高山の鳩(1)

「あれ?何だか騒がしいね」


 午前のトレーニングを終え、イリムと部屋でくつろいでいたところ、がやがやと人の声がした。そういえばさっき車のエンジン音がしたようだが、誰か来たのだろうか?

 緊迫した空気はないので、俺たちには関係ないだろうと無視を決め込んでいたのだが、コンコンとノックの音がして仕方なく顔を出した。


「あれ、ハキムおじさん!」


 俺の後ろからひょい、と顔を出した相棒が、とたんに弾んだ声を出す。


「やあ、久しぶり」


「くるるっ……くぅ」


 明るい栗色の癖のない髪を無造作に伸ばした長身の男性が笑顔を返す。きりりとした眉と鋭い瞳が野生の狼のような印象を与える精悍せいかんな偉丈夫だが、こうして朗らかに笑うと、とたんに人懐っこい大型犬のような印象になる。先日の作戦で協力したティルティス人部隊、通称「森林狼」の指導者だ。肩に鳩が乗っているのはいつものことなので、気にしてはいけない。

 俺たち反政府勢力の間ではハキム師と呼ばれているが、もちろん本名ではない。あくまで戦士としての彼を表すただの記号コードネームだ。俺たちにもこうした記号コードネームはあるが、自分を呼んでいるという感じがしなくて、どうしても好きになれない。


「この間重機関銃14.5mm、始末してくれたのは君たちだってな。ありがとう、助かった」


 白い歯を見せた笑顔がやけに爽やかだ。もう四十近いというのに、精力に満ちあふれた姿はまだ三十そこそこに見える。連れている鳩までが妙に凛々しい顔をしているせいで、目の前にいても、実在の人物というよりは、映画かコミックの登場人物のようだ。


「良かった、お役に立てたんですね! またお手伝いできることがあったら何でもおっしゃってくださいね」


 するりと部屋を抜け出した相棒が嬉しそうに言うと、ぶんぶんと握手している。なぜか彼の背後にちぎれんばかりに振られている尻尾が見えた気がして、慌てて頭から馬鹿げた妄想を追い出した。

 この国に来たばかりの時にじいさんと共に指導してくれたこの人のことを、彼は実の兄のように慕っている。


「はい。隊長におっしゃっていただけば、いつでもご協力します」


 もちろん俺も尊敬してはいるのだが、「高山の王者」とも呼ばれるカリスマの持ち主に対して、そこまで無邪気に親愛の情を示すこともはばかられ、つい距離を置いた態度を取ってしまう。


「頼りにしてるよ、『高原の守護者』くん。『監視者』くんもありがとう」


 ハキム師は、俺たちがあまり戦闘員名コードネームを好まないのを知っていて、プライベートな時はわざわざ二つ名で呼んでくれる。こういうところも人望が集まる所以だろう。


「わぁ、スゥド。くすぐったいよ」


 いつの間にか鳩が相棒の肩に飛び移って頬にすり寄っていた。ほほえましい姿につい頬が緩みかけるが、師の言葉に意識が一気に現実に引き戻された。


「それじゃ、お言葉に甘えて、さっそく頼みがあるんだ。もちろん、君たちの隊長には許可を取ってある。あとは君たち自身の同意だけだ」


「危険な任務なんですね」


 よほどのことがなければ、隊長がわざわざ「高山の王者」本人に俺たちの意志を確認させたりしないだろう。つまり、それだけ危険で、しかも重要な任務なのだ。彼らの部隊にとっても俺たちの部隊にとっても。


「ああ。そしてうちの連中には無理だ。君たちにしか頼めない」


「もちろ……」


「まずお話を伺っても良いですか? 判断するのはそれからということで」


 笑顔で安請け合いしそうな相棒をさえぎって師を室内に招くと、彼はくっくっと喉の奥で楽し気に笑った。


「君たちは本当に良いコンビだね」


「恐れ入ります」


「え? どういうこと?」


「お前はいいから、ちょっとチャイを淹れてきてくれないか」


「え~」


「せっかくいらっしゃったんだ。お茶会をしながら話を伺えばいいだろう?」


「それもそうだね」


「昨日街で買ってきたアッシュバルバル細麺とナッツの焼き菓子があっただろう?」


「ああ、すっごく可愛いからつい買っちゃったやつ! うん、すぐ持ってくる」


 何だか不服そうな相棒を言いくるめて茶を淹れに行かせる。釈然としない様子だったが、とっておきの茶菓子の話をすれば、すぐに目を輝かせて台所へ向かった。浮かれた様子の鼻歌が聴こえてくる。


「相変わらず過保護だね」


「そういう訳ではありませんが。それで、どういったお話でしょう? 俺たちにしか、とおっしゃるということは、単なる狙撃ではないのでしょう?」


 俺たちはそれなりに凄腕と言われてはいるが、友軍にもっと著名な狙撃兵がいないわけではない。本来なら、こんな大物がわざわざ自らの足を運ぶような相手ではないはずだ。

 このタイミング……ということは、組織の息のかかったラジオ局に流してもらった情報に関することだろう。


「はは、相変わらず勘がいいね。そう。この『赤い鷹シュチパリア・クラン』が今のような広報フロントになる以前からの、古参メンバーである君たちにしかできない任務だよ」


「なるほど。解放連盟組織の特務部隊としての俺たちにご用ですか」


 そう。この部隊は最近になって戦況が落ち着いてきたために広報活動を行って表に出るようになったが、元々は情報戦と狙撃を武器に他の部隊のサポートを行う秘密部隊だった。俺たちにとって父親代わりの頼れる隊長は、組織にとっては最高指導者の懐刀でもある。


