高山の鳩(5)
最低限の装備をひっ掴み、俺たちは村を囲むようにそびえる急斜面を目指した。
西の山の向こうに隠れている敵の迫撃砲部隊を探すため、村の外れの破壊された校舎から森に入る。うっそうと茂った樹々の間を、うまく木の根などを利用して、急な斜面を一気に駆け上がる。山育ちの俺たちだからこそできる業だ。
――ドーーン――ドーン――ドン――
断続的に響く爆発音は村を挟むようにしてそそり立つ斜面に反射して、何度も何度もこだまする。おかげで俺たちがガサガサと藪をかきわける音は打ち消され、誰にも見つかることなく尾根の近くまで登ることができた。崖上のわずかな平らな場所からさっきの光が見えたあたりを見下ろす。
「……あれだね」
そそり立つような急斜面。一瞬の油断で崖下へと転がり落ちてしまうだろう。
山肌から生えた木にしがみつくようにして双眼鏡を覗き込む。拡大された視界の先、斜面から大きく張り出した、ごくわずかな平坦地に伏せている人影が二つ。
まるで天体望遠鏡のように大きな単眼鏡を覗き込む一人。もう一人は手元の帳面に何か書き込みながら手元の箱……通信機に向かってがなっている。
――間違いない、敵の観測部隊だ。
「目標を確認……いけるな?」
俺が尋ねるまでもなく、相棒は既に準備に入っていた。身近な木を抱くようにして身体を預け、丈夫そうな枝を選んで愛用の狙撃銃をそっと乗せる。こまかく何度か身を捩り、やがてぴたりと動きを止めた。納得する体勢が決まったようだ。
急斜面でも周りのモノを巧みに使って、あっという間に安定した射撃姿勢を作り出す彼の姿に、思わず見入ってしまう。丸い目をすぃっと細め、丸くすぼめた唇からふっと息を漏らして呼吸を細く絞って……
「……どうしたの?」
澄んだ瞳が俺を真っすぐに見つめている。一番星が輝く宵闇の空のような、透き通った瑠璃色のまなざしに吸い込まれそうだ。
「い、いや、始めるぞ」
混じりけのない信頼のこもった視線に一瞬たじろいでしまったのをごまかすように、愛用の単眼鏡を眼に当てる。
「目標、敵観測員。距離248m、手前の風、北北東から北北西へ4~6、標的付近のは……北東から北西へ7~8。山に沿って気流が変わっているが距離は短い。大丈夫だ」
再び、頭上に甲高い音が鳴り響く。
大気を切り裂く砲弾の飛翔音だ。続いて爆発音。奴らは、砲撃を再開したのだ。
――ズ……ン――
山の斜面が揺れる。風に乗って聞こえる叫び声。恐怖と絶望、悲しみにまみれた女たちの絶叫が、山間に木霊して、谷間の大気に満ちていく。
目を向けなくても、わかる。村が、人々の暮らしが、破壊されていく音だ。何度聞いても慣れる事が出来ない戦争の凶音に神経がささくれ立つ。
ふと、俺は気が付いた。覗き込んだ単眼観測器の中で、観測員が歯を見せている。
――笑ってやがる。
ふつふつとどす黒い怒りが込み上げてきた。全身の血液が沸騰しているような気がする。
――奴ら、村を焼きながら、笑っていやがる!
隣からぎりり、と音がする。相棒からだ。息が小さく震えている。
俺には分かった。彼の怒りと嘆きが吐き出されている。きっと同じモノを見ているのだろう。
だが、相棒はすぐにため息のような呼吸に戻った。呼吸を整えている。
彼の呼吸に合わせて激情を押し殺し、着弾のタイミングを見極めて俺は言った。
「――撃て」
唐突に響く、風船を割ったような音。無線を握る男の頭から、パッと赤いしぶきが飛ぶ。砲弾の着弾とほぼ同時に行った精密な射撃。谷間に反響する砲撃の音に紛れ、彼らはこちらの発砲音に気付きもしない。
「命中」
一瞬の間をおいて、単眼鏡をのぞき込んでいたもう一人の観測員が突然目を剥き、立ち上がった。隣の
相棒がボルトを素早く操作。次弾が狙撃銃に送り込まれる金属的な音と共に、隣から伝わる明確な攻撃意思を感じた俺は、次の目標を告げなかった。相棒がこれから何を撃つのか知っているからだ。次の瞬間、再び弾丸が放たれた。
軽い破裂音と共に、必死の形相で走る敵がなにかにつまずいたように無様に転んだ。そのまま斜面をごろごろと落ちていく。
全力で走る敵を難なくしとめるとは、相変わらずとんでもない腕だ。ただ敵を仕留めるだけなら、俺のサポートなど必要ないのかもしれない。
「観測員二名を排除。――周囲に敵なし」
「迫撃砲の観測員はあの二人だけで間違いないようだな。さて、どうするか……」
「このまま山の向こうまで行こう。観測員がいなくても砲撃座標はもう割り出されてるし、このままじゃまたすぐにやられちゃうよ」
担いだ狙撃銃を背に回しながら、相棒は斜面を見つめていた。その瑠璃色の眼はこの先にある真の目標を見据えているように見える。
「そうだな、せめて迫撃砲の位置だけでも確認したい。まだ日は高い。行くぞ」
再び木々と岩肌を掴んで登り始め、片手を相棒に伸ばすと「そうこなくっちゃ」と笑顔で手を掴んできた。いつもの彼らしい笑顔に戻っているのを見て、思わず頬が緩む。
彼を引っ張り上げたり、時には彼に支えてもらいながら急斜面を何度も越えていく。この少し上はもう尾根だ。これを越えてしまえば敵の砲陣地が見えるかもしれない。迫撃砲は沈黙したままだ。早く行かねば。
俺たちはうなずきあうと、目の前の
匍匐の姿勢のまま進み、茂みの薄い場所を目指した。
「……見つけた」
頂上から見下ろした視界に、
「行こう」
「きっと警戒されているぞ」
「大丈夫。君と僕なら絶対にやれる」
「そうだな――行こう」
相棒が
奴らの正面を避け、斜面を大きく回り込むつもりだ。
――ドン――ドン――ドン――
山間に響く砲撃音。どうやらめくら撃ちを始めたようだ。音を頼りに森の中を進むと、崖上の、ちょうど
「撃つには良い位置だが……ここは連中の正面だ。狙撃の発砲炎が見つかるかもしれないから、横まで移動するぞ」
「分かった。行こう」
ずりずりと身を這わせ、更に山を下って畑の縁の茂みの中に入り込む。隠れるには絶好の植生。しばらく匍匐で進み、敵のほぼ真横の位置を確保できた。距離は約600m。
「どうする? 相手は大人数だよ?」
「お前なら――いや俺達なら大丈夫だ。考えがある」
「ほんと?」
「ああ、俺を信じろ」
「うん。任せたよ、相棒」
相棒はふわりと微笑むと、すぅっと表情を消した。
かちゃり。茂みの中に響く金属音。相棒が弾丸を満装填する。
平原に小さく風が吹いた。
草木が揺れ、さざ波のような音を立てる。大気を満たすざわめきの中、村の様子が脳裏をよぎった。
首を失った赤子が、瓦礫に潰された子供たちが、村に響く絶叫が……心にしっかりと焼き付いている。
風が弱まり、そして止んだ。
熊狩りの始まりだ。
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