山の柘榴(3)

 俺たちが誘い込んだ空き店舗で追跡者を待ち構えていると、慌てたようにさっきの男が入ってきた。どこかで見たような顔だ。

 ……と思う間もなく相棒が声を上げた。


「久しぶり」


 硬く乾いた声にいつもの弾むような響きはどこにもなく、生き生きと輝く瞳も昏くよどんで別人のよう。彼にこんな表情をさせるとは、こいつまさか……


「けっ。相変わらず女みたいなナリだな、この軟弱もの」


 だいぶ面変わりしていて見違えたが、間違いない。彼の兄を殺した男……彼が生まれて初めて命を奪った相手の弟だ。兄にそっくりな容貌に、兄には似ない下卑た表情。


 敵は軽く鼻で嗤うと獲物を抜きながら床に唾を吐いた。

 ナイフよりはいくぶん大きいが、鉈と言うにはやや小ぶり。独特の形状の山刀は山深い故郷の特有のもの。こんな形で懐かしいものを目にしたくはなかった。

 ゆらりと構える姿は意外にもサマになっている。それなりに鍛えてきたのだろう。そういえば、こいつは幼いころからよく父や兄について行っては山で狩りの手伝いをしていたのだった。


「僕はれっきとした男だし、とっくに成人して一人前の戦士だ」


「どうだか。どこからどう見ても、ガキか女にしか見えねえよ」


「もう成人した男だからこそ、誓約ベザを果たすことができた。君が僕を追うのもそのせいだろう?」


「くそっ……何で兄貴がこんなふざけた奴にやられなきゃならなかったんだ」


「僕が君の兄さんの仇であることは否定しないけれども、君の兄さんは僕の兄の仇だ。そして兄は君たちの父さんの仇で、その君たちの父さんは僕たちの父の仇。お互いに誓約ベザを果たした結果に過ぎない」


「何が誓約ベザだ。こそこそこんな所まで逃げ回りやがって……」


 国が治安を維持しようとしないから、百年以上も前になくなったはずの部族法を持ち出して自分たちで秩序を守るしかなかった。仇討の誓約ベザもその一つ。身内の誰かが殺されたら、親族男子の誰かが誓約ベザを立てて仇を討ち果たさねばならない。仇を討つ側も討たれる側も、必ず一対一で戦うことを求められる。


「別に逃げ隠れしていたわけじゃないよ。僕は僕でやるべきことがあるだけ」


「うるさい。アルタンがここで見かけたって言うからはるばる来てやったって言うのに、だだっ広いし人は多いし……手間かけさせやがって」


 なるほど。じいさんの家に来た際、買出しに立ち寄ったのを村の出身者に目撃されたらしい。


「来てくれって頼んだ覚えはないよ」


「うるさい。お前さえ殺れば俺は村に帰れるんだ」


「君に僕が殺せるとは思えないけど」


「何を!?」


 頭に血が上った奴はいきなり斬りつけてきた。彼は軽く体を開きながら山刀を握った右手を払う。しかし、奴は体勢を崩すことなく、そのまま左拳で殴りつけてきた。慌てず右腕を立てて受け止めると、今度こそ振り払う。奴はその勢いに逆らわずに後ろに飛んで体勢を立て直す。

 くそっ。掟の制約がなければこんなやつ俺がすぐに叩きのめしてやるのに。


 緊迫した空気に、何か異物が混じった。ぞくりとするようないやらしい殺気。視線をやるとこみいった民家の壁に隠れてこちらを猟銃で狙う男。


「!!」


 気取られぬうちに身を低くして、別の戸口からするりと建物を抜け出す。幸いなことに、猟銃の男の視線は相棒に集中していて、俺の動きには気づいていないようだ。

 そのまま路地を回り込むと、隣の建物の屋根に飛び乗り、敵の様子をうかがった。背中ががら空き。


「素人め……山の獣を狩るのは慣れていても、人間を相手にするのは慣れていないようだな」


 心の中でひとりごちると、音もなくとびかかって敵を押さえ込む。そのまま気道を締め上げるとほんの数秒で昏倒させた。


「お前らがカヌンを破るのであれば、俺だって容赦はせんぞ」


 奴の使っていた猟銃を取り上げるとボルトをがしゃりと動かして、弾丸を全て抜き取ってしまう。

 全てポケットにしまいこんで、しっかりボタンを留めてから店の様子をうかがうと、今は敵と化した幼馴染が彼に斬りつけるところだった。


 気合一閃。斬り上げてくる山刀を彼が紙一重で避けてから腹を蹴り上げるが、奴は蹴られた勢いを利用して後ろに跳び、距離を取った。


「くそっ……ちょこまか逃げやがって」


「逃げてるわけじゃないよ、軽く受け流しているだけ。君も意外にやるからびっくりしちゃった」


「ふ、ふざけやがって……っ」


 本気で感心した口調に、かえって相手が逆上したようだ。


「むやみに生命を奪いたくないし、あきらめてくれるとありがたいんだけど」


「冗談じゃねぇ!! 俺はお前を倒さないと、家には帰れないんだ!!」


「仕方ないなぁ……」


 心底嫌そうにつぶやくと、「今度こそ」とばかりに突っ込んできた奴の山刀を持ったままの右手を軽くつかみ、相手の勢いのままくるりと半反回転しながら軽く突き放した。そのまま前のめりにバランスを崩した奴の背にかかとを落とす。


