電網の雀
休暇から帰ってきてからというもの、相棒は熱心に司令室のパソコンをいじっている。隊長直々にIT技術を仕込まれた彼にとって、メディア部門の仲間と協力して部隊の紹介動画を作成し、SNSで拡散するのも任務のうち。他にも敵対組織や政府軍の情報を探っているらしい。
森の中の基地だって衛星軌道から丸見えになってしまう現代では、有名な地図サービスに僕たちの陣地がしっかり載っていたりする。そこに支援者や敵からのレビューが書き込まれたりしているくらいなんだから、今さらコソコソ隠れることにあまり意味はない。
だから、情報戦の重点はむしろプロパガンダの
「また情報のお仕事?」
「ああ、ちょっとな」
「あんまり根を詰めないでね」
「わかっている。やりすぎると視力も落ちるからな」
彼ももうだいぶ長い間モニターとにらめっこしている。時々首を回している様子を見るに、そろそろ休憩時間にした方が良い気がして、チャイを淹れて持ってきた。そのままデスクの後ろに陣取って肩をもんでみる。
「こら、手元が狂うからやめろ。パソコンに茶がかかったらどうするんだ」
「じゃ、ちょっとでいいから休憩しようよ。お茶飲む間だけでいいからさ」
「まったく、せっかく集中していたのに」
文句は言われたけれども、声が少し笑っている。どうやら機嫌は良いみたい。
軽くのびをしてからモニタの前を離れてラグの上に座ってくれたので、菓子を入れた皿を持って来た。
「今日は何をしていたの?」
「ああ、SNSで簡単な情報収集をしていた」
ぽすん、とクッションを抱えて隣に座り込んでたずねると、嫌な顔ひとつせずに答えてくれる。あまり表情は変わらないけれど、雰囲気が少し柔らかい。チャイのカップを両手で包み込むように持ってゆっくり味わいながら、時おりあつあつの
「そうなの?」
「ああ、近況や身近な連中との話をSNSに載せてしまう戦闘員もいるからな。やりあってる相手が隙を見せてくれているなら、そこにつけこんで拡散してやらないと」
「どういうこと?」
「SNSなら特に知識や機材がなくても自分で情報発信ができるだろう?」
「本当に便利だよね。ちょっとした時間で投稿できるし、知らない人ともつながれるし」
「その分、重要な機密を全世界に垂れ流してしまう間抜けがいるから要注意だ」
「え、何それ」
意外な言葉に目をぱちくりさせていると、少しだけ苦笑いされてしまった。彼は口の中の菓子をこくりと飲み込むと、子供に言い聞かせるような口調で説明してくれる。
「SNSで仲良くなった『知らない人』が政府軍や敵対組織、どこかの国の諜報員かもしれないだろう?」
「あ、そうか」
「それに、戦闘で亡くなったむごい状態のご遺体の写真を亡くなった人を冒涜するような言葉が添えてアップするような奴がいたら、そいつのいる組織のイメージは地に落ちるよな」
「当たり前だよ。正しいかどうかは別として、一生懸命戦って亡くなった人を笑うなんて絶対にダメだ」
前線で目にした遺体を思い出して、心が重く沈んでいく。どんな思想信条にせよ、自分の信じるもののため、守りたいもののために命がけで戦って亡くなった人を笑い物にするなんて、絶対にゆるせない。
「それが敵であっても?」
「もちろんさ。敵になってしまった以上、殺しあわなければならないこともあるけど、亡くなったらその人はもう神様のもとにいるんだから。裁いていいのは神様だけだ」
そりゃ、社会を維持するためにルールが必要なのも、それを破った人に対して制裁が加えられるのも仕方のないことだ。でもそれはあくまで人の世界のこと。亡くなって神様のもとにいる人のことを生きている人間がどうこう言うのは間違っている気がする。
勢い込んでそう言うと、彼は「お前ならそう言うと思った」と少し表情を緩めてうなずいてくれた。
「それなのに、あまり考えずにノリで投稿してしまう奴は至る所にいるんだ。だから、敵の構成員のうかつな発言を拾い上げて確認している。敵の動きを推測して作戦に役立てたり、イメージの悪い投稿を拡散して支持を落としたり」
「そっかぁ。……なんか、正々堂々と戦わずに相手の粗探ししてるみたいで、あんまり気が進まないね。イメージ悪い発言を拡散するのもちょっといやらしい感じだし」
戦争なんだからそんなこと言ってられないのもわからなくもないんだけど、やっぱり気分が悪い。敵とは言え、人の脚を引っ張るような戦い方って神様があまりお喜びにならない気がする。
「そうかもしれんが、逆に敵の継戦能力をそぐことができれば直接戦闘しなくても済むようになるだろう。結果的に敵味方とも傷つかずに済むんじゃないか?」
「それもそう……なのかな?」
「やはり、できることなら死者は少ない方が良い。敵も味方もな」
「そっかぁ……うん、そうだね」
「逆に言えば、こちらも付け入られる隙を作ってはならない」
「それでうちの部隊じゃSNSに投稿する時は必ず隊長か君に立ち会ってもらって、許可のある発言しかしちゃいけないって決まりになってるんだね」
これは納得。ちゃんと勉強してて、ネットにあげていい情報と危険な情報の区別がつく人にチェックしてもらってからの方が安心だよね。自分の軽率な発言のせいで、大事な仲間が怪我をしたり生命を失うようなことになるのは絶対に嫌だ。
「ああ。かなり窮屈だとは思うが、仲間を守るためだ。辛抱してくれ」
「大丈夫。うちの部隊は人数も少なくてみんな家族みたいなものだから、文句言う人もいないし」
「……ああ、そうだな」
あれ?珍しくちょっと歯切れが悪い。何かあったのかな?
「さて、そろそろ仕事に戻るか」
お茶を飲み終わった彼がお盆にカップを戻して立ち上がったので、僕も自分の仕事に戻ることにする。画面を立ち上げた彼は、さっそく何か検索をかけている。
「こら。人の仕事をのぞいてないで、そろそろ自分の仕事に戻れ」
「はぁい」
僕も車両と武器の整備に取り掛からなくっちゃ。
司令室を出る時に振り返ると、彼がすぅっと目を細めてモニタを見据え、猛烈なスピードでキーボードを叩き始めた。きっと「敵」を見つけたのだろう。
こんな時の彼は研ぎ澄まされた刃のように鋭くて、近寄りがたいけれどもとても美しい。きっと今はいつもの渓谷じゃなくて、電網世界の仮想空間で敵を着実に追い詰めているんだろう。
つい見とれていると、こつりと軽く拳が脳天に当たる感触があった。後ろを見上げると隊長が苦笑しながら拳をぐりぐりと押し付けている。
「こら。さぼってないで、お前も自分の受け持ちに戻れ」
「はい、ごめんなさい」
上目遣いで謝ると、隊長は少しだけ笑みを深くして僕の背中を軽く叩いてくれた。
「あいつも放っておくとすぐ根を詰めるからな。後でまた適当な時に休憩させてやってくれ」
「……っ! はいっ!!」
ああ。やっぱり僕たちのことをちゃんと見ていてくれるんだな。心のなかでこっそり父親みたいだと思っている隊長の、さりげない優しさに心が温かくなる。
「その前に、お前の受け持ちはきちんと終わらせておけよ」
「は、はいっ!!」
しっかり釘をさしてくるところもお父さんみたい。いつも見守っていてくれてありがとうございます。
隊長の信頼を裏切らないためにも、しっかり自分の役目を果たさなくっちゃ。
最後にもう一度だけ彼のきりりと引き締まった横顔に目をやって、司令室を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます