山の柘榴(1)

 休暇でアラムに向かう途中、フェタブリドの新型武装偵察ヘリに追い回され、峡谷の中をさんざん逃げ回る羽目になった。狭隘きょうあいな地形と相棒の卓越した運転テクニックのおかげで、かろうじて逃げ切ることができたのだが……


「見て、杜松ネズの実がいっぱい!! おじいちゃんのところに持っていこう」


「まったく、九死に一生を得たばかりだというのに何を能天気な」


 呆れてたしなめようとも思ったが、星空を宿してきらめく紫紺の瞳を向けられると、無下にやめさせることもはばかられ。仕方がないので一緒に摘んで、さっさとカゴをいっぱいにしてやった。

 これでおとなしく出発してくれるだろう。運転席から調子外れな鼻歌が聞こえるのはご愛敬だ。


 俺は知っている。敵を振り切り「もう大丈夫」と微笑んだとき、彼の手が小さく震えていたことを。にじんだ涙を必死にこらえる姿に、一歩間違えば彼を永遠に喪っていたかもしれないと思うとぞくりと身体が震えた。そんなことになったら、俺はもう生きてはいられないだろう。

 この笑顔を守るためなら俺は誰とでも戦ってみせる。思わず愛銃を握る手に力が入った。


 人目を避けて山中を走ることしばし。うまく難民を装いながら枯れ川ワジを利用して国境を越えてしまえばどうということもない。祖父に会いに行くと言えば、道中の検問も難なく通過できたのでいささか拍子抜けした。


「見てみて、おまけにゼジェルイェナッツ入り人参ゼリーもらっちゃった」


「相変わらずちゃっかりしてるな」


 相棒がニコニコと愛想を振りまけば、街の人々も怪しむことはなく、順調に旅は進む。曇りのない笑顔が人の心をほぐすのは、どこの国でも変わらないらしい。

 任務も戦いも関係なく、イリムの屈託のない姿を見ている時だけ、俺も本来の俺自身グジムに戻れる気がする。


 山とは違ってまだまだ暑い平野を抜けて、標高が高くなるにつれどんどん気温が下がっていく。ついに俺たちがいつも戦っている渓谷よりも寒くなったころ、アリアナ国境を越えてさらに山に入ると、ガンスミスの爺さんが住む集落に到着した。


「相変わらず静かなところだね。また空き家が増えた?」


「仕方ない、こんな田舎だからな。おかげで詮索されずにすむ」


 山間のわずかに開けた谷間に広がるささやかな麦畑と放牧地に散らばる家々。人が住まなくなって久しいのか、崩れかけたものもある。その村とも呼べぬほどまばらな集落の外れ、ひときわ小さな家に爺さんは独りで住んでいる。ここなら、組み上げた銃の試し撃ちにだって困らないのかも知れない。



「おじいちゃん!! 久しぶり!!」


「おう、元気そうだな」


 出迎えたじいさんに嬉しそうに飛びつく姿はまるで人懐っこい犬がじゃれているよう。どこにでもいる祖父と孫のほほえましい光景だ。この老人を誰が「茂みの悪魔」の異名を持つ歴戦の戦士と思うだろうか。じいさんの顔の傷痕は深く刻まれた笑いジワに隠れ、鋭い眼光は柔らかな眼差しに覆われている。


 彼の故郷ティルティスは遠く離れた草原の国。もう三百年近くもの間、大国リニャールの支配を受けている。耕作には向かない小さな国だが、豊富な地下資源を有するかの地をリニャールは意地でも手放さず、自分たちに従順な政治家を送り込んでは国民を洗脳して支配を強めている。一方、独立を求める声はいくら抑圧されても強まる一方で、もういつから始まったとも知れない内戦が途切れることなく続いているのだ。

 じいさんも独立派の戦士として数々の戦場に立ち、絶望的なまでに不利な戦況をその卓越した戦術眼と指揮能力で何度もひっくり返してきた。現役時代の確認戦果はゆうに四百を超える、伝説的な指揮官にして名狙撃手。寄る年波で前線に立つのが心もとなくなって引退したが、今でも凄腕のガンスミスとして仲間たちを密かにサポートしている。彼の改造の腕前は、まるで魔法のようだと言われている。


「ほら、土産だ」


 杜松ネズの実がぎっしりつまったカゴを渡すとずしりとした重みに相好を崩した。


「こりゃまたずいぶん摘んできたな。ありがとよ」


「来る途中であいつが見つけたから」


 そっけなく伝えると、お前も摘んでくれたんだろう、とわしわし頭を撫でられた。まったく、初めて出会った時からこのじいさんにはかなわない。


「いつまでも子ども扱いしないでくれ」


 一応、二人ともとうに成人しているのだが。


「クチバシの黄色いひよっこがいっぱしの顔を。ワシから見ればまだまだケツの青いガキだ」


「おじいちゃん、僕たち東洋系じゃないからお尻は青くないよ」


「そういう問題じゃない」


 ずれたツッコミをする相棒をたしなめると、じいさんがふと真顔になった。


「で? 何か壊れたか?」


「いや、いつものを頼みに来ただけだ」


「そうか」


 軽く息をついたじいさんの顔がわずかに穏やかになる。どうやらかなり心配をかけていたらしい。


「うん、定期的に見てもらわないと心配だからさ」


「ついでにじいさんの顔を見に来た」


「わかったわかった。見てやるからさっさと入らんか」


 じいさんは俺たちを斜面に貼りつくようにして建っている、今にも崩れ落ちそうな小さな家に招き入れた。柘榴ザクロの果樹園に囲まれた、石を積んで泥で固めた簡素な小屋。中は小奇麗に片付いていて居心地は良さそうだ。