「ぐはっ」


 そのまま倒れこんだ奴の背に馬乗りになると、腕をねじり上げた。


「くそっ……放せっ……」


「ごめんね、僕は君に殺されてあげるわけにはいかない。もう誓約ベザに縛られるのは僕たちで終わりにしたいんだ」


 困ったように微笑みながらも、手早く敵の両手を後ろ手にねじり上げては結束バンドで拘束する。


「お前が死ねばお前の家の男子は死に絶える。そしたら誓約ベザの連鎖もそこで終わりだろ」


 哀しげに告げる彼を奴は憎々しげに睨みつけた。子供の頃から下に見ていた相手に手も足も出なかったのが悔しいのだろう。


「まだ姉さんたちや妹が残っている。彼女たちに女性としての人生を捨てさせたくはないんだ」


「はぁ!? 女子供は誓約ベザの対象外だろうが」


「宣誓処女は成人男子と同様に扱われる。彼が死ねば彼女たちの誰かが宣誓して家を継がざるを得まい」


 あまりの話の通じなさに、つい呆れて口を挟んでしまった。

 宣誓処女とは女性が生涯男性として生きると宣誓を立てること。女性に相続権のなかった数百年前にできた慣習だ。当然現代ではそんなものは廃止されていたが、部族法が復活した時に宣誓処女の習慣も掘り返された。


「僕を殺しただけでは誓約ベザの連鎖は止まらないよ」


 穏やかに諭されて、奴は今はじめて気が付いたとばかりに息を飲んだ。そういえばこいつはよく彼の妹にちょっかいをかけては嫌がられていたな。


「もともとは報復を仇本人に、仇を討つ人間を被害者親族の成人男子一名に限定することで際限のない報復合戦を防ぐため作られたはずの誓約ベザが、結局は復讐と憎悪の連鎖を生んでいる。皮肉なものだ」


 俺が嘆息すると、奴は悔しそうに顔を歪めた。


「心配しなくても僕はそう遠くないうちに死ぬよ。僕たちのような末端の戦闘員が長生きできるほど戦場は甘くない」


 硬い表情のまま、彼が淡々と言葉を継ぐ。そう、彼はずっと死に場所を探している。その思いがたまたま信仰とかみ合ってしまった。だから今、故郷を遠く離れて戦い続けている。


「な……お前まさか……」


「心身ともに清いまま神のために戦って神の御許みもとに行く。それが僕の望みだ」



 呆然とする奴に淡々とした口調で告げる。感情がこもっていないだけに、その決意が重い。


「お、お前に戦闘員なんかつとまるもんか。どうせ下っ端の運び屋かなにかだろ」


「どうだろね? 少なくとも君よりは強いみたいだよ?」


 負け惜しみのように否定する奴に、さほど興味もないように告げればぎりりと歯を食いしばる。


「くっ……通報してやる……っ」


「どうぞご自由に。ここにはアリアナからシェミッシュ政府軍への援助を偵察に来ただけだから、知られて困るような秘密もない。当局が駆けつける前にはこの街を去るから、通報されたところで痛くもかゆくもないよ」


「……クソが……っ」


「それとも僕と戦いに砂漠まで来る? いつどこに砲弾が降ってきてもおかしくない世界だけど、いつでも相手してあげるよ」


「……っ」


 通報するならすれば良い。どうせお前には手も足も出ないだろうし、こちらも最初からまともに相手にはしていない。現実を突きつけられてようやく住んでいる世界の違いを悟ったのだろう。奴は虚を突かれたように押し黙った。

 一口に死が身近にある環境とはいえ、「大きな事故や事件に巻き込まれれば生命はない」ところと「常に死の危険と隣合わせになっていて、まだ死んでない方が不思議なところ」ではまるで違う。


 もう放置しても彼に害をなすことはないだろう。ようやく静かになった奴の腕に、メディカルキットから出した麻酔を注射した。


「何を……」


「しばらく眠ってろ。三時間もすれば薬は切れる。通報したければすれば良い」


「くそ……」


 悪態をつきながらも意識を手放したところを確認してから拘束を解く。屋内だからこのまま放置しても凍死することはないだろう。

 念のため、店から出る前にリバーシブルの上着をひっくり返して派手な色を表に出す。更に小柄な彼は大判のスカーフを巻いて髪と顔を隠し、性別を曖昧にした。これなら迷彩柄のマウンテンジャケットを着込んだ若い男の二人組を探している連中の目にはとまるまい。

 俺たちは簡単に身なりを整えると、足早に市場スークを立ち去り、じいさんの家へと向かった。

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