樫杖の蛇(6)

 通り過ぎる村々は、ぽつりぽつりと灯がともり、窓に映る影がくるくると動き回っている。きっと家の中でせわしなく働いているんだろう。

 あたりに漂う夕飯の良い香り。つつましくも平和なささやかな幸せがそこここに満ちている。


 この穏やかな時間を守らなければ。

 そのために、はるばる故郷を離れてこの国にやってきたんだから。それが、神様が僕たちに与えてくれた使命なんだから。


 村を三つ、四つと通り過ぎ、はるか眼下にふもとの街の灯りが見下ろせるようになった頃。前の車が急に止まったかと思うと、道の真ん中で何かを拾い集めているおじさんがいた。おじさんというより、おじいさんかな?

 隊長父さんよりはだいぶ年上で、髪に白いものが混じり始めている。

 このままでは通れないので、先頭車両の指揮官が車を降りて声をかけた。


「どうしたんだ?」


「燃料が高くて買えないから山で薪を拾ってきたんだが……さっき転んで落としてしまって」


 ヘッドライトに照らされた地面には、大量の薪が落ちている。このままではここを通ることはできない。もちろん、こんな山の中では迂回する道もない。


「おい、これでは通れないぞ」


「先を急ぐのに」


 いけない。森林狼ティルティス旅団の人たちもイライラしてる。

 さっき斥候のフクロウさんたちが通った時は何も言ってなかったから、その後でこの人がここで転んでしまったんだろう。

 この量を拾うのは大変だっただろうに……

 今年の冬はひときわ寒いのに、燃料の高騰こうとうで電気代が去年の倍以上に値上がりしてしまった。だから、どこの家でもこうやって山で薪を拾って暖を取るしかないんだ。それもこれも、長引く戦争のせい。


「お手伝いしますよ。お怪我はありませんか?」


 車を降りて声をかけると、おじいさんはびっくりしたように少し目を見開いた。


「いいのかい? 急ぐんだろう?」


「もちろんです。困った時はお互い様でしょう?」


「ああ、なんて優しい子なんだ。神の祝福があなたにありますように」


 嬉しそうによたよたと歩み寄ってきて、僕の両手を握って来た。脚が悪いのかな? ちょっと子供扱いされた気がするけど、今は気にしている場合じゃない。


「いいんですよ。それに、ここを片付けないと僕たちも通れないし」


「あ……すまない。道をふさいでしまったね。まさか、こんな時間に車が通るなんて思っていなかったから」


 それはそうだよね。これからの時間、山はどんどん暗くなる。狭くて曲がりくねった山道はただでさえ危険なのに、今は雪が積もってカチカチに凍っている。

 そんな道を真っ暗闇の中で通りたがるもの好きなんてまずいない。


「怪我人がいるんです。早くアルファーダに運んで手術しないといけなくて」


 いつの間にか車から降りてきた相棒が、手早く薪を拾い集めながら事情を説明した。


「なんだって!? それは大変じゃないか」


 びっくりしたおじいさんが薪を取り落としそうになるのを慌てて受け止める。さっきから足元もふらふらしていて、どうにも危なっかしい人だ。


「大丈夫ですか? どこか痛むとか?」


「本当に、なんて優しい子なんだ。さっき足をひねってしまったんだよ」


「それは大変だ。無理をしないで休んでいてください。片付けは僕たちがしますから」


 おじいさんを支えて道の端の切り株に座らせると、他の車両から出てきた森林狼ティルティス旅団の人たちにも手伝ってもらって薪を全部片づけた。


「まったく……この非常時になんてことだ」


「一刻も早くアルファーダに行きたいのに」


 車で待機している市民防衛隊ホワイトアーミーや片づけを手伝ってくれている森林狼ティルティス旅団のメンバーがぼやいてる。

 たしかに焦る気持ちはわかるんだけど、おじいさんの表情が目に見えて暗くなってしまった。


「気にしないでください。すぐ済みますから」


「あ、ああ。ありがとう、君は本当に優しい子だね」


 声をかけるとぎゅっと手を握ってお礼を言われた。振り払う訳にもいかないし、どうしよう。困っていると、相棒が拾った薪を渡してきたので、受け取りながら手を離すことができた。


 さすがに大勢でいっせいに拾ったので、薪を全部拾って道路が綺麗になるまでに10分とかからなかったと思う。まだ道に落ちているものがないかを確認して、またバラけてしまうことがないよう、しっかり紐で縛ってから家の壁際に積み上げる。


