第2話  祥子

「私の妻の名前は祥子と言います」


「そうなのね、祥子さんっておっしゃるのね。今日は、お家に?」


「いえあなたと同じで、入院しています」


「まあ、だったらこんなところに居てはいけないわ。

奥さまのところに行かないと」


「大丈夫です。

ちゃんとついている人がいますから。

今の私は、あなたに付いていなければならない」


「あなたはお医者様ではないと言ったわね、では看護夫さん」


「いえ、違いますよ。

私はあなたの看病をする人間なんです。

それに今は看護婦とか看護夫とか言わないんですよ」 


「あら、ではなんて」


「看護師です」


「あらー」


「同じように婦長とも言いません」


「では、なんて」


「師長です」


「そうなの」


「はい」


「何だかおかしいわね」


「ではお医者様でも看護・・師でもないあなたは、看病をする人と言われたかしら」


「はい」


「そういう役どころがある。

ということ?」


「それも含めて、思い出してください」


「まあ、なんでもかんでも、なぞなぞ、にしてしまうのね」


「いえいえ、リハビリですよ」


「ではあなたはリハビリをする人」


「まあ、そうではありませんが、そういう目的で、ここに居ます」


「何だか、ますます分からなくなったわ、なんだか、なぞなぞの部屋に閉じ込められたよう」


「まあ。

そう落ち込まず」


「はい、わかりました」


「では話がそれましたが始めましょうか」


「はい」


「私と祥子は幼馴染だったんです」


「そんなに小さい時から、素敵ね」


「ええ。

同じ小学校から同じ中学に進みました。

そのころの私は、祥子のことを何とも思っていませんでした。

子供のころから、というより本当に小さい時から一番近くにいた女の子という位置づけでした。

むしろ敵対していたと言っても過言ではない。

あのころの私たちの年代は、女の子と一緒にいると、女々しい男と思われ、たとえ好きな女の子がいても、そんなこと、口が裂けても言えない。

そういう年代でした」


「思い出せないわ。

そうだったかしら」


「いいんですよ、私の話の中で、なんでもいい、記憶をよび起こしてくれれば」


「ええ、それではお言葉にあまえて」


「もうずいぶん前の話です。

まだ私が小学校に通っていたころですから、五十年以上も前のことです。

祥子とは通学の時間から一緒でした。

祥子と私の家は、学校から方向だけ見ると同じなんですが、学区が扇状に広がっていて、それほど近いということではありませんでした。

でも学校を中心に生徒が集まりますから、家の近くにはそれほどの生徒はいません、でもそれが段々集まってきて、少しづつ人数が多くなってゆくんです。

そしてメインの通学路に入ると互いに合流していきますから、さらに大きな流れになってゆきます。 

まるで子供の川です。

あなたの小学校の時はどうでした。

私達の子供のころは今よりもっと子供が多かったので、きっとあなたの学校でも同じような光景が見られたはずなんですが。

覚えていませんか」


「ごめんなさい、思い出せないわ」


「そうですか、では続けます。

大きめの十字路がありそこを曲がると、そこは一番大きな通学路で、大勢の子供たちが、川のように学校に向かっていました。

するとしばらく歩いたところで、必ず私は後ろからランドセルをつかまれました、私は重いのと自由が利かくなるので、嫌で仕方がありませんでした。

それが祥子だったんです。ちょうど反対方向の祥子の家から、その十字路で私たちも合流したのです。

祥子は天然パーマで、いつも髪がくるくると、まるまっていました。

赤いワンピースを着て、フランス人形のようでした。

そういう意味ではきっとかわいかったんだと思います。

でもその時の私はそんな祥子の恰好も違和感があって,あまり好きになれませんでした」


「違和感?」


「赤いワンピースで通学するような子はいなかった。

たいてはチェックのスカートに、ブラウス、上にカーディガン、そんな感じでした」


「おかしい、かなりしっかりした、先入観ね、まあ確かに赤のワンピースはめずらしいかもしれないけれど」


「先入観か。

確かにそうかもしれませんね。

でもずっとあとになって分かった事ですが、そのころから、祥子は私のことを好きになってくれていたんです。

でも私はむしろ祥子のことが嫌いなくらいでした。

いつも人のランドセルをつかんで意地悪をする、そう、あの頃の私は、祥子が私にしていることが、私への嫌がらせくらいに思っていました」


「小学生の祥子さんは、孝一さんのことが好きだったから、ちょっかいを出していたのに、孝一さんはそんなことには、ちっとも気づかなかったということ」


「そのとおりです。

でもそんなに楽しそうに言わないでください、もう昔のことです。

そんな祥子でしたが、いじめられるということはありませんでした。

でもそのときの私は知らなかったんですが、祥子は母子家庭だったんです。

両親が離婚して、祥子は小さなアパートに母親と二人で暮らしていました。

まあそのころの私には母子家庭という言葉も分かりませんでしたから、お父さんがいないんだな、くらいの感覚でした」


「お父様がいらっしゃらなくて、ご苦労されたのかしら」


「苦労はしていたようですが。

祥子じたいは全く天真爛漫に育っていました。

それから私たちはクラスが違ってしまって、少しだけ疎遠になりました。

そのとき祥子は寂しかったと言ってくれました。

ずいぶん後に思い出話をした時のことでした。

それから中学に入るまで、祥子と同じクラスになることはありませんでした。

というか中学に入っても同じクラスになることはありませんでした。

でもたまに通学の時に祥子のことを見かけることはありました。

中学に入った祥子は、まるで違っていました。

天然パーマのクリクリした髪は、これでもかというくらい伸ばして、天然パーマだと分からないくらいゴムで止めていました。

そしていつも着ていた赤いワンピースではなく、ブレザーの制服姿でした。

あの天真爛漫な祥子が型にはめられてゆく、そしてあんなに嫌だった、祥子の姿や、私のランドセルをつかむ所業が、急に懐かしく、愛おしくなりました。

そしてそのとき初めて、気づいたんです。

祥子は私のことを好いてくれていたことに。

おかしいでしょう、そこまでたって初めて気づいたんですから

そして、私も実は祥子のあの天真爛漫なところを好いていたんだと」


「愛していたの?」


「いえ、そんな言葉を、あの頃の私たちは知りませでした。

ただ心を許していただけだと思います。

だから幼い私たちは、愛なんて言葉も知らないまま、心の奥の奥で少しずつ、つながっていったんだと思います」


「少しずつ、愛は育まれるということね」


「そんないいものではありません。

でもいつでも、祥子とは心のどこかでつながっていました。

どこに居ても、なんと無く存在を意識していました」


「素敵な関係ね、何だか羨ましいわ」


「そんなことありません」


「どういうことですの」


「あなたにだってそういう人がいたんです」


「そうなのかしら。

だとしたら、忘れてしまっていることで、その人を傷つけているということね」


「大丈夫ですよ、その人も分かってくれています」


「あなたは知っているのね、それが誰なのか」


「ええ、」


「だったら教えて下さらない。

いえその人に会えば思い出すかも知れない」


「残念ながら。

会ってもだめでしたよ」


「ここに来たことがあるのね」


「ええ。

でも思い出さなかった。

だからご自分で思い出さなければなりません」


「そういうことなのね。

でも聞きようによっては何だかとても意地悪ね」


「そうかもしれませんね。

申し訳ありません」


「もう一度謝らせちゃった」


「そうですね。

私は今日、何度あなたに謝るんでしょうね。

では続きを話しますね」


「ええ」

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