樹洞の蝙蝠(こうもり)(1)

 双眼鏡ごしの視界の中、通信手が赤い霧を噴きながら唐突に倒れ伏した。慌てて目をむき、逃げようとした観測手も。


「やはり来なすったか」


 今日の標的である「森林狼ティルティス旅団」は、時おり強力な狙撃部隊の支援を受けて行動することがある。同旅団の別動隊とも、解放同盟内の別組織とも言われているが、実態は明らかではない。

 はっきりしているのは、人間離れした作戦を何度も成功させていることと、「赤い鷹シュチパリア・クラン」を名乗る組織が発信するプロパガンダ動画によく似たものが映っていることだけだ。


森林狼ティルティス人を焼けば誰か出てくるとは思ったが……」


 この手際の良さはあの二人だろう。

 先日、曳光弾なんかで重機関銃を狙撃するなんて離れ業をやってのけた非常識な狙撃兵。正確無比に敵を撃ちぬく冷徹な戦士。

 そのくせ覆面の下の素顔は少年のようにあどけないことを俺は知っている。


「さて。あの角度から撃ちぬいたということは、地形から考えてあの辺……いた」


 雪に紛れてはいるが、目を凝らせばそそり立つ斜面にしがみつくようにして生えている松の木を抱くようにして射撃姿勢を取る一人と、単眼鏡で戦果を確認するもう一人。

 砲撃がぴたりとやんだことで、他に観測員がいないことを確認したのだろう。顔を見合わせてうなずきあうと、ひっそりと山頂へと向かっていく。


「さあ、お手並み拝見と行こうか。花火が好きなお二人さん」


 二人は雪山では目立たない、真っ白な服装に身を固めているが、一度発見してしまえば追跡にはさほど困らない。


「よほど取るものもとりあえず飛び出してきたと見えるな」


 装備がまるで擬装されていないのだ。本来ならば石灰か塗料で白くカモフラージュするはずなのに。

 雪山では鉄の黒はよく目立つ。

 それでも身をかがめて素早く藪の中を移動する二人を苦もなく追えるのは他ならぬ俺だからだが。


 今まで無数の人間を追い詰め、狩りたててきた。はじめのうちは生きるため。そのうち青臭い理想のために、今となっては金のため? それとも……

 狩りの理由なんてどうでもいい。いずれにせよ、彼らもまた、遠からぬうちに俺の戦果トロフィーになるはずだ。無意識のうちに、愛銃のボルトを何度も撫でる。


 彼らのことは良く知っている。泣き虫の甘えん坊と、背伸びしたがる意地っ張り。幼いころから良いコンビだった。故郷を遠く離れて何年も経ってから、こんなめぐりあわせになるとはな。

 もっとも、あの子たちは俺の事なんか全く覚えていないだろうが。


「二人とも、ずいぶんと大きくなったもんだ」


 俺が村を出た時には、少年というよりはまだ子供だった。それがもう、いっぱしの戦士の顔をしている。年は取りたくないものだ。


 ある時は樹々にしがみつくように、ある時は手を取り合って迷うことなく断崖絶壁を登りきる二人。

 平原に展開する砲陣地を確認すると、覆面越しにも険しい表情になったことがわかる。


「はは、だいぶ頭に来ているようだな」


 無理もない。砲弾の雨が降り注がれた村には民間人も多数住んでいる。住民たちの惨状を目の当たりにして、義憤とやらにかられているに違いない。

 自分達だって他人様ひとさまの血で汚れ切っていることをすっかり忘れて。


 そう、俺の息子だって……


――ドン――ドン――ドン――


 再開された砲撃の音に、森をかきわける彼らの足も早まっている。

 ほどなくして辿り着いたのは、山頂近くの崖上の、砲陣地を見下ろす場所。そのまま狙撃するにも良い場所だが……しばらく陣地の様子をうかがってから、斜面を大きく回り込みはじめた。


「ふむ、さすがに迫撃砲の正面に立つようなヘマはしないか」


 どうやら頭に血が上ってはいても、判断力までは失っていないようだ。彼らはそのまま茂みの中をずるずると這いながら砲撃陣地の真横に回る。狭い棚のような畑の縁の、風よけに植えられた杜松ネズの茂み。その中にすっぽり入り込むと、姿が見えなくなった。茂みの中からわずかに突き出た銃身だけが、彼らの存在を物語っている。


「敵は二十人以上、味方はゼロ。見つかれば榴弾の雨を食らって一巻の終わりだ。……さて、どうする?」


 様子をうかがうと、彼らは砲撃のタイミングに合わせて最後尾の迫撃砲から一人ずつ狙い撃つことにしたようだ。花火のような音を立てて榴弾が火を噴きながら飛び立つと、兵士が頭に赤い花を咲かせて倒れ伏す。まるで映画の一コマを見ているよう。不思議な高揚感が俺の心を満たしていく。


「素晴らしい……なんと素晴らしい花火なんだ……」


 間抜けな事に、迫撃砲部隊の連中は、後ろからじわじわと仲間がやられていることに気付きもしない。谷間にこだまする轟音に紛れて狙撃の音に気付かないようだ。

 おおかた、ティルティス人への憎悪で目がくらんでいるのだろう。強すぎる感情は人間から当たり前の思考を奪ってしまう。観測員がやられたと気付いているのに、呑気に砲撃を続けていたのがその証拠だ。


