第4話  家族の絵

「お父様は、本当は祥子さんに会いたがっていたんじゃないかしら」


「あなたがそう言うなら祥子の父親はそう思っていたかもしれませんね」


「そんな風に言われるとちょっと辛いわ、なんの根拠もないことなんですもの、ごめんなさい。

あたくしの勝手な願望かもしれない。

そうだったら良いなという」


「きっとあなたが言うなら、祥子も同じように考えていたのかもしれませんね」


「あら、あたくしは祥子さんではいなくてよ」


「そうでしたね。

願望はさておき、やはり祥子は父親と接触は取れなかった。

そこのころ祥子の父親にはもう別の家族がありましたから」


「あらそうでしたの」


「だから余計に会いにはいけなかった。

だから祥子は新たに家族を作ろうとした。

両親がそろっている子供を育てたいとね」


「それで、孝一さんは祥子さんと結婚したのね」


「はい、もっともそのことを聞いたのは、もっと、ずっと後になってからのことでしたがね」


「でも祥子さんはあなたのような方と生涯を共にできて幸せだったと思うわ」


「本当にそう思ってくれますか」


「ええ、もちろん。

あらどうなさったの」


「あっ、いえ。

すみません。

祥子がそう思ってくれていたのかなと思うとちょっと目頭が熱くなりました」


「あら絶対にそう思っていますよ。

あたくしが保障します」


「そうですか」


「ええ」


「母親が亡くなってから祥子は、たった一人で生きてきました。

昼は事務の仕事をして、夜、絵を描く。

祥子にとって、なまじ美大とかに行くことが出来なかったからこそ、絵を描くことに生きる糧を見出したんだと思います」


「それはどういうこと」


「美大とかにいくと、当然その分野で活躍したいとか、思うじゃないですか。

だからそれがだめだ、となれば見切りをつける、でも祥子にはそれがなかったから。

絵を描き続けた、決して未練がましく絵にしがみついた、ということではありません。

祥子にとって絵はまさに生きる糧だったです。

自らの存在意義を自分に言い聞かせるためのね」


「祥子さんにとって絵を描くということは特別な意味があったのね」


「そうです。

でも私はそんな祥子の生きる糧をとり上げようとしてしまったことがある」


「そうなの」


「ええ、私と祥子が結婚したのはお互いが二十五の時です」


「あら、これで祥子さんにも幸せな日々が訪れたのね」


「さあ、それはどうだったんでしょう」


「あら、絶対にそう、だって孝一さんのような優しい旦那様なんですもの」


「そう言っていただけると、本当にうれしいです。

でもその時の私はとんでもない奴で、職業は何だったと思います」


「会社員とかではないの」


「そうだったら祥子も、もう少し幸せになれたかもしれませんね」


「孝一さんは何をなさっていらしたの」


「売れない、ミュージシャンです」


「あら、カッコイイ」


「そんなことを言うのはあなただけですよ」


「そうかしら」


「ええ。

出来過ぎでしょう。

絵描き崩れと、売れないミュージシャン。

生活が成り立つわけがない。

結局私たちの収入の大半が祥子の事務員としての給料でした。

私も一生懸命バイトはしましたが、遠征だ楽器のお金だ、いつも祥子から貰っていました。 あのころ私には何も言いませんでしたが、祥子は私にちゃんとした職に就いて欲しかったんだと思います」


