高山の鳩(3) ※凄惨な描写あり

「助けて!!」


 トラックで村の入り口に降り立った俺達に飛び込んできたのは、悲鳴と怒号と、若い女性だった。

 頭から大量に血を流していて、おんぶ紐で赤子を背負っているようだ。ろれつが回っておらず、目はうつろ。よほど恐ろしい思いをしたらしい。衣服がべったりと赤い液体で濡れていて、元がどんな色だったのかわからない。


 ……赤子?

 ひっきりなしに砲撃の爆音や人々の絶叫が響き渡るこんな空間で、泣くどころか声をあげることすらしない赤子が、果たしているのだろうか?


「……っ!!」


 違和感を抱きながらも荷台から飛び降りると、ハキム師に縋りつくその背中を見て絶句した。

 彼女に背負われた小さな小さな人の形。おかしなことに首から上がない。赤黒い肉の断面からは、おびただしい量の血液がだらだらと流れ続けていて、母の服を濡らし続けている。

 彼女の通った後には、転々といびつな丸をした赤いあとが残っていた。


「――ッ!! とにかく逃げろ!!」


「走れ!! 走るんだ!!」


 森林狼ティルティス旅団のメンバーが村人たちを避難させようと声を張り上げている。

 その叫びをかき消すように鳴り響く、甲高い砲弾の擦過音と、地面を揺さぶるすさまじい轟音。


 俺は眩暈めまいがした。聞き慣れた戦争の凶声を、この平和な村で聴くなんて……。


「村から離れろ!!」


「外も建物の中も危険だ!! 走れ!!」


 みんな口々に叫んでいるが、村の人たちをうまく誘導できていない。皆てんでバラバラの方向に走り回っており恐慌状態に陥っている。

 くそ! 彼らはなんだぞ!! じゃないんだ。

 何故、こんな事を――!!

 どす黒い怒りが胸中に渦巻く。


「走れ走れ走れ!! 東の切通きりとおしから山の裏側に逃げ込むんだ!!」


 そんな地獄のような混乱を、力強い声が切り裂いた。さすがは「高山の王者」、この砲撃の中でも彼の声は良く届く。

 ハキム師の言葉に村人たちがはっとした様子でこちらを振り返る。恐怖と混乱で歪んでいた表情がみな一瞬で引き締まった。戦乱が続く中。ここまで生き延びて来られた精神力は伊達ではないようだ。


