入る。


「今のところは順調だね。……順調すぎて不気味なくらいだ」


「やはり、仕掛けて来るならナフラ周辺で?」


 山の麓に位置するナフラの街は、住人の大半が政府の支持者だ。この辺りではかなり大きな街で、東側にこの国の西部を南北に貫く幹線道路が通っている。

 山から降りて病院のあるアルファーダに向かうためには、ナフラ市街を東西に貫く細い道を抜け、この幹線道路に出なければならない。

 しかし、山から続くこの道は細くて建物が多く、見通しが悪い上に、戦闘にたびたび巻き込まれたためにあちこちが傷んだまま、まともに整備がされていない。

 そのためろくにスピードも出せないので、待ち伏せするには絶好の場所なのだ。


「ああ……とは言え、他のルートも危険なことには変わりないからね」


「では、このまま行きますか……」


「そうだな……ん? 何だ?」


 言いかけたハキム師が胸元から携帯電話を取り出し、怪訝な表情を浮かべた。

 こんな時に着信……? いったい誰からだろう?


「ああ、私だ。……え? それで、大丈夫なのか?」


 ハキム師が軽く目を見開いて本当に驚いた表情になる。いつも快活な笑みを浮かべていて本心を伺わせない彼にしては珍しい。

 ほんの一瞬のぞいた怪訝けげんそうな表情は、彼の想定していない事態の存在を伝えていた。

 あの豪胆な”高山の王者ハキム師”が驚きをあらわにするとは、ただ事ではあるまい。


「……ああ……ああ。わかった。おたくの監視者グジムくんに代わるよ」


 いきなり電話を渡されて戸惑うが、今は時間がない。首をひねりながら受け取ると、ハキム師は無線を手に取った。

 先行する仲間に何事かを命じているようだ。


「お電話代わりました。サグルグジムです」


『俺だ。任務は順調か?』


「隊長!?」


 思いがけない声に周囲の音が遠のいた気がする。なぜこんなタイミングで?

 うちの隊長は部隊外部との直接的な接触はいつも最小限に留めている。

 俺たち”赤い鷹シュチパリア・クラン”のメンバーに対してすら、他の部隊との作戦中に連絡を取ってくることは滅多にないくらいだ。

 つまり、これは彼がその原則を曲げてまで直接連絡を取らざるを得ないほどの緊急事態。

 緊張に、思わずごくりと唾を飲む。


『進路変更だ。奴らの陣地のすぐ近くを抜けるなど許可できん』


 単刀直入。そんな言葉がぴったりなほど、必要最小限の命令だけ。

 いくらなんでも、これでは何があったのかわからない。


「何かありましたか?」


 そのまま命令に従うべきかもしれないが、念のために理由を問い返す。

 今は俺一人の問題ではなく、多数の民間人の生命がかかっているし……

 何より彼が俺に求めている役割は、盲目的に従うだけの、使い捨て可能な駒ではない。

 尋ねれば、必ず答えてくれるはずだ。


「ナフラの町を通らないなら、峠を引き返して峡谷を抜けなければなりませんが、急な山道……しかも雪で凍結していて危険です。徐行していくにしても患者の負担が心配です。引き返すなら相応の理由が……」


『その先のシャクラ村から北に向かえ。ナフラで政府軍が待ち伏せているとの情報が入った』


 よほど急いでいるのだろう。俺の言葉を遮るように、再び要点だけを告げられる。


「え? しかし、そちらに行けばカディン村です。あそこに陣地を敷いている”夜明けの虎カプラン・ブリッジ”とはあくまでも『中立』の関係ですよね?」


 つまり、今は表立って敵対してはいないが、いつ敵に回ってもおかしくはない組織だ。むしろ、限りなく敵に近い隣人と言っても良い。

 彼らは民族的なイデオロギーは強いが宗教色は薄く、他民族や俺たち外国人を毛嫌いしているはずだ。

 同じ信仰を持つ仲間というよりは、政府の圧政とリリャール軍という、共通の敵がいるというだけの結びつき。

 できる限りは関わりを避け、どうしても必要な時だけ共闘する。それが”夜明けの虎カプラン・ブリッジ”と俺たちの組織の関係のはず。

 こんな深夜に断りもなく勢力圏を通り抜けて、問題にならないだろうか?

 ちょっとしたことで関係をこじらせて、政府あちら側に寝返られてはたまったものではないのだが……


『ああ、”夜明けの虎カプラン・ブリッジ”とは俺の方で話をつけてある。今日のところは安全に通れるはずだ』


 いつの間に。

 患者の移送が決まったのは早くても今日の夕方なのに。このわずかな時間に敵の襲撃計画をつきとめた上、安全な経路の確保までやってのけるとは。

 敬愛する隊長の卓越した情報収集能力と交渉手腕に改めて舌を巻くとともに、空恐ろしさすら感じてしまう。


 今の俺たちにとっては父親のような存在で、誰よりも心強い味方だが、万が一にも敵に回ったら、いつの間にか戦うことすらおぼつかない状況まで、じわじわと追い込まれてしまうだろう。それも、弾の一発も使わずに、俺たちが全く気付かぬ間に。

 彼はこと情報戦においては誰よりも老獪ろうかいで恐ろしい歴戦の猛者なのだ。


「了解。シャクラからカディン経由でアルファーダに向かいます」


『ああ、気をつけてな。今度の任務は何よりもまず人命優先だ。ハキムに代わってくれ』


「了解」


 ハキム師に電話を返すと、少しだけ言葉を交わしたのちにすぐ電話を切った。


「この先、進路を変更してカディン経由で山道からアルファーダに抜けます」


「ああ、聞いている。”|守護者イリム”君、安全運転で頼んだよ」


「了解! 任せてください」


 ヘッドライトに浮かび上がるのは、分岐点を示す道路標識。

 ナフラに向かうならここで右の太い道を曲がって山を下り、舗装された幹線道路に合流する。

 しかし、相棒はハンドルを切ることなく、山肌にへばりつくように続く真っ暗な細道……カディンに向かう林道を真っすぐに突き進んだ。


 このまま何も起こらないということはあり得ない。

 俺たちが迂回したことに気付いた政府軍が、平地から先回りして新たな罠を仕掛けてくるだろう。

 それをいかに事前に察知して危険を回避するか。


 アルファーダへの道は、まだ遠い。


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