第25話


「おはよう」


「ああ、おはよう」


 教室の前でジュンと鉢合わせる。ピリピリとしているのが自分でも分かる俺に対して、ジュンはいつも通りという感じで余裕綽々に見える。既に全て暗記し終えているのだろう。席に着くとクラスメイトと談笑を始めた。この教室で、今回のテストにこんなに全霊をかけているのは俺だけだろう。参考書を開いている人もいるが、頬杖をついて明らかに流し見ていたり、スマホに目が行ったりしている人ばかりだ。この教室で、ここまで真剣なのは俺だけだろう。誰よりも何にも真剣にならなかった俺が、今この教室で誰も真剣でないことに一番真剣だ。

 冷泉の話し声も聞こえる。けれど俺は目は参考書に向けたままだ。もうあいつの顔は見た。映像記憶なんてないけれど、俺の中にはあいつの笑顔が沢山残っている。これが恋か、と心の中で呟く。今なら元カノ達に誠心誠意謝罪できそうだ。こんな気持ちを踏みにじるなんて、我ながら最低なことをした。


 参考書を鞄に閉まって、配られた答案に向かい合う。自分でも驚くくらい、すらすらと問題が解けた。見直す時間も十分にあった。以前の様なケアレスミスもない。筆記問題は極限まで推敲する。

 いける。

 俺は確信に近い手応えを感じながら、ペンを走らせた。




 2週間後、テスト結果の返却の日は訪れた。

 折りたたまれたそれを、俺はまだ開いていない。ジュンも目を閉じて、待っていた。


「いや、今回も素晴らしかった。全国1位、2位、3位をうちのクラスで独占だ」


 担任が誇らしげに話をする。そのまま誰が何位か言うのではないかとひやひやしたが、その後はいつも通り連絡事項だけを話してホームルームは終わった。

 俺は一目散にジュンの席に向かう。智也はジッとこちらを見つめていた。

 ジュンと俺は言葉も交わさず、スッと結果の紙に手をかけた。


 二人同時に結果を開く。


 7教科合計 698点 全国順位2位


 7教科合計 697点 全国順位3位



 二人で結果を見比べて、結果を理解するのに数秒かかった。何度か見直して、俺は自分が1点差で勝っていることをようやく認識した。


「よっしゃあ!!」


 クラスの喧騒をかき消す程に大きく俺の声が響いた。俺の声を聞いて、智也が横から抱き着いてくる。


「やったな!勇介!」


「ああ、やったよ!」


 改めて自分の名前と順位を確認する。やはり勝っている。1点差、恐らくジュンも1問ミスだろう。配点の差でギリギリ勝ったということだ。


「負けたよ、二ツ橋くん、いや、勇介」


 ジュンは負けても爽やかな笑顔でそう言った。俺たちはライバルとして、友人として固い握手を交わした。まるでオリンピックの決勝が終わった後のような光景だったと思う。事情を知らないクラスメイト達はぽかんとしている。だがそんなことはどうでも良かった。これで、俺は冷泉に告白できる。そう思って冷泉を見たが、そこでハッと我に返った。


「待て、俺が2位でジュンが3位ってことは……」


 ジュンも俺の言いたいことを察したらしく、同じ方向を見つめた。窓際の席で、冷泉は沢山の友達に囲まれている。


「……僕も勇介も、冷泉さんに負けている」


「…………」


 ジュンも失念していたようで、すぐにトイレに向かい話し合った。全国上位の時点で冷泉の中での知的な人、という条件は満たしてはいるのかもしれないが、俺もジュンも冷泉に負けたことには変わりない。


「冷泉に負けているのに告白するって、どうなんだ」


「さっきの話を聞くと彼女は今回も満点だったみたいだ。どうなっているんだ冷泉さんは」


「こっちが聞きたいよ。どうする、ジュン」


「うーん、僕は勇介の結果に関わらず次のテストまで告白はしないつもりだ。負けたままで告白なんて男らしくないからね」


「……それはたしかに」


 ジュンの言うことはもっともだ。今冷泉に告白しても「私よりいい点とってから来てください」とか言われそうな気がする。ジュンには勝ったものの、冷泉には二人して完敗だ。次のテストからも勝負して、冷泉に勝った方が告白しようということで緊急会議は終わった。


「次は負けないよ、勇介」


「ああ、ジュン」


 俺たちはもう一度固い握手を交わした。トイレから出ると、何も知らない冷泉が帰ろうと声をかけてくる。



「それで、三葉君には勝ったんですよね」


「ああ、勝ったよ」


「……勝ったら分かるって言っていましたよね」


 冷泉は若干不貞腐れて言った。言えるわけあるか。


「お前にも勝たないと意味がなかったの!」


「なんですか。男と男の勝負じゃないんですか」


 冷泉は不機嫌そうに言う。俺たちの気持ちも知らないで、と思い俺もだんだん腹が立ってくる。


「……1位じゃなきゃ意味がなかったんだよ」


「なるほど、じゃあ無理ですね」


「何だと!」


 冷泉の即答にイラっとして、つい語気を荒げる。


「私はずっと、坊ちゃまには負けませんから」


 冷泉は俺より一歩前に出てそう言った。そのこちらを振り向く表情は挑発しているような笑顔。それはとても美しい表情だった。そんな顔を見せられると怒りもふっとどこかへ行ってしまう。

 ……確かに、俺はまだ冷泉に勝てていない。冷泉を惚れさせなければ、俺の青春は始まらないのだ。


「絶対超えてやる」


この美しく愛おしい壁を越えなければ、俺の青春は訪れない。


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