林間の蜘蛛

 今日も訓練が終わると情報収集だ。山や街の防犯カメラのデータやSNSの投稿を一通り確認して、何か変わった兆候がないか確認する。


「レウケアクテからアルビタールへの輸送が増えているな……」


 それも燃料ではなく弾薬ばかり。となると……


「空爆はないな。この山の中で何かやらかすつもりか」


 隊長に早めに報告しておかなければ。いくつか俺の予想を裏付けるような目撃談やデータを集めて資料にまとめ、席を立とうとしたところ……


――ピコン――


「DM? いったい何だ?」


 何気なくメッセージを開けて凍り付いた。


――派手な花火がお好きなようだが、くれぐれもご用心を――


「……っ!?」


 先日の敵狙撃手か? 一拍遅れて画像が届く。一目見るや否や、頭の中が真っ白に。

 噴水を背景に、大きなバクラヴァ蜂蜜クルミパイにかぶりつく相棒イリムの姿。実に幸せそうな、屈託のない笑顔が眩しい。俺たちがいる山の麓の街、アルファーダに買出しに行った時のものだろう。

 やや高さのある建物の屋上かどこかから撮影されたのだろうか。見下ろすような角度が、いやでも狙撃手の視線を思わせる。


「!!」


「どうした!?」


 椅子を蹴るようにして司令室を飛び出した俺の後を仲間たちの声が追いかけるが、何も耳に入らぬまま台所に駆け込んだ。今日は食事当番のはず……いた。

 目を丸くしている相棒イリムを問答無用で引き寄せ、鼓動を確かめる。


「ど、どうしたの?いきなり」


 腕の中にはたしかな温もり、耳もとにはとまどう声。彼の無事を確信して、ようやく頭が冷えた。

 フリーズしていた俺の脳が急速に機能を取り戻す。


「すまん。少し混乱していた」


「大丈夫?お水飲む?」


「ああ、頼む」


 相棒が渡してくれた水を一気に飲み干すと、大きく息をついてなんとか心を鎮めようとする。


「大丈夫?疲れてるんじゃない?」


 見上げてくる相棒の瑠璃色の瞳が気遣わしげに揺れていて、動揺した姿を見せたことを反省する。不安にさせてしまった。目標だけに集中させてやるのが俺のつとめなのに。


「ああ、問題ない。少し確認したいことがあるから、もう一度司令室に行ってくる」


 近々政府軍に何か動きがあるはずだ。それもこの山岳地帯のどこかで。狙いが何なのかつきとめて、友軍に危険が迫っているならば一刻も早く知らせて連携を取らなければ。

 ……あのDMを送ってきた奴も、何か関係があるかもしれない。


「もうすぐご飯だから手早くね。今夜はチキンをあぶったんだ」


「それは美味そうだ。遅れないようにする」


 相棒の笑顔に送り出されてまた司令室に戻ると、隊長がモニタを見つめて難しい顔をしていた。


「……取り乱しすぎだ」


「……はい、申し訳ありません」


「安全な拠点だからまだ良かったものの、これが前線だったら命取りだ」


「……はい」


 まったく、返す言葉もないとはこのことだ。今夜一晩しっかり頭を冷やさねば。


「……で? 報告にあった『敵スナイパー』か?」


 目顔でモニタを指して問うのは例のDMのことだろう。画面を開いたまま司令室を飛び出してしまったので、隊長もあれを目にしたに違いない。


「おそらく」


「かなり厄介な相手のようだな」


「はい。前回見られていただけならまだしも、こんなものを送りつけて来るとは」


「まぁ、割れているのは広報用に公開しているアカウントだ。特に偽装もしていないし、知られたところで痛くもかゆくもない」


「それは、そうですが……何故、彼の素顔が知られていたんでしょう?」


「宣伝動画によく出ているからな。それで当たりをつけたのでは?」


「いつも覆面をつけて撮影しています。それだけでは説明が」


「大方、街の周辺でうちの車をたまたま見つけて尾行したんだろう。気にするな」


「しかし……」


 どうしても不安がぬぐえない。いったいどうやって突き止められたんだろう。


「気にしても始まらん。そいつを見つけて始末すれば良いだけだ」


 やはり、それしかないのだろう。敵は、明らかに俺たちを狙っている。降りかかる火の粉は払わねば。


「……了解」


 隊長は言葉を飲み込むように瞑目して軽く息をついた。再び見開くと、いつもは鷹のように鋭い眼光が柔らかくなり、穏やかながらも力強い笑みを浮かべている。部下を死地に送り込む百戦錬磨の司令官ではなく、俺たちをいつも温かく見守ってくれる年長者としての顔。


