樫杖の蛇(2)

「ちょっと、痛いよ!!」


 村が襲われたのはおじさんたちのせいだ。そう言って詰め寄る村の人たちを説得しようとしたら、相棒グジムに問答無用でその場から連れ出されてしまった。力任せにつかまれた手首が痛いけど、それ以上に心が痛い。


 彼はいつだって僕の言葉には辛抱強く耳を傾けてくれたのに。今はものも言わずに僕を引きずって行く。こんなの、初めてだ。

 僕に聞かせないようにして隊長たちとお話してたって、何か隠し事をされていたって、彼を疑わずにいられたのは、大事にしてくれてるって確信していたから。

 それなのに、何も言わせてくれないなんて……


 村の外れに出るまで、彼は一言も話してくれなかった。僕とは口もききたくないのだろうか……そう思うと不安と焦りでお腹の底が重くなってくる。勝手に彼についていく二本の足が、まるで自分のものじゃないみたい。

 心臓のばくばくという音で頭の中がいっぱいだ。まるで耳元で鳴ってるみたい。


「よし、ここでいいだろう」


 壊れかけた家の中に僕を連れ込んで、ようやく振り返った顔は憎たらしいほどいつも通り。

 もう、何を考えてるのかわからない。底の知れない湖みたいに澄んだ瞳にぐちゃぐちゃになった心の奥まで見透かされてるみたい。


――どうせ僕が考える程度のことは下らなくって、適当に聞き流しておけばいいって思ってるんだ。


 そう思った瞬間、頭の中にかぁっと熱がのぼって行った。視界が一気に赤く染まる。


 気が付くと、つかまれたままの手を乱暴に振り払っていた。ほんの少しだけ目を見開いた彼を精いっぱいにらみつけながら、まだじんじんと痛む手首をさする。


「どうしてちゃんとお話させてくれないの!? おじさんたちは悪くないのに」


「そんなことはあの人たちだってわかっている。ただ……家も畑もめちゃくちゃにされて、家族や友達も失って……現実を受け止めるためには、怒りと悲しみをぶつける先がどうしても必要なんだ」


 動かない表情に呆れたような声。やっぱり僕の言葉なんかまともに聞いてくれてない。


「そんなのただの八つ当たりじゃないか」


 怒るのも悲しいのも当たり前だとは思うけど、そういう自分の感情のはけ口を、関係のない人に求めてはいけないはず。


「そう、八つ当たりだ。だが、現実と向き合うためには、やり場のない感情をいったん吐き出さなければ」


「それはわかるけど……それって、リリャールや政府軍に向けるべきだよ。村をめちゃくちゃにした」


 もし怒りや悲しみをぶつけたいなら、その原因を作った連中に向けるべきだ。自分たちを命がけで守ってくれているハキムおじさんたちにではない。


「そんなことをしても殺されるだけだ」


「だからって……何も言わないおじさんたちにぶつけるのは卑怯だよ!!」


「俺やお前は戦士だ。武装した理不尽な敵と戦うという選択肢がある。でも、村の人はそうじゃない」


「だからって……」


「みんなわかってるんだ。わかっていてもどうにもならない。だから、ハキム師も黙って受け止めていたんだ」


 言いかけたところをさえぎられる。聞きわけのない子供に言い聞かせるような口調。どうしても納得できない。

 そんな甘えは自分の中できちんと昇華して、自らの行いを律するのが本来の奮励マジュフードだ。他人にぶつけてはけ口にするなんて、決して許されない。


「そんなのは甘えだよ!!」


「そう、甘えだ。わかっていても、どうにもならない気持ちというものはある。当たり前の日常を壊されるということは、そういうことだ」


「僕だって家族や故郷を失くしたことはあるよ。でも、そんなこと考えもしなかった」


 それはもう、哀しくて寂しくて怖かったけど……それでも、関係ない人のせいになんかできるわけない。

 父さんや兄さんを殺した人は……そりゃ、憎くなかったと言えば嘘になる。それでも、そんなことになってしまったのは掟のせいだし、そもそもの始まりは僕が生まれるずっと前から続いていた紛争のせい。


 そして、僕自身も人を殺してしまった。望んだわけではないけれども、掟に従ったのは、まぎれもない僕自身の意志。その結果、悲しませてしまった人もいるのはまぎれもない事実だ。


 誰かを憎んだり恨んだりしたところで、何の解決にもならないよ。


「そうだな。お前なら、そうだろうな」


 少しだけ眩しそうに僕を見て、苦く笑う相棒グジム。彼らしからぬ疲れたような表情に猛烈な違和感が沸き起こる。


「俺にはとても無理な話だ」


 ため息まじりにささやかれた、意外過ぎる言葉に胸の奥がざわめいた。いったい彼は何を言っているんだろう?


