谷間の杜松(ねず) その1

 僕たちの朝は夜明け前の礼拝から始まる。崖下の泉から湧き出る冷たい水で身を清め、輪になってひざまずいて聖典を輪唱するのだ。まだ明けやらぬぴりりと澄んだ山の空気に乗って、高く低く歌うように祈りの声が響いていく。密やかにそそり立つ山肌をそっと撫でるように舞い上がる祝詞は、まだ暗い藍色の空にひそやかに吸い込まれていった。


――今朝も無事に目覚めさせてくださってありがとうございます。今日も御心のままになりますように。願わくば、みなが幸せでありますように――


 礼拝が終わると二度寝を決め込む者もいるのだけれども、僕たちはそのまま朝食前に散歩をしたり、軽いトレーニングをしたりして過ごす。キャンプの周囲を軽く走りながら迎える日の出は格別だ。


 急峻な東の山の端が白く輝いたかと思うと、紫紺の空が淡い茜色に染まっていく。やがて徐々に明るさを増して、影絵のようだった松の梢から葉を透かして透き通った光が差し込んでくるのだ。深い森で迎える清冽な夜明けの光景は、何度目にしても飽きることがない。

 日常のふとした拍子に、生きていて良かったと思える瞬間の一つだ。


 日がすっかり昇りきると、仲間たちとの朝食の時間。

 今日の朝食は茹でたジャガイモと卵をつぶしたサラダ。ひよこ豆のペーストと一緒に、平べったく焼いた小麦のパンにくるんで食べる。大きく口を開けてかぶりつくと、ヨーグルトの酸味とスパイスのきいた味が身体に優しく染み入ってきて、今日を生き抜く気力がむくむくと湧いてきた。今日の糧を与えてくださった神様への感謝が自然に湧きあがる。

 神を知らない人々は、こんな時にいったい誰に感謝するのだろう? もし感謝する対象がいないのだとしたら、それはとても寂しくて味気ない生き方の気がする。


 ささやかだけれども心満たされる食事の後、仲間みんなで後片付けをする。食器をきれいに洗って、ひとつひとつしまい終えると、隊長に呼び止められた。




「――休暇、ですか?」


「ああ。そろそろ収穫祭の時期だからな。村に戻るついでに補給してくるつもりだ。お前たちはどうする?」


 隊長は僕たちと同じ村出身で四十代半ば。故郷の内戦時代からずっと戦い抜いてきた歴戦の戦士だ。

 野生の鷹のように鋭い雰囲気があって、実際にみんな彼のことを「高原の鷹」って呼んでる。

 僕はずっとそれを、愛称のようなものだと思っていたのだけれど、ずっと前に侵略者が乗りこんだ戦車を隊長が一人で3台も破壊した、という話を戦友から聞いて、正真正銘の鷹だったと痛感した。

 どんな戦場でも必ず無傷で生きて帰る隊長には「魔法みたいに危険が向こうから避けていく」という噂もあるけれども、魔法なんてものが失われてもう何百年も経っている今、それは隊長の実力のたまものでなければ神様の加護でしかないと思う。


 にもかかわらず、僕たち部下を見やる瞳はいつだって穏やかで優しい。父さんが生きていたらこんな感じだったんだろうな。物心つく前に死んでしまったから覚えていないのだけれど。

 厳しいけれども頼りになって、いざという時は必ず僕たちを受け止めてくれる。そんな力強い隊長に見守られて、僕たちは何とか戦い続けている。


「僕たちはちょっと村へは……」


 顔も覚えていないうちに殺された父さんの仇を、兄さんがとって。その仇討ちに兄さんが殺されて。今度はその仇を僕が討った。だから、今度は僕が仇と狙われる番。

 歯止めの利かない憎悪を防ぐはずの仇討の掟はかえって恨みの連鎖を産み、僕も彼もすっかりその中に取り込まれてしまった。もう二度と故郷の村へは帰れない。


「俺らはフェタブリド経由でアリアナに向かうつもりです」


 口ごもってしまった僕の代わりに相棒が答えてくれた。お隣のフェタブリドと砂漠の国アリアナの国境付近に住んでるティルティス人のお爺さんは凄腕のガンスミス。僕の愛銃はデリケートで、彼自身に定期的にメンテナンスをしてもらわないと性能を万全に維持できない。


「ああ、爺さんのところか。行くのはいいが、このところ国境付近でフェタブリド軍のヘリがうろちょろしているようだ。奴らは突然現れる。気を抜くな」


 隣国のフェタブリドはシェミッシュ政府とは対立しているが、僕たちの味方とも言い難い。見境なく攻撃してくることはないのだが、ごくたまに国境を越えてくる哨戒ヘリに、輸送部隊が襲われることがあるらしい。


「了解」


「無事に帰って来いよ。二人とも」


「もちろんです。お土産期待しててください」


 昼食後、仲間たちの笑顔に送り出されて僕たちは北に向かった。

 キャンプを出て村に入ると、いつも勉強を教えている子供たちが次々と駆け寄って来る。アリアナに向かうと言うと、道中で食べるようにとドライフルーツを渡してくれた。

 戦時下のこの国では食料が不足しがち。村の人たちが飢えることのないよう、僕たちもできる限り頑張ってはいるけれども、決して余っている訳じゃない。

 そんな中、貴重な甘いものをわざわざ持たせてくれた、素朴な思慕と心遣いがとても嬉しい。何があってもこの子たちは守り抜かなくちゃ。

 そのためにも使い慣れた武器をしっかりメンテナンスして、いつでもベストコンディションで戦えるようにしなくっちゃね。


 東に向かう車の中で、僕たちは決意を新たにした。

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