「ああ、ありがとう。神様のご加護がみなさんにありますように」


「ごめんなさい。家まで送ってさしあげられればいいんですけど……」


「すみません。先を急ぎますので」


「そんな、とんでもない。こうして薪を拾ってくれただけでもありがたいんだ、とてもそこまでしてもらえないよ」


 相棒と二人で言うと、おじいさんは照れた様に笑って手を振った。


「そうだ、ソリを置いていきますので使ってください。これで少しは楽でしょう?」


「ありがとう、君は本当に優しい子だね。そんな銃を担いで歩くなんてとても似合わない」


 う~ん……これって戦士らしくないって言われてるのかな? なんか子供扱いされてるみたいだし。


「僕はこれでも一人前の戦士です。この狙撃銃だってこの国に来てから三年以上ずっと一緒に戦ってきた大事な仲間。似合わないなんて言わないでください」


「ごめんよ、気に障ったなら許しておくれ。ただ、こんなに優しい子は戦場にふさわしくないと思っただけなんだ」


「僕はこの国の戒律派の人々が、安心して信仰を守って暮らせる場所を作るために戦っています。政府軍の横暴がやむまで、僕は戦場に在り続けます」


「そうか。でも、本当にそれでいいのかい? 君はシェミッシュ人ではないのだろう?」


 なんでこの人はこんなにしつこいんだろう? 何だかちょっと変な感じ。いろいろ根掘り葉掘り聞かれてる気がして、ちょっと落ち着かない。なぜかはわからないんだけど、背筋がぞわぞわして、油断のならない敵に見張られてる時みたい。


「たしかに僕は外国人ですが……」


 この国の人たちを守りたい気持ちはだれにも負けないつもりです。そう続けようとしたんだけど。


「君が人殺しをしたら、親御さんだって悲しむだろう。悪いことは言わない、その手を汚す前にさっさと故郷に帰るんだ」


 そう言われて一瞬言葉に詰まってしまった。


「……両親はいません。それに、僕の手が血で汚れているのは今に始まったことではありませんから」


 そう。故郷を離れる前から、僕の両手は他人の血に染まっている。今さら表面だけを取り繕ったところで、その事実は変わらない。つい唇を噛んでうつむいてしまう。


「俺も彼も、自分の信念に従って戦っている。両親は関係ありません」


 思わず黙ってしまっていたら、相棒がすっと割って入ってくれた。


「しかしだね……君たちがこの国で戦う必要はあるのかい? 故郷でやりたいことだってあるだろう?」


「政府が戒律派の弾圧をやめて、彼らが信仰を守りながら暮らせると保証してくれれば戦争は終わります。そうすれば俺たちも故郷に帰れる。それまでは何があっても戦い続けるつもりです」


「そうかい。決意は固いんだね。余計な事を言ってすまなかった」


「いいえ。それでは先を急ぎますので。失礼します」


 きっちりと一礼した相棒に連れられて、車に戻るとハキムおじさんが心配そうな顔をしていた。


「大丈夫かい?」


「はい、もう道をふさいでいる薪はありません」


「そうじゃなくて……いや、いいんだ。気にしないでくれ」


「だいぶ時間を使ってしまいました。急がないと」


 少し困ったような顔のおじさんに相棒が言葉をかぶせる。珍しく、苛ついた様子を隠そうともしない。何か気になることがあるようだ。


「それに……さっきの老人、何かおかしい。早くこの場を離れた方が良いです」


「ほう。どうしてそう思うんだい?」


「それは……俺の勘としか。ただ、こいつへの絡み方が変にしつこくて……」


 言いながら、ちらりと僕を見やった視線は気遣うようなもの。どうやら心配をかけてちゃったみたい。


「なるほどね。勘も大切だよ。特に君みたいに実力のある観測者スポッターの勘はね。気に留めておこう」


 おじさんの表情が一瞬だけすぅっと鋭くなったが、すぐにいつも通りのほがらかな、それでいてどこか底の知れない笑顔に戻った。


「さあ。不審な点があるなら、なおのことのんびりはしていられないね。さっさと出発するよ」


 おじさんの合図で隊列を組みなおして出発する移送部隊。遠ざかるテールランプに言いようのない胸騒ぎを覚える。

 この闇の中、どこかに敵が待ち構えているのだろうか。


 石ころだらけの山道に車体がガタガタと激しく揺れる。振動で運転を誤らないように、ハンドルを握る手にしっかりと力をこめた。

 たったの40㎞が果てしなく遠い。


 夜はまだ、始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る