谷間の杜松(ねず) その3

「ヘリだ!!」


 空気をびりびりと震わせて、渓谷の上に現れたもの。それは胴体の先に機銃を突き出した、最新型の重武装偵察ヘリだった。回転する翼の下にある胴体は細く、焦げ茶色と緑色のまだら模様がまるで蛇みたい。腹に輝くフェタブリドの紋章がまがまがしい。


「ちっ……言ってるそばからこれか……」


 頭の方からツンと突き出た棒のような機関砲を、僕の自慢の眼が鮮明に捉えて、ぞわりと恐怖がこみ上げる。


「お願い……このまま通り過ぎて!」


 思わず祈るようにつぶやいてしまう。隊長が言ってたんだ。ヘリと戦闘機には、絶対見つかっちゃダメだって。


 

 すごい速さで頭上を通過していくヘリは、突然機体を大きく傾けた。太陽の光を反射してコックピットのガラスがきらりと瞬き、僕は悟った。


 ああ、見つかっちゃったんだ……って。



「逃げるよ。しっかりつかまって!!」


 鋭く告げて、アクセルを一気に踏み込む。助手席の彼はするりと窓から身を乗り出した。このまま幹線道路を走っていては危険だ。木々の間におんぼろトラックがかろうじて入り込めそうなすき間がいくつかあるから、隙を見てそこに逃げ込むしかないだろう。

 相棒スポッターははるか上空にいるヘリの鼻先を凝視している。機銃掃射の寸前、束ねられた銃身が回転するその瞬間を見極めようとしているのだ。


「来るぞ、右によけろ」


 彼の言葉通りにハンドルを切ると、轟音とともに、おんぼろトラックのすぐ脇を機関銃の雨が通り過ぎる。大地がはじけ、土煙と共に大量の小石が巻き上げられた。


「次、左!」


「了解っ」


「今度も左」


「あいさ!」


「次は右だ」


「よっしゃ!!」


 彼の指示に従ってハンドルを切ると、次の瞬間にはすぐ脇の地面が激しくえぐられる。その度にバチバチと物凄い音が車内を駆け回って、これは銃弾が当たった音なのか、弾き飛ばされた石なのか、僕にはもう分からない。まだ生きてることが不思議なくらい、僕たちはめちゃくちゃに撃たれまくってる。

 幸いなのは、ここが峡谷を縫うようにして走る山道だということ。こちらも走りにくいことおびただしいが、あちこちで両側に崖が迫って来るので、ヘリも入り込めず、高度を取らざるを得ない。高地仕様の最新型武装偵察ヘリだって、空を飛びながら動き回る車に弾を当てるのはそんな簡単じゃないみたい。

 相棒のおかげもあってこのまま逃げ切れるかもしれない。


 ……と思っていたのだけれども。何度か鉄の嵐をよけ続けると、ヘリがゆっくり高度を下げてきた。どうやらちょこまか逃げ回る僕たちにイラついたようだ。

 万事休す。いっそ一か八かで反撃に出ようかと思いかけた瞬間。隣の相棒が叫んだ。

 

「おい! どこかに鉄パイプ積んでなかったか!?」


「て……鉄パイプ!?」


 あまりに急すぎてびっくりしたけれど、きっと何か考えがある。彼は絶対に無駄なことなんて言わないもの。

 運転しながら必死で記憶を手繰り寄せる。確か出発前に車内で見たはず……そうだ!


「僕の後ろ!」


 彼は銃を放り出し、運転席の後ろに上半身をねじ込んだ。彼がパイプを探すと、床に転がる空薬莢からやっきょうががらがらと車内に響く。


「あった!!」


 座りなおした相棒の手には一メートルくらいのパイプと、小ぶりで細長い壺が握られていた。


「何するの!?」


 僕の声をよそに、彼はパイプの先に壺を挿し込むと、窓から身を乗り出して、肩に担ぎ上げる。

 とたんにヘリは慌てたように急上昇した。


「……よし! ロケットランチャーRPGと見誤ってくれたようだな。今のうちだ」


「顔引っ込めて。口を開けちゃだめだよ」


 ここを先途とばかりに限界までアクセルを踏み込んだ。一気に加速するとそのまま渓谷の先へと突っ走る。


「どうするんだ? このままではジリ貧だぞ」


 一旦は空に追い返したヘリも、また直ぐに戻ってくるはず。実際、お腹に響くあの音がまた背後から迫ってきている。こんな急ごしらえの偽ロケットランチャーに二度も騙されてくれるとは思えないし……。


「大丈夫、この先に高架があったでしょ? あれを使おうよ」


 ほどなくして目の前にボロボロの高架が見えてきた。戦前はこの山脈を横断する鉄道が通っていたのだが、開戦早々に双方の勢力が真っ先に砲撃や爆撃で破壊してしまったのだ。線路部分が無惨に崩れ落ち、橋脚だけが残った姿はまるで竜の背骨のよう。


「よし、行けそう!!」


 ゴロゴロと転がる瓦礫をよけつつ、焼け残った橋脚の間をくぐると一気に林の中の道なき道へと突き進む。この先は特に山が険しくて、ヘリではとても入り込めないような狭くて深い谷が続いているのだ。そのまま木々の隙間を突っ走り、もう追手が来ないことを確認するとようやく一息ついて顔を見合わせた。


「もう、死ぬかと思った」


「全くだ」


 本当に、死ぬほど怖かった。今、二人で笑いあえているのが奇跡みたい。

 どちらかがやられていたら……と思うと、今更ながらにハンドルを握る手の震えが止まらない。じんわりとにじみかけた涙を懸命にこらえていると、相棒がぽんぽんと軽く背中を叩いてくれた。


「よくやったな。おかげで助かった」


 いたわるように微笑んでくれたけれども、よく見ると顔が青ざめていて、彼も本当に怖かったのだとよくわかる。


「ふふ、君の機転のおかげだよ」


 彼の瞳を覗き込んで言うと、感謝しろよと冗談めかして前を向いた。


 林の奥で車を止めると、緊張から解放されて力が抜けそうになる。このまま注意力を欠いたまま国境に向かうわけにはいかないので、水とドライフルーツで一服してから尾根を越えることにした。


「見て、杜松ネズの実がいっぱい!! おじいちゃんのところに持っていこう」


 陽光を浴びて瑠璃色に輝く木の実がたくさん。すっきりとさわやかな香りのこのスパイスは、身体に溜まった毒素を排出する効果があるのだそう。料理にも合わせやすく、肉の臭み消しに使っても良いし、野菜と一緒に酢漬けにするのも美味しい。お土産に持って行ったらきっと喜んでくれるだろう。


「まったく、九死に一生を得たばかりだというのに何を能天気な」


 呆れながらも彼は杜松ねずを摘むのを手伝ってくれて、あっという間にカゴはつやつやした実でいっぱいになった。文句を言いつつも、晴れた日の空みたいに澄んだ蒼い瞳はとても優しい。

 そこにいるのは観測手スポッターという一個の戦闘単位なんかじゃない。イリムの大好きな、かっこよくて頼りになる、大切な幼馴染グジムだ。


 人心地着いた僕たちはまた北へと向かう。


 国境までは、あと少し。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る