「それで、奥様はお綺麗な方なの」
帆尊歩
第1話 火曜日の朝
「おはようございます」
「あっ・・・・、おはようございます」
「あれ、今日はあまり驚いていませんね」
「えっ、驚くって?」
「だって女性の部屋に男の私が、どかどか入ってくるんですよ。
普通は驚きますよね。
事実一昨日はかなり驚いていらっしゃった」
「そうなんですか」
「ええ」
「なんか・・・・・、そういえば、そうなんですけれど、確かに驚いていませんね、なぜかしら、何だかあなたがとても近しい人に思えたのかしら」
「そう言ってもらえると、とてもうれしいですね。
おや今日は笑ってもいますね」
「あら、いやだ、あたくし、笑わない人なのかしら」
「そんなこともないんですがね。
あっ、カーテン開けますね」
「あっ」
「あっ、ごめんなさい、急に開けたんで、まぶしかったですか?」
「あっ、いえ。
ああ、そうですね」
「でもそんなに元気に反応出来るということは、今日は体調が良いということですか」
「なぜです」
「だって今日はベッドから起きて、椅子に座っていらっしゃる。
服もきちんと着ているし、何より笑顔だ」
「いつもは違うんですか?」
「日によってですね。
ベッドに横になって居る時もあるし、今日みたいに起き上がって、きちんと着替えて、椅子に座っている時もある」
「そうなんですか、今日のあたくしは、体調がいいということなんですね」
「ええ、今日のあなたは体調がいいらしい」
「ということを気にするということは、ここはそういうところなんですね。
たとえば、そう、病院とか」
「鋭いですね」
「ではやはりここは病院なんですか」
「はいそうです。
と言いたいところですが、厳密にここが病院なのか、と聞かれると、ちょっと違います、まあ病院みたいなものです。
まあ病院と思ってもらって結構です」
「やあね、まどろっこしい言い方」
「そうですね。
申し訳ありません」
「うふ、謝らせちゃった」
「あなたはいつもそんな感じで素敵ですね」
「あたくし、あなたに気を使わせていましたか」
「いえ、大丈夫ですよ。
では、説明しましょう
あっ、私も座っていいですか」
「どうぞ」
「はいありがとうございます。
まず結論から、あなたは病気です。
そして、この病院に入院してらっしゃる。
くどいようですが、厳密にいうとここは病院ではないんですが、説明するのが難しいので、病院としておきます。
あなたは、この病院に入院されている」
「あたくしの病気は、なんですの」
「一言でいうのは大変難しいいんですが。
認知症の一種です」
「難しいいという割に一言ですのね。
あたくし、認知症ですの」
「ということになっていたんですが。
そうでもない。
だから一言でいうのが難しいんですが・・・・」
「違うんですか?」
「そう認知症というのは様々なことが出来なくなるんですが、あなたはご自分のことはなんでも出来る。
人の顔や昨日のことが思い出せないというのは同じなんですが、他のことは大体大丈夫、ためしにご自分がいるところの名前、まあここですが。
そこにいつ来たのか。
なぜ私がここに居るのか。
思い出してみてください」
「本当だわ、あたくし、今言われたこと、どれも思い出せない」
「だからあなたはまず思い出すことから始めなければならない。
治療はその次です」
「あなたはお医者様なの」
「違います。
私はあなたの看病人です」
「看病人?」
「そう、ちなみに私は、孝一と申します」
「孝一さん」
「そうです」
「ごめんなさい、こんなことをお尋ねするのはあまりにもおかしなことだとは思うんですけれど」
「はい」
「あたくしの名前を教えていただけないかしら」
「確かにそう思いますよね。
でもそれも含めて、あなたが思い出してください。
思い出すことが今のあなたの治療なんですから」
「思い出す?」
「そう」
「何を?」
「全てです。
あなたの名前。
歳。
出身地。
今までどう生きて来たか、そういった物のすべてです。
普通持っていた記憶のすべてです」
「何だか雲をつかむようなお話なんですけれど」
「そうでしょうね。
でもそこから始めなければならない」
「ではまず何から」
「ではとりあえず、あなたの名前から思い出してみましょう」
「あたくしの名前」
「そうあなたの名前」
「だいぶ時間が経ちましたが。
ダメですか」
「ごめんなさい、何だか喉元まで出かかっているとかならいいですけれど、まったく取っ掛かりも、何もないの、まったくの無のところ、そこに何も無いことが分かっているのに、何かをさがしているような」
「そうですか、では今の状況を観察してみましょう、そして一生懸命考える、たとえばあなたはおいくつですか」
「そんな、名前も分からないのに」
「だから、思い出すのではなく、観察するんです。
さあ、鏡を見て」
「嫌だわ、何だかおばあちゃんの顔」
「いくつだと思いますか」
「六十五くらいかしら」
「そうですね、ほぼそんなところです」
「まあ、嫌ね」
「では私は幾つに見えますか」
「七十くらいかしら」
「ひどいな、そこまでいっていませんよ」
「あら、ごめんなさい」
「あなたより半年だけ年上です」
「失礼いたしました。
ということは同い年ということになりますね」
「そうですね、同じ学年ということになります」
「あたくし、結婚とかしていたのかしら、子供は? 孫がいたりして」
「さあ、それも思い出してください」
「あら、そうでしたわね」
「思い出せませんか」
「孝一さん。
あなたは結婚されているの」
「オッ、学習されましたね。
回りから情報をとると言うことですね」
「ええ」
「やっと少し、打ち解けていただけたようですね。
笑顔が素敵ですよ」
「嫌だわ、おばあちゃんをからかって」
「あなたがおばあちゃんなら。
私はおじいちゃんですよ」
「そうでした。
これは重ね重ね失礼をいたしました」
「いえいえ」
「ではあなたは・・・・。
孝一さんは、結婚されているの」
「ええ、わたしは、結婚していますよ」
「そうなの」
「ええ」
「それで、奥さまは、お綺麗な方なの」
「えっ」
「あら、また失礼なことを言ってしまったかしら」
「いえ、とんでもない」
「よかったわ」
「それはもちろん、ものすごく綺麗ですよ。
いえ私にとって妻は、世界で一番綺麗ですよ」
「あらー。
そうなの、それはよろしいことね。
そんな孝一さんから、世界一綺麗だなんて言われるなんて。
きっと素敵な奥さまなんでしょうね。
何だか羨ましいわ」
「羨ましいいことなんて、全然ないですよ」
「ねえ、ねえ、奥様はどんな方なの」
「仕方がないですね、では今日は私の妻の話をしましょうか。
どこかであなたの人生と交わるところがあるかもしれないから、少しはあなたの記憶を呼びもどす手助けになるかもしれない」
「そうね、あたくしもその素敵な奥さまの話を聞いて、少しでも思いだせるよう努力します」
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