 落ち着きを取り戻した村人たちが軽くうなずいて、いっせいに切通きりとおしに向かって走り出す。


 ――これで村人の避難はうまく行くだろう。


 そう思った瞬間だった。


 山間の空気を切り裂き、降り注ぐ砲弾の一発が、村の外れのひときわ大きな建物に着弾。窓から真っ赤な炎と、黒煙が噴き出した。たしかあそこは――


「……学校が!!」


 腰が抜けたのか、よたよたとした足取りで、それでもそちらへ向かおうとする人影が眼に入る。村で先生と慕われる中年の女性。


「駄目です! 危ない!!」


 駆け寄って肩を掴む……が、振り払われた。


「子供が!」


 すり切れた金切り声に胸が引き裂かれそうになる。

 戦場で傷付き、苦痛を叫ぶ戦士たちの声よりもずっと、辛い。いたましい。


「子供が……っ!!」


 なおもふらふらと校舎に向かう女性を抱え込み、視線の先へ眼を向ける。吹き飛んだ校舎……というよりは、もはや石材の山。かろうじて全壊はしていないというだけ。


「助けなきゃっ!」


 暴れるように女がもがく。女性とは思えない、ものすごい力だった。


「子供たちがまだ……!!」


「分かりました……!! 分かりましたから! 俺が今助けに行きます!」


 悲痛な叫びに声を挟む。


「俺が必ず子供たちを連れ出します!! あなたは先に!!」


「でも!!」


「あなたに何かあったら、これからこの村で誰が子供たちを教えるんですか! しっかりしてください! !!」


「いやっ!!」


「この人を連れて避難所の準備を!! 頼んだぞ!!」


 砲撃の中を駆け寄ってきた相棒イリムに彼女を託す。


「わかった!! 早くこちらへ!!」


 相棒が頷いて彼女の身体を抱え込む。細身であっても軽々と持ち上げ、そのまま走って避難させるのを確認。

 『先生』は彼にまかせておけば大丈夫だろう。

 次は、俺が子供たちを助ける番。


 俺は素早く水筒の水を毛髪に絡ませ、半壊した建物に飛び込んだ。


「……っ」


 一歩踏み入れたところで足が止まる。一刻を争う状況なのに。

 目の前はひときわ大きな瓦礫がれきと……ぐちゃぐちゃにつぶれた赤い塊。壁にへばりつく肉と、黒っぽい繊維。ねちゃりとあふれた白いもの。


 瓦礫がれきだらけのそこここに、ねっとりとした赤い粘着質のものがべっとりとへばりついていた。足の踏み場もないほどあちこちに、指や脚や……もはやどの部分かもわからなくなった肉片が散らばっている。


「だいじょ……」


 立ち尽くしていると真後ろから相棒イリムの声が届き、俺は飛び上がった。


「ば……馬鹿! 来るな! 住民の避難は!?」


 酸鼻さんびを極める光景を見せたくなくて、駆けつけた相棒が中に入るのをついさえぎってしまう。


「おじさんたちがやってくれてる!! 僕たちはこっちを!!」


「馬鹿、きけん……」


――ヒュルルルルル……ズズゥゥゥゥン――


 弾ける閃光。轟音と共に大地が震える。

 反射的に身を投げ出すと、毛髪と肉が焼け焦げる死の臭いが肺に入り込み、全身の毛が逆立つ。

 ぱらぱらと降りかかる天井の破片……


「くそ!! ここが崩れるのも時間の問題だな」


「なら急ごう!! 僕だって戦士だ! 行こう!」


「あ、おい……くそっ、人の気も知らないで……」


 止めるのも聞かず、俺を押しのけるようにしてそのまま中に駆け込む相棒。一瞬その大きな目をみはって言葉を失うが、すぐに頭を軽く振ると、両手で頬を叩いて気合を入れた。軽く深呼吸すると、潤みかけていた瞳が鋭く光る。

 危なっかしいように見えても、その姿は一人前の戦士だった。


「……!!」


 がれきの山の中、ふとうめき声が聞こえた気がした。顔を見合わせ、無言で頷きあう。


 一歩踏み出す。靴の下でぐちゃりと何かがつぶれた感触。

 もう一歩。ねばついた液体で足がずるりと滑る。

 ふんばってもう一歩。ごりり、固くて小さなものが砕けて散った。


 腹の底が冷たく重く沈んでいく。もはや生の宿っていないただの肉塊だとしても、つい数分前までは生きた人間の一部だったものたちだ。踏みつけてしまう己の罪深さに戦慄せんりつする。


(すまん……! 許してくれ……!!)


 空気が凍てつくような暗がりの中、流れたばかりの血液から白い湯気が立ち上り、破壊された窓から差し込む光に照らされていくつもの筋を描いていた。

 それが、まるで死者の魂を迎えに来た天使のはしごのようで……俺は慌てて頭を振って、ろくでもない妄想を追いやった。


 時間にして数秒のはずが、数十分は過ぎた気がする。うめき声がした場所についた頃には、もう何も聞こえなくなっていた。


「遅かったか……」


「まだ諦めちゃだめ!! とにかく、これをどかしてみよう」


 まだ生きていてくれ。二人で願いをこめて瓦礫を一つ一つどかしていく。できるだけ振動を与えないように、でも少しでも早く……


「……っ!! 手だ!!」


 小さな手……二人で必死に残骸を払っていくときちんとした腕が見えてくる。ようやく見付けた千切れていない肉体。期待が高まるが、それ以上はまだ瓦礫がれきに埋もれていてわからない。


