樫杖の蛇(5)

 気象情報サイトで天気図を確認したところ、幸いなことに今夜はこのまま晴天になるようだ。しかし、道は昼間に積もった雪が凍ってカチカチになっている。しっかり対策しておかないとタイヤが滑って危険きわまりない。

 急坂に備えてタイヤとチェーンを念入りに確認していると、市民防衛隊ホワイトアーミーの車両がやってきた。もう一台は森林狼ティルティス旅団のものだろう。


「そろそろ出られるか?」


「はい。本当にすぐ山を降りてナフラを通るんですか? 一応、峠を越えてファティラから峡谷沿いに北東を抜けるルートもありますが」


 できれば怪我人を抱えて敵の陣地のすぐ近くを通りたくはない。


「あそこは革命軍の勢力圏を通るからな。事前に調整してあるならともかく、余計な摩擦は避けたい」


 そう言えばあちらのルートは仲間と呼ぶには微妙な関係の武装集団の勢力圏を通る。

 同じ敵と戦っているため共闘することも多いが、お互い信頼出来るとはとても言い難い。


「確かに……わざわざ敵を増やすような真似はしたくありませんね」


「ああ。ただ、近くを通るんだから、念のために鷹の方から一言申し入れてもらった方が良さそうだな」


「はい。このところ関係が微妙ですし、念には念を入れた方が良いでしょう」


 うちの隊長は交渉、調整のスペシャリスト。どんな老獪な相手でも、いつの間にやら丸め込んでは、ちゃっかり言質を取ってくる。

 任せておけば、まず安心だ。


「罠や襲撃があるかも知れん。偵察を出さねばならんな」


「それなら観測手スポッターの俺が……」


「待って!危険過ぎるよ」


 言いかけた俺の腕をつかんで相棒イリムが止める。


――この非常時に何を言ってるんだ。


 叱ろうと振り返り、出かかった文句を飲み込んだ。大きな紫紺の瞳が不安げに揺れている。


「いいや。それは、我々の役目だ」


 言葉を失った俺に苦笑したハキム師が、柔らかいが重みのある口調で言い切った。


「しかし……」


「気持ちはありがたいが、森林に棲む狼にも矜持というものがあるんだ」


「ハキム師……」


「我々は守るべき人々を守り切れなかった。君たちのお陰で、被害の拡大は食い止められたが……せめて無事に送り届けるための偵察くらい、させてくれないか?」


 茶目っ気たっぷりにウインクする顔は朗らかだが、眼光と言葉が有無を言わせない。『高山の王者』の名は伊達じゃない。


「それに、君の任務は彼を守ることだろう? 『高原の守護者』をよろしく頼む」


「……かしこまりました」


 ここまで言われては我を通すわけにはいかない。

 やはりこの人にはとてもかなわないようだ。


 俺にとって本当は何が大切なのか、何のために戦っているのか、きっと見透かされている。


 先行したバイク部隊のテールランプを見送ってからしばし。ハキム師の無線にはひっきりなしに報告が入る。


フクロウの目から本部へ。アラマ村を通過、村の様子に異常は見られない。家にも明かりがともっていて夕飯のにおいがしている。敵の姿は無し。平和なもんですぜ――送れ」


「本部よりフクロウの目へ。了解。そいつは重畳ちょうじょうだ、引き続き警戒を頼む。送れ」


 通信を終えたハキム師に僅かな安堵の色が浮かぶ。移送作戦はまだ始まったばかり。しかも、油断ならない行程だ。異常がないのは何よりだが……静かすぎるのも気味が悪い。


 迫撃砲部隊の全滅は、敵陣営にはもう知れ渡っているはずだ。

 いや、シビュラへの砲撃とともに戦闘で双方に多数の死者が出たことは、地元のジャーナリストたちのSNSを通じて全世界に発信されている。

 当然、俺たちが市民防衛隊ホワイトアーミーの協力を得て重傷者をアルファーダに運ぶことも予想されているはず。


 敵が何の手も打ってこないということは、まず考えられない。


フクロウ?」


 悪路に揺れる車内、ハンドルを握る相棒がきょとんとした顔で小首をかしげた。場違いなほど無垢な表情で、宵闇の空と同じ色の瞳をぱちぱちと瞬かせている。


「ああ、先行するバイクに乗ってる彼の無線符丁コードネームさ。良い名だろう」


 少しイタズラっぽい口調のハキム師。フクロウは音もなく夜の森を飛ぶ。その目はどんな暗闇も見通すし、耳はどんなに微かな音も聞き逃さない。確かに、夜間の偵察にはぴったりだ。


「バイクには斥候に慣れた兵を乗せてる。我々森林狼の先頭を進む、偵察のベテランさ」


――まぁ、君には劣るかもしれないがね。


 付け加えた師の言葉を俺は苦笑いで受け流し、無意識に握り締めていた突撃銃アサルトライフルを見た。


 29発の5.45mm弾が納められたベークライト製焦げ茶色の弾倉を撫でる。既に初弾は装填され、今は安全装置がかけられた愛銃。今までも何度となく大切な相棒と俺の生命を守ってくれた。

 これを使うような事態が起きないことを強く願う俺に、今まで積み重ねた戦闘の経験が「今夜はどこかで使わざるを得ないぞ」ともっともらしくささやきかける。

 そんな矛盾に胸がざわめくのをなだめながら、夜陰が作り出した闇を見つめた。狭い谷間の向こうにそびえるアルターイラ山は先の見えない暗黒の世界に包まれている。あの暗がりのどこかに、敵が潜んでいるのだろうか。

 一瞬たりとも気が抜けない。


「行こう。急がないと夜が明けてしまう」


 俺の葛藤を知ってか知らずか、ハキム師が出発の号令をかける。


「その前に……こいつを積んでいきませんか? 何があるかわからないから」


 俺の提案に、ハキム師は一瞬目をみはるとニヤリと太い笑みを浮かべた。


「なるほど、さすがは『高原の看視者』だ。お目が高い」


「恐縮です。わがままを聞いてくださってありがとうございます」


「わがままなんて、とんでもない。むしろよく気が付いてくれた」


「そうでしょうか」


「そうとも。さあ、それでは今度こそ行こう。夜が明ける前に」


「はい」


 狭い切通しを抜け、車列は一路南……ぽっかりと口を開けた異界への入口のような闇の中へと走り出す。目指すはこの地方で最大の病院がある街、アルファーダへと続くヤリク渓谷。そこまでたどり着ければ、後は平たんな道をスリップや転落の不安なく通ることができるはずだ。

 ああ、長い夜が始まった。

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