【閑話】樹洞(じゅとう)の蝙蝠(2)

 遠ざかるテールランプが樹々の向こうに完全に見えなくなってから、建物の影に隠していた愛銃を取り出した。いつも通りに背負いなおすとようやく人心地着く。

 やはりこいつがないと落ち着かない。


「ふふ。やはり間近に見る鷹はなかなかのものだな」


 狙撃手スナイパー君の一生懸命に俺を気遣ってくれた姿を思い返すと、ついつい頬が緩んでしまう。一番星が輝く宵闇の空のように澄んだ紫紺の瞳。俺が敵とも知らずに健気なことだ。

 ああ。あの可愛らしい顔のど真ん中に一発うち込んでやったら、どんなに気分が良いことだろうか。


「どうやら観測手スポッター君は俺をだいぶいぶかしんでいたようだが」


 時おり薪を拾う手を止めて、相棒に話しかける俺の事を値踏みするように見据えていた。あの射貫くような視線ときたら……


「もっとも、昼間さんざん追い回してやったのが俺だとは気づいていないあたり……やはり鷹は鷹でも、まだ雛鳥だな」


 くっくっと、愉悦に満ちた笑いがうっかり漏れそうになって慌てて周囲に目を走らせる。良かった、誰も見ていない。

 緩みかけた気分を切り替えるために深く息を吸うと、ぴりりと澄んだ夜気やきが肺をいっぱいに満たしていく。凍てつきそうな空気が肺と共に頭も冷やして、思考がすっきりとクリアになってきた。

 いかん、仕事中に俺はいったい何を考えているんだ。


「さて、と。こちらの仕事も済ませてしまわなければな」


 道端に置かれた空の水甕みずがめの中から通信機を取り出して納屋に入る。

 この村の住人の四分の一近くが戦火を嫌って避難している。春や夏、晩秋の農繁期には戻って来るが、真冬の厳しい時期は隣国のフェタブリドなどの親戚の元に身を寄せているのだ。

 だから、村のところどころに空き家がある。俺は村人が出歩かなくなる日没後に、この家の住人を装って小道具を持ち込んだのだ。


「ああ、ハゲタカより本部。《狼は森から出た》繰り返す《狼は森から出た》」


『本部よりハゲタカへ。詳細を送れ』


 要点だけ送ると食い気味の返答があった。どうやら待ちかねていたらしい。


「トラックが二台と救急車だ。救急車には負傷者が乗っているらしい。アルファーダに患者を移送するそうだ。ナフラ方面に向かって斜面を降りて行った。送れ」


『なるほどな』


「護衛とおぼしきトラックには『高山の王者』も乗っていた。偵察にバイクが二台先行している」


『ほう……そう言えば、ナフラには奴らの犬がもぐり込んでいたな』


 通話機ごしにも上機嫌とわかるいやらしい声。ろくでもないことを考えているに違いない。


「どうした? 嬉しそうだな?」


『いや、うっとうしい犬といけ好かないティルティス人をまとめて始末できそうだな、と』


「ほう」


『ああ。簡易爆弾IEDを使うんだ。奴らの自爆攻撃に見せかけて、街ごと破壊する』


 こいつ……奴らを始末するために、街を爆破するつもりか。


「……そりゃぁ、随分と派手な話だな」


『ふふ、あの『高山の王者』を始末できるんだ。派手にもなろうというものだ』


「そういうものか」


 どうやらあの反逆者どものカリスマ、「高山の王者」を葬り去る千載一遇のチャンスとあって、すっかり浮かれているようだ。


『当然だろう。上手くすればあの気障野郎を葬り去れるし、万が一生き延びられたとしても、自爆攻撃で街を破壊し、罪もない市民を虐殺した極悪人扱いだ。奴の人気はがた落ちだろうよ。奴の部隊もな』


「……なるほどな」


 随分と陳腐な手だが、たしかに有効だろう。「高山の王者」の強烈なカリスマは、ティルティス人のみならず、この国の人々の間でも根強い人気を産んでいる。

 森林狼ティルティス旅団の尋常ではない強さは、彼らの人気に負うところも大きいのだ。装備や食料、様々な支援が全国の……いや、世界中の支持者から届いている。


 彼らの名誉を失墜させて人望を損なえば、徐々に活動の基盤を失って弱体化がはかれるだろう。いや、それ以前に「高山の王者」自身を葬り去れれば、あの森の鬼神どもと言うべき森林狼ティルティス旅団も求心力を失って空中分解するかもしれない。


 そのためには、何の罪もない民間人を……しかも、自分達の支持者を多数殺しても構わない。そういう思考なのだ。

 自分が得られる目先の利益しか考えず、そのためには誰をどれほど踏みにじっても頓着とんちゃくしない。

 ごく普通の街の住人など、自分達と同じ「人間」だとは思っていないのだろう。そうやって何も知らないまま一方的に消された人々は、いったいどれほどの数になるだろう。


 一方的な暴力に襲われ、焼かれて破壊された故郷の村の光景がまぶたに浮かぶ。

 壊れた人形のように転がる遺体の数々。そう、俺の大切な……


 脳裏に浮かんだ古い感傷を、慌てて頭を振って脳裏のうりから追い出した。

 今はそんなものに浸っている場合ではない。報酬分の仕事だけはしなければ。


「最初のトラックに護衛が8人、次の救急車には怪我人と市民防衛隊ホワイトアーミー、最後のやつに狙撃兵が二人と『高山の王者』だ」


「狙撃兵? もしかして……」


「ああ、昼に迫撃砲部隊をやってくれたやつらだ」


「……ほう。そいつらも一緒にやれるとはありがたい。やはり街を爆破で決まりだな」


 舌なめずりでもしそうなねばついた声。下卑た笑みが目に見えるようだ。


「そりゃまた派手な花火だな。まぁ、お手並み拝見とするよ」


 あれは俺の獲物だ、お前らごときにはくれてやらん……喉元まで出かかった言葉を何とかして押し殺し、軽口をたたくと通信を切る。

 さて、依頼は果たした。ここからはどう動くか。


 あお瑠璃あお、二対の澄んだ美しい瞳。あれを無粋な爆弾でただ吹き飛ばすのはつまらない。やはりこの手で追い詰めて仕留めてやらなければ。

 無関係な市民を多数巻き込むようなやり方も面白くない。まったくもって美しくない。


「となると、やることは一つだな」


 方針が決まった俺は、とあるものを取り出した。


「さて、親鳥くんはどう動くかな?」

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