 間抜けな奴らとは対照的に、あの子たちの狙撃は正確無比で容赦がない。

 彼らは一人、また一人と数が減っていって……


 六門あった砲が半分まで数を減らした時、ようやく異変に気付いてパニックに陥った。そのままてんでバラバラに走って逃げ始める。

 

「おいおい、今更かよ」


 思わず苦笑が漏れる。恐慌状態なのだろう。仲間の救助も、反撃も、全く頭にないらしい。

 撃ってきた方向はわかっているのだから、迫撃砲を放り出す代わりに適当にぶっ放せばあの二人だってひとたまりもないだろうに。そんなことすら頭に浮かばないほど、みな一様に怯え切っている。


 全力で走っている兵士が何かにつまづくように転がった。

 後に続いた兵士がつまづいて、バランスを崩しかけたところで、腹から赤い霧を吹きあげる。

 別の方向に走って行った兵士もごろごろと斜面を転がって……


 雪の白に飛び散る赤。リズミカルに響く射撃音。軽快なボルトの操作や、舞い踊る空薬莢の音までもが聞こえてきそうだ。音に合わせいびつな人型が踊る。噴きあがる紅の霧。


「美しい……なんて美しいんだ……」


 最後に残った一人は脚をもつれさせて無様に転んだ。ひざまずくような、惨めな姿で弾の飛んでくる方向を振り返る。涙と鼻水でぐちゃぐちゃに汚れた哀れな顔。その真ん中を弾丸が貫き……


 雪原に静寂が戻ってきた。残っているのは放り出された六門の黒々とした迫撃砲。そして点々と転がる人体だったモノと、あでやかなまでに鮮やかな、緋色に咲き誇る花々。


「すごい……圧倒的じゃないか……」


 わずか数分の出来事にすっかりと心が奪われた。静寂の中に横たわる、何一つ動くもののない白と黒と赤の世界。

 もはや芸術と言っても良いだろう。胸に熱いものがこみ上げてくる。この年になって、このような心震える出会いを得られるとは。長生きはするものだと、しみじみと思う。

 

「ああ、彼らをこのスコープに納めて撃ちぬきたい……」


 恍惚とした声に応えるように、彼らが動き出した。

 砂蜥蜴スナトカゲよりも慎重に。飛兎トビウサギよりもすばしっこく。

 手際よく空薬莢を集めると、手帚で雪の跡を消してから、そろそろと這ったまま後退っていく。


 俺がずっと見ている事にも気づかずに。


 森の中まで退いたところで腹ばいのまま何か話している。

 もう敵はいないと確信しているのだろう。つい数分前までは刃物のように鋭く光っていたあおあおが、今は柔らかく微笑みあっている。

 何と無防備で愛らしいことか。


 腹の底からせり上がる熱が、自分でも気付かぬうちに愛銃を構えさせた。その瞬間。

 

 狙撃手の表情が凍り付いた。そのまま間髪入れずに相棒に飛びつき、一緒に斜面を転がり落ちる。

 気づかれた。徹底して反射対策もしてあるのに。

 なんという、素晴らしい戦士の勘。


 しばし巻き上げられた雪煙で視界が遮られ……視界が晴れた時には、二人の姿は森の中だった。藪の中をじりじりと下がっているのだろう。僅かな枝葉の揺れが、少しずつ遠ざかっている。折しも降ってきた雪で視界はどんどん悪くなってきた。今は勝負を仕掛ける時ではない。

 それでも追跡だけはしていると、彼らはぐるぐると山の斜面を迂回しながら稜線を越えず、陽が傾くまで山の中を仲睦まじくうろついていた。


 シビュラ村に着いたのを見届け、アルビタールの依頼人の陣地に戻れたのは夕闇が空を覆いつくした後のこと。

 澄んだ瑠璃色があの子の瞳を思い出させる。今夜も一番星が美しい。


「全滅だって? あんた一体何してたんだ!?」


「俺の任務は『森林狼ティルティス旅団』と連携している狙撃兵の素性を探ることだ。あいつらの護衛じゃない」


「な……ッ!?」


 詰め寄ってきた下っ端を適当にあしらっていると、依頼主が現れた。


「どうでした? あの二人」


「ああ、素晴らしい腕だったよ」


 白、黒、赤。あでやかな花火がまぶたに浮かび、腹の底の熱が、ふたたびせり上がってくる。


「そうですか。……何だか楽しそうですね」


「ああ。あれでこそ、俺が全力で狩るのにふさわしい獲物だ」


 ついうなずいてしまってから、はたと我に返った。

 俺は今、何を言っていた?

 

「お疲れのようですね。今日はもうゆっくりしてください。食事はお部屋にご用意しましたから」


 依頼主は俺の葛藤かっとうを知ってか知らずか、鷹揚おうようにうなずいてねぎらうと、もう下がるようにと指示してきた。お言葉に甘えて薄暗い部屋の中、一人で夜の礼拝を済ませる。


「なあ、俺……殺しを楽しんでなんか、ないよな……?」


 語りかけるのはボロボロの写真。当然ながら、応えはない。


 ただ、今は亡き若者の澄んだ瑠璃色の瞳だけが、すり切れた紙の中から俺をじっと見つめていた。

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