山の柘榴(2)

 急な斜面やまばらな林、だだっ広い草原を車で走ること一時間。


「こんな時間だけど、まだパン売ってるかな?」


「もう昼を過ぎてるからな。とりあえず市に向かおう」


 湖のほとりの街は、古代から隊商の中継地として栄えてきた。今も市場は観光客や近隣の街や村の住民でなかなかの賑わいだ。

 この地域の市場スークは大きな回廊のある建物の中に小さな店が所狭しと並んでいる。建物はステンドグラスで彩られた採光窓がふんだんにほどこされていて明るく、砂嵐が来ていても安全に買い物が楽しめるのだからありがたい。疲れたら広場の噴水の周りで一休みできるベンチもある。


「ほんと、何でもあるよねここ。あのヨーグルト美味しそう。あ、すっごく綺麗な吹きガラス」


「こら、今日は豆と肉を買いに来たんだろう。あとはパン」


「え~、綺麗なのに……あ、買われちゃった。」


 近隣の村々から持ち込まれた農産物や乳製品、色とりどりのフェタブリドの服や、この地域特産の精緻な手織り絨毯……珍しい品々に目を奪われてしまう。おかげでちょくちょく釘を刺して本来の用事を思い出させないと、相棒がふらふらとどこかに行ってしまいそうだ。


「もう、よそ見しないでさっさと行くぞ。パンが売り切れてしまう」


「は~い。ほんと、ここ、いっつもキラキラしてて綺麗だよね。魔法みたい」


「不吉なことを言うな」


「ちぇっ……単なるもののたとえじゃない。魔法なんてずっと昔になくなった……それ以前に本当にあったかどうかもあやしいんでしょ?」


「それはそうだが、気にする者は気にするからな。魔法狩りに遭いたくないだろう?」


「は~い」


 数百年前、暴走事故で既存の秩序をめちゃくちゃに壊してしまった魔法。今となっては実在すらも疑われているが、世界を破滅に導いた元凶として今も忌み嫌うものは多い。特にこの辺りの国ではたとえわずかでも魔法と疑われるようなことがあれば、当事者は魔法狩りにあってなぶり殺されるという。

 俺の危惧きぐを知ってか知らずか、相棒はのんきに市の人々に笑顔で話しかけている。


「あ、おばちゃん。このひよこ豆一キロちょうだい」


「あいよ。お兄ちゃん、見ない顔だね」


「うん、じいちゃんに会いに来たんだ」


「こんな山奥までわざわざ?」


「じいちゃんとこはもっと山の方だからさ。冬になると雪で行けなくなるから、今のうちに顔出しとかなくちゃ」


 この辺りは山が深く、雪が降ると周囲との行き来が困難になる集落も珍しくない。


「孝行者の孫を持って幸せなじいさんだね。ほら、すこしおまけしとくよ」


「わぁ、おばちゃんありがと。じいちゃん喜ぶよ。そういえば外のマフディさんのお店、しまってたけど今日お休み?」


「もうお歳だからね。店閉めてマナエのお孫さんと暮らすんだって」


「そっかぁ。この市場スークもだんだん閉まってる店が増えたね」


 そういえば建物の中にもちらほら閉まっている店が。代替わりしたくても、後継者がいなくて店を閉めざるを得なかったようだ。


「こんな田舎じゃ仕方ないさ。またおいで。安くしとくから」


「うん。またね」


 嬉しそうに袋を抱えて足早にやってくる姿は無邪気な少年そのもの。とても戦闘員どころか、成人しているようにも見えない。それは幼少期から続いた栄養不良の影響と言うよりは、彼のあまりにも無垢で天真爛漫な精神によるものだろう。実にほほえましく美しくもあるが、同時にとてつもない危うさも秘めた純真さ。いつか命取りになるのではないかと見ていて気が気ではない。



「……」


 ごった返す人の波の中、ふと誰かが俺たちを呼んだような気がした。こんなところに知己などいるはずもないのに。それともじいさんを訊ねてきた元教え子の誰かか?


「今の、感じたか?」


「うん、なんだかピリピリするね。味方じゃない気がする」


 彼の表情も曇りがちだ。さっきまであんなに楽しそうに輝くような笑顔を振りまいていたのに。

 自慢ではないが俺の相棒は勘が良い。狙撃手として研鑽を積み、戦い続けた結果なのだろうが、まるで野生動物のように敏感に他者の敵意や害意を感じ取ることができる。彼が「ピリピリする」と言っているのだから、悪意を持つ何者かがいることだけは間違いない。


「やはり、敵か?」


「アリアナ政府もシェミッシュ政府軍を支援してるものね」


 毎朝のように俺たちが陣取る山のふもとに爆弾の雨を降らせている飛行機は、この国から運ばれた燃料で飛んでいる。


「どこまで俺たちの事が知れているかわからんが、厄介だな」


「うん、始末しなきゃ」


「ああ、じいさんの家まで案内するわけにはいかんからな」


「それじゃ、あっちの」


「了解」


 できるだけ何気ない風を装いながら、人でごった返す市場スークの中を足早に移動する。かと思うと落とし物を拾うふりをして立ち止まったり、ふいに横道にそれてみたり。


「やっぱりついてきてるね」


「ああ。これだけ頻繁に早さや方向を変えているのに後ろにいるのは不自然すぎる」


 ポケットに手を突っ込んで歩く若い男。なんとなく捨てたはずの故郷を思い出す。

 あの国では成人したての若者は、みんなこぞってジーンズのポケットに手を突っ込んだまま歩いていた。


「そろそろ始末するか?」


「ここじゃだめ。関係ない人に怪我させちゃうよ」


「だったら空き店舗に誘い込むか?」


「そういえばマフディさんのお店、すぐ近くだね」


 顔を見合わせてうなずきあう。


「行くぞ」


 ごく自然に見えるように気を付けながら、店が建物の外に溢れるようにして連なっているごちゃごちゃした路地に入り込む。ところどころでパンなどを買い込みながら、じわじわと目的の店へと向かった。


「ふふ、こんな鍵じゃ数秒もたないよ」


 店の裏に回ると、勝手口の鍵をものの数秒で開けてするりと中に入る。商品も道具も何もかも取りはらった店は、人の気配がなくがらんと静まり返っていてものさびしい。

 さて、あちらさんはどう出てくるか。

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