「早くどかそう!」


 自然に手も早くなり、夢中で大小のコンクリートの塊を取り除き続け……ようやくその腕の先があらわになった。


「……っ」


「ひどい……」


 肩から胸にかけて、鉄骨の突き出た大きなコンクリ片がつきささっていて、その下にはぬちゃりとした赤黒い水たまりができていた。冬の凍てついた空気の中、ほこほこと白い湯気が上がっていて、甘ったるいようなさび付いたような、真新しい血の匂いが充満している。

 おかしな方向に曲がったままの首。ぽかんと開いた口からはだらりと舌がはみ出していて、どろりとした血液が溢れている。見開かれたままの黒い目がまるで底知れぬ洞穴のよう。

 五歳くらいだろうか、まだ小さな男の子だ。


「……まだ……まだ、温かいのに……」


「……」


 必死になっていただけに、むなしさがこみ上げる。いっぱしの戦士を気取っているくせに、このざまは何なんだ。全く何の役にも立っていないじゃないか。

 こんなことをしている間にも、外では絶え間なく砲撃の音が続いているのに。


「……!!」


 相棒イリムの息を飲む音が、急激に俺の意識を刹那の放心から引き戻した。


「また声が!!」


 また轟音。反射的に身を投げた先で、かすかな息遣いが聞こえた。それもすぐ近く。


「ここだ!!」


「よし!!」


 相棒が弾かれるようにして目の前の瓦礫の山に飛びついた。


「すぐ助けるよ!!」


「頼む! 生きていてくれ! 頼む……!!」


 叫ぶ相棒と共に、必死で石の塊をかきわける。焦る心を押さえつけ、一つ一つ丁寧に……


「見えた!! つながってる!! 手も、脚も!!」


 今度は女の子だ。やわらかそうな象牙色の手と足が、きちんと腕や脚とつながったまま……大きなコンクリートの下の隙間に胴体らしきものも見える。


「俺があのコンクリを持ち上げる。その間にお前はあの子を!」


「わかった!!」


――いち、にの、さん


「やった!! 身体も無事だよ!!」


 わずかに鼻声になった相棒に抱えられたその子を見ると、潤んだ黒い瞳で俺たちを見て、かすかに唇を震わせている。……良かった、まだ、死んでいない。

 どうやらコンクリートの下敷きになる前に机の下にもぐりこんだおかげで、わずかな隙間に入り込むことができたようだ。


「よし、すぐ行くぞ!!」


「うん!! もうちょっと……」


 また轟音。びりびりと大気が震え、ぱらぱらと壊れかけの天井から小石が降ってくる。


「急ごう!!」


「うん、そっち抱えて!!」


 相棒が腰を、俺が足を、しっかりと抱え直して走り出す。できるだけ素早く、でも揺らさないように。


「ここに居たのか……!! おい! 二人とも、こっちだ!!」


 ハキム師の声に従って建物を飛び出すと、背後でまた着弾があった。校舎が崩れ落ちる。猛烈な風圧と共に押し寄せる灰色の塵埃。間一髪だ。

 全身を真っ白にしながら走り続けると、そこには担架を持った森林狼ティルティス旅団のメンバーが待ち構えていた。

 女の子を彼らに託すと、彼女は必死に唇を動かして何かを伝えようとしている。


(ぁ……あ・り・が・と・う――)


「……っ」


 声にならなかった言葉に息を飲んだ。良かった……たった一人であっても、なんとか助けることができた。何も、できなかった訳じゃない。

 視界がすこしだけじんわりと滲んだ。


 そんなやりとりの間にも、まだ砲弾は降り注いでいる。村はめちゃくちゃなありさまだ。どこもかしこも壊されて、あちこちから火の手があがって……

 つい先月おとずれた時には人々が笑いあっていて、羊ものんびり草を食べていて、果樹園にはブドウやリンゴがたわわに実っていたのに……銀色の葉を茂らせたオリーブの林が燃えている。


「行こう」


 いつになく硬い、相棒イリムの声。


「あれを止めなくっちゃ」


 星空のような瞳が熱く燃えている。


「ああ、行こう」


 深く頷く。強い意志を込めて。


「さあ、熊狩りの時間だ」


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