尾根の葡萄(ブドウ)(4)
作戦開始を前にいよいよ顔を出した秘密兵器。
それは
故郷から隊長が持ち込んだ古い重機関銃の素体に、
いつも使う狙撃銃の倍はあると思う。銃身の長さも……そして弾の大きさも。
弾――今回は、これに一つ問題があった。
「本当にこれを使うんですか?」
相棒が眉間に皺を寄せて振り返り、広報担当者を睨んだ。彼の手からはみ出す程の大きな弾の先端には、くっきりと赤のライン。
曳光弾だ。
「ええ、ぜひ。せっかく常人では成しえない狙撃ですから、しっかり撮影して皆さんに見ていただかないと」
狙撃に入る前に、相棒は広報と最後の確認をしている。
今回使うことになっている曳光弾は、飛翔しながら光りを放ち、弾道を確認するために使われてる弾だ。機関銃とか、たくさん弾を撃つ銃が、どこに弾が飛んでいるのかを目で見るためのもの。
すごく目立つし、こちらの居場所がわかってしまうので、本来は狙撃に使うようなものじゃない。
「……どうしても、ですか? こちらが発見されて反撃を受ける可能性もあるし、曳光弾は徐々に燃えて弾頭の重量が変わるので、軌道が読みにくい。正確な狙撃を行うならやはり通常弾で」
「それじゃ弾の軌跡が撮れないじゃないですか」
「しかし、そのせいで作戦が失敗しては本末転倒です」
無口な彼にしては珍しく、いらだちをあらわに言い争っている。
確かに曳光弾を使うことのリスクは大きい。飛びながら重心が変わるから軌道も安定しないし、一発撃てば確実にこちらの居場所が知られてしまうので、絶対に初撃で相手を仕留めなければならない。
でも、そんなことは作戦を立てた時からわかっていたわけで、それでもできるって判断したからこそ隊長の許可がおりたはず。
「だいたい、あなた方にも危険が及ぶかもしれないんですよ? こちらの位置がはっきりわかってしまうんだから」
「これだけ離れていれば反撃はないでしょう」
「ドローンや迫撃砲がないとは言い切れません」
「奴らに砲兵部隊がいないことは既に分かっています。あなただって調査に参加したでしょう?」
「しかし……」
焦りといらだちが
作戦前は、いつもの優しい落ち着いた声を聴かせてほしいのに。彼の柔らかな低い声を聞いていると不思議と心が鎮まって、任務だけに集中できるんだ。
「大丈夫、行けますよ」
「馬鹿、安請け合いするな。お前が一番危険なんだぞ」
彼には似合わぬとげとげしい声をもう聞きたくなくて、つい話をさえぎってしまった。隊長が僕たちならできると判断したんだ。やってやれないはずがない。
それに……
「大丈夫、僕には君がついてるもの」
「……っ」
「君が、必ず成功するように、ちゃんと計算してくれるでしょ? だから大丈夫」
「……」
「頼りにしてるよ、相棒」
しっかりと目を合わせてきっぱり言うと、彼は一瞬目を大きく見開いて息を飲んだが、やがて目を閉じて深々とため息をついた。そのまま一回大きく深呼吸。再び目を開いた彼は、いつも通りに力強く微笑んでうなずいてくれた。
「わかった。任せておけ」
「そう来なくっちゃ。それじゃ、早速とりかかろう」
僕の大好きな、穏やかで力強い声。波立ちかけた心がようやく臨戦態勢に入った。
手早く銃を構える……のではなく、二人がかりで設置していく。あくまでもゆっくり、あわてないで。
「ここだとそこの枝が風に揺れた時に射線に入りかねないな。もう少し右だ」
「あ、うん。……ちょっとあの葉っぱが邪魔かも。二、三枚くらい、むしっちゃってもバレないよね?」
林の中、風に揺れる木の枝はもちろん、木の葉一枚だって射線に入らないように細心の注意をはらって慎重に設置する場所を調整する。発射された弾が1°でも狂えば、2000m先では35mもズレが生まれる。葉っぱ一枚でも立派な障害物になるのが、
ようやく場所が決まると、僕は
這うようにしてかたわらまで来た彼は銃身の上に細長い水平器を当て、中の気泡をじっと見つめている。慎重に左右の傾きを確認し終えた彼は、「よし」と満足げに頷いた。右側に排出される薬莢を避けるよう、僕のすぐ左横に身を横たえる。ぴったりと寄り添うように、互いの吐息すら感じる距離。伝わって来るかすかな温もりが、ざわついていた心を穏やかに鎮めてくれる。
僕の気息が整ったころ合いを見計らい、彼は大きな単眼鏡を覗き込んだ。
レンズに接した彼の目がすぃっと細められ、鋭利なナイフよりも鋭くなっていく。その横顔は、僕が名を呼ぶとちょっと困ったように柔らかく笑ういつもの彼とは違う。
そう。僕の良く知っている優しい
「どうした?」
怪訝な色を浮かべた彼の瞳が、僕を見た。底知れぬ湖の底のような蒼い瞳。思わず吸い込まれそうになって慌ててかぶりを振った。浮かびかかった余計な思考を不安と共に振り払う。
「な……何でもない」
僕はスコープを覗き込んで呼吸をゆっくり、細く吐いていく。両足を大きく開き、左膝を曲げて左胸を地面から少しだけ浮かせる。心臓の鼓動が上半身を揺らすのを少しでも抑える、僕だけの秘密のコツ。
――よし、大丈夫。これなら行けそうだ。
軽く息を吐きながら彼に合図を送る。
「それじゃ、任せたよ。相棒」
「任された」
彼の声を最後に、僕の意識はすぅっと任務だけに集中する。世界からよけいな色がすっかり抜け落ちて、狂ったように撃ち続ける重機関銃の音も遠ざかる。目標と銃と、彼の声だけが意識の全て。
「目標、敵
彼の低い囁き声が、耳からするりと入り込み、そのまま脳へと浸透していく。ゼロイン距離から必要な照準修正を行うと、銃身がやや上を向く。しっかりと息を深く吸うと、吐き出す途中で軽く止め……
見えるのはスコープの中の目標だけ。脳裏にはこれからこの弾がたどるべき道がくっきりと浮かんでいる。
「撃て」
ため息のように小さく漏れたささやきに、僕は静かに引き金を絞った。
僕の右肩が蹴飛ばされたような衝撃と同時に、視界がぐにゃりと空間ごと歪む。
古いタイヤがパンクしたような気の抜けた音と共に、
僕の目に映ったのは、赤く輝く弾頭が上方に飛びたつ瞬間。スコープの視界から姿が消えたのは、狙い通りに山なりの弾道を描き始めた証拠。
強烈な反動を受け止めた直後の僕には、もう弾の軌跡を追うことは出来ない。でも不安は全くない。
かすんでいく意識の中、僕はこの世界で誰よりも、心の底から信じている、自慢の相棒の声をじっと待った。
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