 入ってすぐの土間は台所を兼ねていて、居間には古びたじゅうたんが敷かれている。壁際に申し訳程度の食器棚。壁には所狭しと調理器具が吊るされている。奥にはじいさんの寝室と、その隣は物置だったはず。


「あれ? 納戸が片付いてる。じゅうたんも新しいね」


「こら、よそ見をしてないでさっさと来い」


 地下に降りると食糧庫で、日持ちのする野菜が吊るされているほか、しっかり乾燥させた乾草が積んである。冬の間のロバの食料だろう。爺さんが壁際に積まれた乾草を脇にどけると、そこに顔を出す小さなドア。


「わあ、秘密基地みたい」


 前に来た時にも見たはずなのに、現れた工房にのんきに歓声を上げる相棒。じいさんも苦笑気味だ。


「まったく、いくつになっても子供みたいな奴だ。この調子で何かヘマやらかさなきゃいいが」


「大丈夫、俺がついている。じいさんに仕込んでもらったのは伊達じゃない」


 俺たちが故郷を離れ、あの砂の国にたどり着いて最初に指導を受けたのがこのじいさんだ。紛争地帯に生まれ育ち、いっぱしの戦士気取りだった俺たちは、銃の持ち方はもちろん、歩き方からきっちり基本を教え込まれ、心得違いを思い知らされた。

 それだけではない。毎日しっかりと聖典を読み込み、神の教えや礼儀作法を叩きこまれる。この教室には地元の子供たちも通っていて、俺たち若い戦闘員候補は彼らの世話もさせられた。そうしてただの人殺しではなく、神の戦士としてふさわしい技量と精神を育ててもらって初めて部隊に配属される。


「大丈夫だよ。僕だっておじいちゃんに教えてもらったことはちゃんと守ってる。国境越える時にフェタブリドのヘリに追い掛け回されたけど、この通りピンピンしてるもの」


 笑顔で余計なことを言い出す相棒。案の定、じいさんの顔色が変わった。


「なんだと!? この頃出るとは聞いていたが、まさか襲われるとは……奴らの標的は民族連合だろう?」


「うん、僕たち解放同盟とは中立の関係にあるはずなんだけど、見間違われたのかもね」


「見間違われたかもね、ではない。いったいどうやって撃退したんだ?」


 能天気な相棒の答えにじいさんが渋面になる。


「えっとね、敵が機銃撃ちそうってタイミングでね……」


「俺が機銃を掃射するタイミングを見計らって合図して、こいつが避けた」


 要領を得ない相棒に代わって簡単に説明する。できるだけ大したことのないように、軽く言ったつもりだが、残念ながら通用しなかったようだ。


「避けたって……簡単に言うな。それだけで逃げ切れる相手ではなかろう?」


「うん、ロケットランチャーRPGのニセモノ見せたらびっくりしてくれて」


「とっさに適当な鉄パイプと壺でダミーを作ったんだ。相手がひるんで上空に逃れた隙に木立の間に逃げ込んだ」


「開戦直後に爆破された鉄道橋がそのままになっているでしょ? あの辺りの瓦礫と地形を利用したんだ」


 ニコニコしながら「ね、頑張ったでしょ?」と目を輝かせている相棒と、渋面のまま固まっているじいさん。俺は内心冷や汗をだらだらと流しながら、必死に平静を装っている。

 恐る恐るじいさんの顔色をうかがうと、深々とため息をつきながら「いばるな、運が良かっただけだろう」と呆れたように言われてしまった。


「……まぁ、とにもかくにも無事に来てくれてよかった。くれぐれも無茶はするんじゃないぞ」


「もちろんだよ!」


「ああ、約束する。絶対に無茶はしないし、自分たちの手に負えないと判断したら仲間と連携して隊長の指示を仰ぐ」


「だといいんだが」


「とりあえず任務に関しては大丈夫だ。俺が保証する。任務に関しては、だが」


 実際、任務の際の彼の集中力は尋常ではない。ひとたび標的の姿をとらえたら、確実に仕留めるまでは他のものはいっさい意識にのぼらないほどだ。


「もう、それじゃ僕が任務以外じゃぽんこつみたいじゃない」


「ああ、礼拝もちゃんとやってるな」


 信心深さでいえば、おそらく部隊一だろう。


「よしよし。それは感心」


 爺さんは目を細めて相棒の頭をわしわしと撫でると、俺たちの武器を預かって工房の扉に手を掛けた。


「ワシの仕事が終わるまで邪魔はするな。食料は適当に使って良い」


 一瞬振り返って言い置くと、そのままランプを片手に中に入っていく。


「わかった。表の柘榴ザクロも収穫しちゃっていい?」


「好きにしろ」


 既に作業に集中しているじいさんのおざなりな声に二人で顔を見合わせて頷くと、カゴを持って庭に出る。大きなカゴには熟れた柘榴ザクロ、小さなカゴにはそこらに茂り放題のミントやバジル、それからキノコ。次々に摘んではいっぱいにしていく。


「かなり採れたな」


「うん。夕飯のオムレツに入れよう」


 じいさんはあの調子だと全ての武器の調整が終わるまで工房から出てこない。早めに街まで行って夕飯の買出しを済ませてしまおう。

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