樫杖の蛇(3)

 ようやく落ち着いてくれた相棒イリム。少々おかしな方向に理解している気はするが、今は無理をさせたくない。

 村の惨状や過酷な任務。

 難なくやり遂げたとは言え、心身に相当な負荷がかかっているのは間違いない。とりあえず、村人たちに寄り添ってやり場のない思いを受け止める存在が必要であることだけわかってくれれば充分だ。


 すっかり外が暗くなってから二人で広場に戻ると、「ハキム師が呼んでいるからすぐ教会に行くように」と伝えられた。


「遅くなってすみません。今戻りました」


「ああ、疲れているところにすまないね」


 入り口で出迎えてくれた師はいつも通りの快活な笑顔を浮かべてはいたが、疲れの色が濃い。


「だいぶやられましたね。もっと早くに対処できていれば……」


「いや、君たちはよくやってくれたよ。二人がいなかったら村が全滅していた」


「……そう、おっしゃっていただけると救われます」


「うん。本当に助かったよ。ただね、それでも、だいぶやられたからね……」


 師が目顔で示した教会の中から、苦し気なうめき声がいくつも聞こえてくる。


「とりあえず市民防衛隊ホワイトアーミーが応急処置をしてくれてはいるが、限度があってね。アルファーダの病院まで運びたいんだ」


「こんな夜中にですか?」


 アルファーダは山のふもとにある大きな街。たしかにあそこまで運べば高度な手術も可能だろう。

 しかし、これから夜になると気温が下がる。ただでさえ雪の積もっている山道は、夜間は凍結してしまってますます危険だ。しかも、街灯なんか全くない真っ暗闇を、ヘッドライトだけを頼りに走ることになる。

 夜間の患者の移送は自殺行為ではなかろうか。


「うん。本当はちゃんと朝まで待ちたいんだけど、いつまた奴らが来るかわからないからね。俺たちはもちろん、市民防衛隊ホワイトアーミーも政府やリリャールから狙われているのは知ってるだろう?」


 普遍・中立の立場で敵味方関係なく救助を行っている彼らだが、シェミッシュやリリャールの政府からはテロリストと認定されて攻撃の標的となっている。それというのも――


「ハディーカ市の件ですか。毒ガス攻撃の被害者を救出する様子を中継した……」


「だろうな。あれは酷かった。わざわざ街の防空壕の出口に毒ガスを詰め込んだ爆弾を落として……」


 逃げ場のないまま、多くの市民が地下で亡くなった。白目をむき、口から泡を吹きながら痙攣する子供たちが運び出される様に、全世界から非難が集中したものだ。 

 政府とリリャールはこの動画を市民防衛隊ホワイトアーミーによる捏造だと主張し、彼らを国際テロリストに指定した。今では大っぴらに爆撃後の救助にあたる彼らに砲撃を加えたり、攻撃ヘリで追い回したりしている。

 もっとも、その主張を本気で信じている者はさほど多くはない。

 その証拠に、リリャールの同盟国以外では、市民防衛隊ホワイトアーミーは災害救助隊として認識されている。


「発信する救助現場が政府やリリャールの攻撃を受けたものばかりなのはテロリストの仲間である証拠だとか言ってますが……」


「仕方ないだろう。政府の支配地では彼らの活動は認められていないんだ。部族連合や解放同盟、自由戦線の勢力圏での活動なら、民間人の被害の大半は奴らからのものに決まってる」


「ええ。別に協力関係でないにしても、同じ敵と戦うもの同士ですから。対立する理由がないし、お互いに攻撃しあう余力があるんだったら、その分を政府軍との戦いに回しますよね」


「当然だ。それぞれ優先順位が違うだけで、大事にしたい人たちが安全に暮らせる場所を作りたい、守りたいだけだからな。仲間ではないからと言って、いがみあっている暇はない」


 いずれも仲間を弾圧から守るために結成された組織だ。俺たちが所属する解放同盟は戒律派信徒を、部族連合は少数民族であるハイマット族を、自由戦線はこの国の多数派氏族の人々を。それぞれ自分達の守りたいものが安全に暮らせる勢力圏が獲得できればそれで良い。

 好き勝手に国民をふみにじる政府は打倒したいが、自分達がなり代わろうと思っているわけではないのだ。


「本当に卑怯だなぁ……そうやって後ろ暗いことばかりやっているから、都合の悪いことを発信されないように、口を封じなきゃいけなくなるのに」


「その通りだね。でもぼやいても仕方がない。奴らのヘリやドローンが好き勝手に飛び回れない今のうちに、ケガ人の移送をお願いできるかい?」


「もちろんです!」


 間髪入れずににこにこと引き受けてしまった相棒イリム

 病院のあるアルファーダまでは直線距離ならわずか40km。しかし、真っ暗闇の中、舗装もされていない山道……それも雪が積もって凍結している道を走らなければならないのだ。

 しかも、この山岳地帯は敵味方の陣地が入り混じっていて最短距離を通るわけにはいかない。襲撃を警戒しながらぐるっと山を回り込んで遠回りしなければならないということがわかっているだろうか。


 いや、わかった上で快諾したのだ。それでも彼らを安全に病院に運ばなければならないと。それができるのは、今この場に自分達しかいないから、迷わずうなずいた。

 彼はそういう人間だ。


「かしこまりました。うちの隊長にはハキム師からお伝えいただけますか?」


「もちろんだとも。厄介な事ばかりですまないが、よろしく頼む」


 深々と頭を下げたハキム師は俺たちのような若造にも丁寧に接してくれる。こういったところも彼の人望を厚くしている要因だろう。


「では、市民防衛隊ホワイトアーミーのメンバーに紹介するので入ってくれ」


 教会の中に招き入れられ、中の惨状に目をみはった。

 壁際には身じろぎすらしない人々。頭がおかしな方を向いていたり、手足が引きちぎれていたり頭部がつぶれている人までいる。

 粉塵で全身が白っぽい灰色に染まり、まるで壊れた石像のよう。

 彩度をなくした一画で、大量の血とはみ出たはらわたの赤だけが、鮮やかな色彩を放っていた。

 おそらく、既に亡くなっている方々だろう。


 二十人ほどの物言わぬ人々の前を通り過ぎ、礼拝堂の中央に行くと、そこでは全身を真っ赤に染めた人々が痛みに泣き、苦しみにうめいていた。


「むごい……」


 瞳を潤ませ、思わずと言った様子で呟いた相棒イリムの顔色は白い。

 ここで血まみれになって苦しんでいるのはごく普通の村人たち。凄惨せいさんな戦場を見慣れた俺たちですら、息を飲み目をそむけたくなる。


 礼拝堂の隅にはビニール製の囲い。医療用の陰圧テントだ。中で簡易寝台が並べられ、患者が応急処置を受けている。すぐに移送しなければ危険な状態の患者もいるのだろう。

 深夜の山道が危険だからとためらっている場合ではない。彼らを無事に病院に運べるか、俺たちの肩にかかっている。心してかからねば。

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