「それはそうかもしれませんわね」


「そして二年後に子供ができました。

私達は本当に喜びました。

そして祥子は仕事を辞めました。

これを機に私が音楽からスッパリ足を洗うことを望んでいたんだと思います。

自分が仕事を辞めれば、私が音楽を諦めて、ちゃんとした仕事に就くと思ったんでしょう」


「孝一さんは音楽を辞めたの」


「いえ。

というかそれ以前に、子供が流れてしまったんです」


「まあ」


「祥子の悲しみは尋常ではありませんでした。

でもきっと祥子にとってはそのことより、私の反応の方が辛かったと思います」


「反応って」


「私は子供が流れたことが、あたかも祥子のせいのように祥子を責めてしまった。

それは子供が出来た喜びの裏返しでもありました。

私も子供が出来たことが、本当に嬉しかった。

だからこそ、落胆は大きく、その落胆は怒りへとかわり、その矛先が祥子に向かってしまった。 

祥子の方がより辛かったはずなのに、祥子は生まれてくるだろう子供を想像して、何枚も、何枚も、子供の絵を描きました。

それを私は怒鳴りちらしながら、破り捨てた。

こんなもの描いているからだって。

三枚目を破り捨てたとき、祥子はまだ十枚以上あった似顔絵に覆いかぶさって(止めて、ごめんなさい)と言ってうずくまった。

祥子にとっては見ることが出来なかった子供が引き裂かれるようで耐えられなかったんです。

でも怒りにまかせた私は、そんな祥子を引きはがした。

そして祥子は言った、今度はちゃんと生みますって。

祥子には分かっていたんだと思います、私も悲しいいんだ、ということが、だからそう言ったんだと思います。

いや私が言わせたのかも知れない。

でもそれなら、尚更、私は祥子にひどいことをしたということになります」


「不思議だわ」


「なにがですか」


「今のお話を聞くと、祥子さんが可哀そうと思うはずなのに、感情が動かないわ。

なぜかしら。

可哀そうともひどいとも、当然とも思えない。

そのことについての感情が動かないの。

共感できないと言うより、感情が動かないとう事に共感しているような。

なぜかしら、あたくしは孝一さんの奥様ではないのに」


「いえ、いいんです。

きっと祥子も、感情の起伏を押さえていたんだと思います。

出なければあの状態に耐えられるわけがない。

きっと祥子でも、このことについては感情が動かないと言うだろうと思います。

でも、そこが一番私が祥子に対してひどいことをしたところです。

だって祥子の辛さの感情に蓋をして。

感情が出ないように、心を締め付けるように祥子に強いてしまった。

罵られて、罵倒されても仕方のないところです。

もう祥子に許してくれなんて言えない。

祥子は心を平穏に保つために、心と感情を切り離さなければならなかった。

そしてそれを強いたのが私だ」


「孝一さん。

孝一さん。

でも確かに、奥様の心に負担を強いたのはあなただったかもしれない。

でもそれは奥様の自己防衛でもあったんだと、あたくしは思いましてよ。

決してあなただけが悪い訳ではない。

それにそのことによって奥様の心が救われたのなら、結果的には、あなたは奥様の心の負担を軽減したとも言える」


「あなたは優しい人だ。

こんな私に、こんなひどいことをした、私の心を救おうとしてくれる」


「奥様がどう思うかはあたくしには分かりかねますが。

わたしならそう思いましてよ」


「そんなに優しくしなくて良いですよ」



「その後、お子さんは?」


「結局、もう子供を授かることはありませんでした」


「そうだったの」


「何が影響したのか分かりません。

きっと様々な事が重なってです。

影響の一つは、今度はちゃんと生みますなんて祥子は言ったけれど、どこかで怖がっていたんだと思います。

また流れたらどうしようと。

今にして思えば、そんなこと気にしなくていいんだよ、と言って上げられれば祥子も、もっと心が軽くなっただろうと思います。

でもまだ若かった私にはそういうことを言ってあげられる余裕もなかった」


「そうなのかしら」


「というと」


「女は、強い者よ、怖いかもしれないけれど、子供が欲しければ最大限の努力をすると思うの、なんかそれ以外の影響は」


「なら、あの絵たちに縛られていたのか」


「絵たち?」


「はい、ついこの間、箪笥の奥に、私の知らない包みがあるのを発見しました。

私は何気なくそれを開けてみました。

そこには何十年も前に私が破った、祥子が描いた子供の絵がありました。

破れた紙が伸ばされて、テープでとまっていました。 

そして祥子が覆いかぶさって、私から守った似顔絵もありました。

あれから一枚も増えていない。


一枚目は、生まれたばかりの赤ん坊の顔です。

まん丸の顔で健康そうで、これは大きくなったら、きっとやんちゃになるなという顔でした。

これは私が破り捨てた絵でした。


二枚目は小学校の入学式の絵でした。

私と祥子その間に小学生の子供がいる。

三人とも春の風の中で、笑っているんです。


三枚目は遠足の絵です。

どこかの公園でたくさんの友達と遊んでいる姿でした。

それを見ている祥子を後ろ姿で描いていました。

背中しか見えないのに、そこには慈しみの気持ちが見て取れた。


四枚目は中学の入学式の絵です。

小学校の時と同じで私と祥子、そしてその間に中学の制服を着ている子供の絵です。

晴れやかで温かい光の中で、本当に三人は幸せそうでした。


五枚目は高校の入学式。

同じ構図なのに、私と祥子は少しづつ歳をとっているんです。

そして子供もすこしづつ大きくなっているんです。


六枚目は高校の体育祭で棒倒しをしている絵でした。

立ちあがって応援している祥子の後ろ姿と、その横でさらに大きく腕を振っている私が描かれていました。


七枚目は大学です。

なんと大学は美大で子供が絵を描いている姿です。

祥子は自分が果たせなかった夢を、絵の中の子供に託したんです。


八枚目は子供が夕日の中で可愛らしい女の子と座っている絵です。

とうとう子供にも彼女が出来たんです。


九枚目はその彼女を家に連れてくる絵です。

私と祥子の前に二人がいて、祥子が涙を流しているんです。

うれしくてなのか、子供が旅立つ事がさびしくて、なのか私にはわかりませんでした。


十枚目は結婚式の絵です。

十字架の前に黒い服の神父さんがいて、その前に子供と彼女が立っている、そして今度は明らかに嬉しい涙を流している。

私も涙をこぼしている。


十一枚目は、そして子供の家族。

孫がいて三人で海辺を歩いている。

子供は孫を肩車なんかしてね。


最後の十二枚目は三人で家に遊びに来る絵。

その絵たちは祥子にとって子供そのものだったのです。

流れてしまった赤ん坊の人生を祥子は作ってあげていたんです。

でも。

それを私は破こうとした。

だからあんなにも覆いかぶさって抵抗したんです。

祥子は私から子供を守ったのです。

祥子にとってはその絵が子供の全てだったんだと思います。

いやもしかしたら、祥子はあの絵に縛られていたのかもしれない。

なら、あの時、破くなんてことをせず、一緒に泣いていたら、祥子はこの絵たちに縛られることはなかったかもしれない。

そしてもう一度子供が生まれて、新しい家族を作ろうとしたかもしれない。

そうすればあの絵とは別の子供の人生を三人で歩むことが出来たかもしれない。

そうすれば祥子は入院することもなかったかもしれない。

ずいぶんたってしまった今だからこそ、そんなことを思うんです」


「孝一さん。

(かも)なんて考えてはだめ。

(かも)はなかったことなんだから。

あなたこそその絵に縛られている。

祥子さんはそんなあなたを望んでいないと思うわ」


「そうでしょうか」


「あたくしはそう思いましてよ」


「あなたにそう言ってもらえると、本当に勇気がわいてきます」


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