「大丈夫だ。何の前触れもなく、この拠点が襲撃を受ける事はそうそうない。安心しろ」


 急にわしわしと頭を撫でられて面くらった。そんなに不安そうな顔をしていたのだろうか。


「あいつを狙うには、狙撃できる場所まで近寄らなければならないが……」


「ここは山頂ですから、見つかったら逃げ場がありませんね」


 隊長に言葉をつづけると、そうだろう?と微笑まれた。


「集団で攻めるにしても、山が入り組んでいて、機甲兵力を送り込むには足場が悪すぎる」


「……はい、普通のトラックですら通るのに苦労するくらいですから」


 この辺りは狭い切通きりとおしになった道が多く、急斜面もあいまって、慣れないものならジープですら通りにくい。

 まして巨大な戦車など、山ごと踏みつぶして来なければとても近寄れない。


「ほとんど崖だからな。歩兵をぞろぞろ送り込むにも、山登りしている間に俺たちが狙い撃てばいいだけだ」


「うちの陣地にいるの、狙撃兵ばかりですからね。重機関銃も対物ライフルもありますし。それに、近所には他の旅団の拠点がたくさんあるんだから、俺たちだけを相手にするわけにはいきませんし」


「ああ。大規模な空爆で他の仲間の拠点も含めて山ごと丸焼きにするならともかく、ここにいるのは広報含めて四十人足らずだ。しかも半数はよそに助っ人やら偵察やら撮影やらに行っていて留守。わざわざ航空戦力を出していては割に合わん」


「うちには榴弾砲も対空砲もありますからね。一方的にやられっぱなしにはなりませんし。もっとも都市防衛のための兵器ですから、そうそう気軽に動かすわけにはいきませんが」


 どちらの砲塔も俺たち組織の重要な都市であるアルファーダとサラフット、バシールに向けて固定してある。都市に近づく敵軍がいれば、他の地上部隊と連携しながらここからの砲撃で進軍を阻むのだ。


「それでも奴らにとっては充分な脅威だ。全滅するくらいなら虎の子だって使うに決まってるからな」


「そうですね。ここを落とされれば都市が丸裸になってしまいますから、まずはここを死守しないと」


「全くだ。だいたい、今までだって奴らは何度も山まるごと焼き払う勢いで、空爆やら砲撃やらしかけてきたのに、ここを落とせたことは一度もないだろう?」


「ええ。いざとなれば洞窟陣地に潜んで奪い返せば良いだけですからね。出口をふさがれても、掘り進めて別のところから出れば良いし」


 石灰岩質のこの山地はとにかく岩窟が多い。一時的に拠点を追われたとしても、山に潜んで奪い返せば良いだけなのだ。ずっとそうやって戦ってきた。この5年余りの間で、俺たちが拠点から追い出されたことがあるのはほんの数日だけだ。


「だいたい、そんなに大規模な作戦があるなら必ず前兆があるはずだ。弾薬だけでなく、火器や機甲兵力のための燃料も運ばれるし、兵員の移動もあるはずだ。レウケアクテの基地に配備される航空戦力も増えるだろう」


「はい、たしかに火器や特殊燃料の輸送はありません。レウケアクテの航空戦力や、この辺りの歩兵が増強されたという情報も。ただ……」


「何だ?気になることでもあるのか?」


「はい、実は……」


 ちょうど報告しようと思っていた敵の動きについて資料を見せた。


「これだけ補給があるのに、特殊燃料のタンクは運んでいないのか」


「はい。付近の防犯カメラや住人のSNSも確認しましたが、タンクやドラム缶のようなものが運び込まれた形跡はありません。レウケアクテでも荷降ろしされていないようです」


「兵員の増強もなし……となると、空爆や機甲兵力はないな」


「やはり、迫撃砲でしょうか? あれなら持ち運びも楽なので、この辺りでも持ち込みやすい」


「問題はどこを狙っているか、だな」


「はい。わざわざ峡谷のど真ん中のアルビタールに持ち込んでいるということは、目標もアルターイラ山脈の中のはず」


「ああ、サフラットやバシールを狙っているならカミスあたりに持ち込むはずだからな」


「ならば、狙いはシビュラかファティラですか」


 心当たりの地名を上げると、隊長も納得したようにうなずいた。


「ああ、ほかの陣地を攻撃したくても、陸路じゃどちらかを通らざるを得ないからな」


「どちらの陣地も村に近い。間違いなく民間人が巻き込まれますね」


「さらに情報を集めて本命がどちらか見極めるのは当然として、今のうちに周辺の部隊に連絡しておこう」


「はい。何かあれば応援にすぐ出られるよう準備しておきますね」


「ああ、頼んだぞ」


 おそらくまた厳しい任務になるだろう。さっきのように取り乱してしまっては駄目だ。コンマ数秒の判断の遅れが生命を落とす結果になる。俺にとっても、相棒にとっても。

 あくまで冷静に、何があっても惑わされることのないようにしなければ。

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