樫杖の蛇(1)

 山に挟まれた谷間の夜は早い。ぐるりと尾根を迂回して、ようやくシビュラにたどり着いた頃には、夕焼けの最後の残滓が山の端に消えていくところだった。


「おかあさん……おきて……おきてよ……」


「シファーはどこ!? どこなの!?」


 村は死と慟哭に満ちていた。至るところで何かの焦げる嫌な臭いが立ちのぼっている。青い闇の中、黙々と瓦礫を片付け続ける人々の姿が白く浮かび上がっていた。

 歓声とともに担架が運ばれてくる。生存者が見つかったらしい。砲撃が止んだため、救助隊が現場に入ることができたのだ。

 血まみれの子供が村の外れの教会に運び込まれていく。


市民防衛隊ホワイトアーミーが来てくれたんだね」


「ああ。教会が野戦病院になったようだな」


 教会の屋根に白地に赤い×印の大きな旗が掲げられている。国際法上で攻撃を禁じられている、野戦病院を表す標章だ。周囲では白いヘルメットをかぶった救助隊が慌ただしく立ち働いている。


 「市民防衛隊」を名乗る彼らは「目の前の一人を救うことは世界を救うこと」をモットーに、普遍・中立の立場で人命救助を行うボランティア団体だ。彼らが身に着けている真っ白なプレートキャリアボディアーマーから、「ホワイトアーミー」と呼ばれている。

 特に爆撃のあった都市における捜索救助を得意としており、今回の砲撃でもいち早く駆けつけてくれたらしい。


「あの人たちが来てくれたなら安心だね」


「ああ。破壊された街の瓦礫の中から生存者を見つけることに関しては、彼らの右に出るものはないからな」


 怪我人を運んだり、瓦礫を一つずつ取り除けたり。

 僕たちもお邪魔にならない範囲でお手伝いさせていただいた。


 生存者が運び出されてからも、着々と瓦礫の除去は進んでいく。


「ああッ!! なんてことだ……」


 ひときわ悲痛な声が上がった。そう、あれは村の外れの泉があるあたり。

 見れば、泉を囲っていた石組が崩れ、泉のほとりに建てられていた守護聖人像も倒れている。首がもげ、左腕も砕けて無惨なありさまだ。


「聖者様が……バフジャ様の像が……」


「どうして……どうしてこんなことに……ッ!?」


 言い伝えでは、聖者バフジャがこの谷間を通りがかった時、水不足に苦しむ近隣の村の人たちから助けを求められたという。彼が岩を杖で突くと、岩が割れて泉が湧き出し、その周りに村を築くことになったのだとか。


「あいつらだ……あいつら外国人が居座ってるから……」


 村人たちが一斉にハキム師に詰め寄る。


「お前たちのせいだ!! お前たちのせいで……っ!!」


 皆それぞれに苦悶の表情を浮かべ、口々に非難の声を上げ始めた。

 無理もない。つい昨日までは貧しいながらも平穏な日々の中、ささやかな幸せを大切に、つつましく生きてきた人たちだ。

 にもかかわらず、のどかで美しい村はたったの一日で瓦礫がれきの山になってしまった。村の象徴であった守護聖人像さえ、無惨に打ち砕かれたのだ。

 日常が突然、砲火の中に崩れ落ち、安らげるはずだった故郷が地獄と化す恐ろしさは、俺も身に沁みて知っている。自分達の力でどうにもならない事態に出くわした時、人は身近なものに責任転嫁して心の均衡バランスを保とうとするものだ。


