砂の蜥蜴(とかげ)
じりじりと照り付ける白い陽射しの下、俺は相棒と共にいつものように切り立った崖の上で今日も獲物を待ち伏せている。
荒涼とした自然の一部と化した俺達の上を、小さな
風もなく耳が痛くなるような静けさに、ふとガタゴトいう音が混じる。ぶるぶるというかすかなエンジン音に、
ほどなくして赤茶けた地平線の向こうに、黒っぽいしみがいくつか見えてくる。
砂埃を巻き上げ、崖下の谷を一列になって進むトラックの車列。
これが今回、俺達に与えられた
俺は観測器を覗きこみ、読み取ったデータを彼に伝えた。彼はこくりと頷くと、その丸い目をすぅっと細めて
こうなると彼は過集中状態に入り込む。標的以外はまるで見えなくなるのだ。
代わりに周囲を警戒するのが
彼の持つ
だからそうなる前に俺が彼を守らなければ。何があっても、絶対に。
俺は決意を胸に、愛用の自動小銃を手元に引き寄せた。我知らず、グリップを握る手に力が入る。
白兵戦になるような戦いには参加せず、互いの顔を肉眼で見ることもない。目標を一方的に狙い撃つ
捕獲されれば捕虜として扱われる事はまずあり得ない。間違いなく死んだ方がマシだという目に遭わされながらも簡単には死なせてもらえず、延々といたぶられ続けるのが常なのだ。
そうやって
いや、俺が彼を完璧に守れば良いだけだ。どんな敵からも、何があっても。
遠い故郷の村を出る時、そう誓った。
自ら立てたたった一つの
故国はとうの昔に瓦解して、生まれ育った村は貧困と憎悪に飲まれてもう二度と帰ることはかなわない。
部族の掟に縛られて、帰るべき場所を失った俺は、棄てたはずの掟をよすがに生きている。
この広い世界で、彼の隣だけが俺に許された居場所なのだ。
他の誰でもない、この俺自身がそう決めた。
とりとめもない事を考えている間にも、五感は周囲の情報を敏感に拾っていく。任務の妨げになるものがあれば、瞬時に取り除かねば。
十分以上は経った気がするが、実際にはほんの数秒にも満たなかっただろう。くたびれた紙袋を叩き潰すような気の抜けた破裂音が俺の意識を引き戻す。
彼の肩が小さく跳ねたかと思うと、直径7.62mmの弾頭が飛びだした。
破壊の意志だけを背負って秒速800mの速さで突き進み、かすかな蒸気があとを曳く。
続いて響いた轟音。観測器を覗くと炎上した車両から人の形をした焔がいくつも転がり出た。後続車両が止まりきれず、追突して同じように炎上していく。
更にいくつかの破裂音が響くたび、別方向から放たれた正確無比な銃弾が哀れな標的に襲いかかった。車から飛び出す人影が、音と同じ数だけ脚や腹を押さえて転がりまわる。
どうやら別の場所に潜伏していた仲間たちの狙撃も成功したようだ。
現場は消火も救助もままならず、炎と煙の渦巻く光景はまるで地獄の有様だ。あの様子なら、とてもこちらにまでは目が届くまい。
「任務完了。嗅ぎつけられる前に行くぞ」
彼の耳元で低く囁き、這いつくばった姿勢のままゆっくりと空薬莢を拾い集めながら後退する。
カタツムリよりはいくらか早いが、興奮したカブトムシよりははるかに遅いペースでじりじりと後じさると、灌木の茂みの陰に入ったところで慎重に立ち上がった。
警戒を解かぬまま斜面を下り、渓谷に続く道の半ば、茂みの陰になった洞窟の中へと身を滑らせる。中に入って入口を小枝で隠し、ようやく大きく息をついた。
目を合わせると肘をすり合わせるいつもの合図で笑いあった。今日も無事に任務を達成できたようだ。
「これで少しは砲撃もマシになるかな?」
「わからん。輸送ルートはこれ一つではないはずだからな」
今日狙撃したのは政府軍の輸送部隊。渓谷の向こう側にできた基地から湧いて出て、山間に広がる村々に襲撃をしかける機甲部隊に必要な特殊燃料を積んでいた。
ここで燃やしてしまえば、それだけ村に降り注ぐ砲弾の数は減らせるはず。いずれは基地ごとつぶしてしまわなければ。
山中に網目のように掘られているトンネルをぐるぐると回って帰投すると、隊長に労をねぎらわれた。どうやら思っていた以上の戦果を得られたらしい。
「ふぅ、今日も疲れた」
手早く銃の分解清掃を終わらせて、丁寧に組み立てながら彼が言う。
「たしかに緊張したな」
俺も武器と測量機器をチェックしながら言うと、しばらくは心地よい沈黙がその場を支配した。
かちゃかちゃと、部品のこすれる音がかすかに響くことしばし。
二人とも装備の点検と整備が終わった。
「グジム、そろそろ晩御飯にしよう。食べたいものはある?」
「俺はヨーグルトがあればそれで。イリムは?」
「羊のフライを村の人からいただいたんだ。ナスもあるから一緒にいただこう」
君、好物でしょ?
はにかんだように言った彼の笑顔にほっとする。ああ、今日も生き延びられた。
普段呼ばれることのない本名で呼び合うのは、二人きりのプライベートな時間だけ。この時ばかりはただの戦闘単位である「
毎日の任務が終わった後の、何気ないこの時間が、俺にとっては何よりの宝物だ。
「いけない。お祈りの時間だ」
慌てて礼拝用のラグに二人並んでひざまずいて神に祈る。
今日もお守りくださってありがとうございます。どうか明日も無事でありますように。
隣で祈る彼を盗み見ると、軽く目を閉じて一心に何事かを祈っていた。生真面目で敬虔な彼のことだ。全ては神の御心のままに、とかなんとか祈っているのだろう。
自分たちの事しか頭にない俺とは大違いだ。おとぎ話のような過去の魔法も、神の起こすという奇跡も、素直に信じることのできないひねくれた自分が嫌になる。
礼拝が終わると夕飯だ。
贅沢ではないが、心と身体を優しく満たしてくれる今日の糧に、自然と感謝が沸き上がった。変わり映えのしないいつもの食事が美味いのは、今日も彼と生き延びられたからだろう。
二人で後片付けをしてから身を清め、眠る前にまた祈る。
明日も二人で生き延びられますように。
生命を奪い続けてきた罪深い俺たちが赦されなくても良いから、せめて最期の瞬間まで共に在れますように。
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