 色々と鈍いうえ、政治的な駆け引きには興味のない相棒は、自らの立ち位置の変化があまりわかっていないようだが、それでいい。

 彼には今まで通り、素直で純粋なままでいて欲しい。曳光弾が飛び込んだ後のトーチカの中がどうなったかなんて、知る必要は全くないのだ。


「うむ……熊がね、何匹か谷の出入り口をちょろちょろしているんだ」


「熊……?」


「ああ、ちょっぴり凶暴な熊でね。自分たちが人間より偉いと思っている。困ったもんだ」


「前置きは結構です。それで、その熊の何が困っているんですか」


 害獣駆除のご依頼なら地元の猟師を呼びましょうか――軽口を挟もうかと邪な考えは、次の言葉を聞いて吹き飛んでしまった。


「うん、それがね。ドングリのかわりに迫撃砲を抱えてるんだよ、その熊は」


「迫撃砲、ですって?」


 思わず眉をひそめてしまってから慌てて表情筋を総動員して平静をとりつくろった。なるほど、高山の王者でも手を焼くわけだ……。


 迫撃砲。


 火力が高く、頑丈で、――そして安いという、およそ兵器として欲しい要素を備えている優れた火砲の一つ。一口で迫撃砲と言っても大きさは様々ある。これらは砲の口径により、最小クラスは60mm、最大で160mmまで多様だ。


「まめに見回って追い払ってはいるんだが、何しろ山は広いからね。使ってる口径は80mmクラスなのは分かっているが……」


 高原の王者、ハキムの顔が曇る。


「80mm……軽くてコンパクトな大きさですね。三人いれば徒歩でも運べてしまう。砲身と支持架に分解できて、確か重量は40kgにもならないはず」


 じいさんから教えられた訓練内容を思い出しながら話す。


「さすがは監視者。狙撃の観測スポットだけしてるわけではないな」


 「高山の王者」は感心した面持ちで続けた。


「そう、迫撃砲の最も恐ろしいのは……山だろうが、森だろうが、5m四方もあれば何処からでも撃ち込んでくる事。運搬して、組み立てて……射撃までたった数分。撃ち終えたら素早く撤収して、場所を変える事が出来るから、捕捉するのも困難だ。つまり」


「……姿を見つけられない……と」


 無言でうなずく。なるほど、これは俺たちに声がかかるわけだ。


「やつら、見えない場所から巧みに撃ち込んでくる。恐らくは山の反対側から発射して、即移動してるはずだ。おかげで、こちらは砲撃されてから部隊を動かしても、やっとこさ山を越えた頃には、何も見つからない。せいぜい、地面に残された砲座の痕跡くらいだ」


 彼らしからぬ、忌々し気な様子にだいぶ状況が切迫していることを痛感する。 

 迫撃砲弾は大きく山なりに飛ぶので、この特性を活かして山の反対側や見えにくい谷から撃ち込んでいるのが予想できる。


「迫撃砲は連射が利くからな。俺もむかし運用したときは5秒に一発の早さで砲撃してやったものだが……これを逆にやられるとキツい」


「5秒に一発なんて……そんなの出来るのあなたくらいなものですよ……」


 俺はめちゃめちゃな話に面食らって呆れたが、ふと似たようなことをやらかしそうな爺さんの顔が浮かんで慌てて頭を振った。

 何はともあれ、車両が入り込むことが難しい山岳地帯で、歩兵が運用できる《最強の火力》というものが迫撃砲であることは、紛れもない事実。それを敵が効果的に利用しているというのは、一刻を争わねばならぬ事態である。 


「なるほど……話は分かりました。レウケアクテから運ばれる弾薬が増えているのはそういうことでしたか」


「どうやらそのようだね。まだ爆撃機が出てこないだけマシなんだけど」


「充分に厄介ですよ」


「そうなんだよ。下手すりゃ村ごとつぶされかねないからね。我々『ティルティス旅団森林狼』は君たちと違って大所帯だし、拠点にいることの方が多い。拠点近くには民間人も多数住んでいる」


「それで、村の防衛に徹している間に、身軽で隠密行動が得意な俺たちに探し出して叩けと」


「うむ、お願いできるだろうか?」


「かなり無茶な依頼だと思いますが……」


 迫撃砲部隊は最低でも一個小隊、15人はいるはず。それも、観測員を除いて、だ。それを俺たち二人きりで倒さなければならない。


「でも、君たち二人ならできるだろう?」


 あの「高原の狼」の秘蔵っ子で「茂みの悪魔」の愛弟子なんだから。そう言われてしまえば何も言えない。

 元より、上から命令すれば良いところを、俺たちの同意をわざわざ求めてくれているのだ。それだけ尊重も信頼もされているとなれば、その期待を裏切ることなどできはしない。


「どうせ俺たちにYES以外の選択肢はないんでしょう? 隊長の許可も取っているそうですし」


 それに、危険で困難とはいえ、通常の戦闘行動の範囲内だ。民間人を巻き込みかねない破壊工作や、暗殺などの汚れ仕事でないのだから、固辞する理由もないだろう。隊長が許可したということは、俺たちなら必ずできると判断したはず。


「君たち自身の同意があれば、という条件付きだよ。まったく、いつまで経っても過保護だねぇ」


 そう笑うハキム師に苦笑を返して頷いたところで扉の向こうがにわかに騒がしくなった。ばたばたと鳩と相棒が飛び込んでくる。

 一体何があったんだ?

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