「……すまない。私たちの力不足だ」


 いつもの力強さが感じられない、悔し気な声。ハキム師は歯を食いしばりながらも焼け崩れた街並みから視線を外すことはなかった。


「あんたたちが来なければこんなことッ!!」


「そうだッ!! 外国人に居座られたせいでめちゃくちゃに!!」


「リリャールからの独立だかなんだか知らないが、お前たちの遺恨をここに持ち込むな!!」


 うなだれるハキム師に口々に罵声を浴びせる村人たち。そのうち小石を投げだす者も現れた。避けようともせず、甘んじて受ける「高山の王者」の額から血が流れる。


「何をしてるんですかッ!?」


 目に飛び込んできた赤に相棒イリムがたまらず飛び出した。すかさず師に詰め寄る人々に食ってかかる。

 幼い頃から信仰をよりどころにして我慢に我慢を重ねてきた彼は、良くも悪くも真っ直ぐすぎる。苦難を前に心が折れかけた人々のやるせない感情が理解出来ていないようだ。


「村をめちゃくちゃにしたのは政府軍でしょう!? おじさんたちは悪くない!!」


「な、何なんだ!? お前は!!」


「村を襲っていた連中は、僕たちが倒してきました! もうここは安全です」


「安全? このありさまのどこが安全なんだ!?」


「屋根も壁も崩れちゃったのよ!! 雪が降ったらどうするの!?」


 そう。俺たちが砲陣地をつぶしたところで、降り注ぐ砲撃がやんだだけだ。壊れた家屋が元に戻ったわけじゃない。

 今は冬。山間のこの村はこれからどんどん雪が深くなる。早く直さなければ凍死者が出るだろう。熊や野犬に襲われる危険もある。


「そ、それは……」


 村の惨状を前に思わず口ごもった相棒イリムを、村人たちが口々に責め立てた。


「無責任なことを言うな!」


「これからどうやって冬を越せばいいって言うんだ!?」


「こいつらさえ来なければ、砲撃なんか……」


「それは違います!! 政府軍がいきなりやってきて、家も畑もみんな取り上げられちゃったのを、おじさんたちが取り返してくれたんじゃないですか!!」


「う……」


「それは……」


 村人たちの激しい怒りにしばく絶句していた相棒イリムだが、さすがにこれだけはどうしても譲れないらしい。

 憤懣ふんまんやるかたないといった風情の猛抗議に、今度は村人たちが口ごもった。


「戒律派の信者だからって、何も悪い事をしてないのにみんな殺されて。村からも追い出されて……!」


 俺たちがこの国に来たのは、独裁政権による戒律派信者への虐殺や略奪などを止めるためだ。

 宗教ともテロ行為とも全く無縁の平和的なデモで始まった民主化運動は、参加者の多くが戒律派の信者であったことから、血統派信者である国家主席によって武力による宗教弾圧の恰好の口実とされてしまった。

 同じ創世女神チャックを奉じながらも、聖職者の血統を重んじる血統派と、戒律に従った生活を重んじる戒律派の間では千年以上の長きにわたって対立が続いている。


「そ、それは……お前たちとは関係ないだろッ!!」


 痛いところをつかれたらのだろう。

 村人の中でもひときわ威勢の良かった男が相棒イリムから目を逸らしながら、やけくそ気味の大声で叫んだ。


「そうですよ、僕たちがこの国に来る前の話です。僕たちは皆さんのように虐殺や略奪に遭った人たちが、故郷を追われて難民キャンプでの暮らしを余儀なくされていると知って、この国に戦いに来たんです。神を信じるものが安心して暮らせる場所を取り戻すために」


「なに⁉ 恩を着せる気か?」


「違います。僕はただ、恩返しがしたくて――」


「恩返し? どういうことだ?」


「お前たち、ティルティス人だろう? リリャールへの恨みで奴らと戦いに来たんじゃないのか?」


 森林狼ティルティス旅団は故郷を占領された恨みを晴らすため、シェミッシュ政府を支援するリリャール軍と戦うためにこの国にやってきた……

 村人たちは、そう思い込んでいるようだ。


「そうだ。お前たちはリリャールと戦えればそれでいいんだろう!?」


「本当は俺たちシェミッシュ人がどうなろうと知ったことではないんだろう⁉」


「ち……違いますっ!! 僕たちは……」


 まずい。余計なことを言い出しそうだ。

 ただでさえ外国人に対する嫌悪に染まっているのだ。俺たちがハキム師たちと同じティルティス人だと思っているうちは話はまだ単純だが、別の国の出身シュチパリア人だと知られると、さらに話がややこしくなることは間違いない。


「おい、ここはいいから救助を手伝いに行くぞ」


「で……でも!!」


「いいから。ここはハキム師にお任せしろ」


「僕だってお話の途中だよ!」


「救助の方が先だ。それに俺たちが口を出すべき話ではない」


「そ……そうだそうだ! 何なんだ一体お前は! だから外国人は……」


「外国人だから何なんですか!? 僕たちはあなたたちを守るために――!」


 要らぬことを口走って話をややこしくする前に連れて行こうとしたが、尻馬に乗った住人のせいで余計に意固地になってしまったようだ。

 完全にむきになって何か言いつのろうとしている。


「いい加減にしろ! 今は救助が先だ」


「だってこの人たちが!!」


「とにかく来い!!」


「ちょ……ちょっと、痛いよ!!」


 俺はなおも何か言いかける相棒をさえぎると、強引に手を取って村の外れに引きずって行った。崩れかけた小さな家の中に連れ込んで、誰もいないのを確認する。


「よし、ここならいいだろう」


 向きなおろうとすると、乱暴に手を振り払われた。いつもよりも深みを増した紫紺の瞳に剣呑な光が宿っている。

 これは相当怒っているようだ。


 さて、どこから話すべきか。

 軽く手首をさすりながら、毛を逆立てた猫のように怒りをあらわにする相棒を前に、軽くため息をついた。

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