 彼はどんな時だって毅然としていた。家族を……お父さんやお兄さんを亡くしたあの時だって。

 みっともなく泣きじゃくって、ただ彼になだめられながらへたり込んでいた僕なんかとは違って。いつものように澄んだ瞳で、ただ静かに死者に黙とうをささげる彼の姿に、村の誰もが沈黙した。


「え? 君だって家族を……」


「もともと覚悟の上だった。いきなり何の心構えもないまま全てを奪われたこの村の人たちとは違う」


「そんなことを言っても、もう5年以上も内戦が続いているんだよ。いつどこが襲われてもおかしくない。この村だって一度は政府軍に奪われて、村人みんなが国外に避難しなくちゃいけなかったでしょ? 今更覚悟ができていなかった、というのは考えが甘すぎるよ」


「それは……そうだな。でも、それだけではないんだ。それだけでは」


 言いかけた言葉を飲み込んで、困ったように微笑む相棒グジム。それから手近な瓦礫の上に腰を下ろして、軽く息をつくと目を伏せた。いつもより深い瞳の色。何かを考え込んでいるみたい。


 言いたいことはいっぱいあるけれども、彼の思考の邪魔をしたくない。仕方がないから黙って言葉を飲み込んで、彼の隣に座りこんだ。


 横顔をじっと見つめていると、ふっと目を細めて微笑んでくれた。

 今度のは、さっきの困ったようなものと違って優しい、いたわるような笑み。何だかとても大切なものを見るような……僕のこと、適当にあしらってるって思ったのは僕の思い違いだったのかな。


「俺が村を出た時……俺はお前と一緒だった」


 深い湖みたいに澄んだ綺麗な瞳がまっすぐに僕を見ている。いつも通りの穏やかで頼もしい声。それだけで、なんだか不安や苛立ちが溶けていくみたい。


「お前と共に、二人でこの国で戦うと決めていた」


「うん。二人で戒律派の人たちが安心して暮らせる場所を守ろうって」


 あの時、不思議なくらいに不安も迷いもなかった。彼と二人なら何だってできる。その確信は今でも揺らいでいない。


「ああ。二人とも、守るべきものがあった。だから不安や絶望なんかが入り込む余地がなかったんだ。二人で、前を向いていられた」


「それは……そうだよね。果たすべき使命が目の前にあるんだもの。自分の悲しいとか苦しいって気持ちより、そっちが大切だ」


「……ああ、そうだな」


 ふわりとまた、優しい微笑み。ああ、すごく安心する。


「……では、もし何もなかったら? 使命も、守りたいと思えるものも何もなかったら?」


「それは……」


「俺は、自分を見失っていたと思う」


「……」


「守りたいものを守れなかった、その後悔が目を曇らせたはずだ。後悔は、目の前のものを見えなくさせる」


 そうか。僕は何もかもなくしたと思ったけど、何かを守りそこなったわけじゃない。なすべき使命を果たせなかったわけでもない。


「そっか……守るべきものを守れなくて、なくしてしまって……そしたら、それで頭がいっぱいになっちゃうかも……」


 村の人たちは、こどもたちを、村の象徴を、守れなかった。自分達の使命を果たせなかった。だから、次の使命を見出す前に、心が折れてしまった。

 守るべき信念も、果たすべき使命もあった僕たちとは違うんだ。


「人の業で折られた心は、人の温もりが受け止めなければ癒せない。折れたままでは何も見えない。使命も、守るべきものも」


 そういえば……僕は、今まで本当に心が折れてしまったことはないかもしれない。

 悲しくて、くじけそうで、恥も外聞もなく大泣きしてしまったことは何度もあるけど……

 いつだってすぐ隣にある温もりが、涙を全部受け止めてくれた。だから、涙が止まったその後は、まっすぐに前を向いていられたんだ。


 悲しいことも、怖いことも、いつだって一緒に受け止めてくれた。

 頼もしい肩に少しだけ寄りかかってみる。そのまま当たり前みたいに引き寄せて支えてくれたから、素直に身体を預けてしばらくじっとしていた。優しく頭をとんとんと叩いてくれる、大きな手。子供の頃、僕が大泣きするたびに、こうやってなだめてくれていたっけ。


 冬用の分厚い装備ごしに、温もりが伝わって来る気がする。

 ああ、これは身体じゃなくて、心が温まっているんだ。胸の奥で冷たく凍っていた不安が、今度こそ融けて消えていった。


 そのまま二人で黙って支えあって……ようやく身を起こした時には村はもう深い闇の中。言い争う声もすっかりおさまっていた。

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