第24話


 以前の模試と同じように勉強を始めた。綿密に計画を立て、それを着実にこなしていく。授業もそっちのけで模試の勉強をしていたが前回の成績もあってか先生からは特にお咎めもなかった。対するジュンは余裕そうに授業を聞いているだけだった。家で必死に勉強しているのだろうか。しかし彼は授業中でも眠そうな表情一つ見せない。普段から相当な量の勉強をしていて慣れているのか、それともよほど効率のいい勉強をしているのだろうか。

 自分に勝つのは不可能だとまで言い切る自信は一体どこから来るものなのだろう。

 テストまで10日に迫った金曜日だった。その自信の根拠を、智也から聞くことになった。


「映像記憶?」


「ああ。さっき話してたんだ。ジュンは1度覚えようと思って見たものは絶対に忘れないらしい」


「なんだそれ。本当か?」


 疑い半分で聞く。


「マジなんだよ。さっきクラスのやつと実際にやってたんだ。教科書を数秒見ただけで、一言一句、画像まで全部覚えていやがった!」


 智也の言うことが本当ならすごいことだ。そして同時に、俺には勝ち目はないということにもなる。ジュンはその能力があれば確実に全教科100点を取ってくるだろう。前回の100点もたまたまではなく、ジュンの能力を持ってすれば必然だったということだ。仮に俺が全教科満点をとったとしても、引き分けにしかならない。そんな勝負めちゃくちゃだ。どんなに頑張っても勝ちのない勝負なんて。それならまだ決闘の方が勝ち目はあったかもしれない。


 ため息を一つついて、参考書を閉じた。



 土日の2日間、無為な時間を過ごした。勉強して入ってきていた知識たちが頭から抜けていく。勉強に現状維持はない。やり続け進み続けるか、やめて後退するしかないのだ。そのことが、以前の模試以来日常的に勉強を続けていた勇介には身に染みて分かっていた。

 夜、自室で何もせず呆けているとドアがノックされた。はい、と返事をすると、ドアを開けたのは冷泉だった。


「あれ、勉強していないんですか?」


「ああ、もうバカらしくなった」


 冷泉は俺の言っていることがよく分からないようで、首を傾げた。


「三葉君と勝負しているのでは?」


 冷泉が知っていることに驚いた。


「橋本君に聞いたんです。何でそうなったのかは知りませんけど。またトイレで何か話していたんですか?」


「ああ、まあ」


「負けていいんですか」


「いいも何も、そもそも勝てないんだよ」


「どういうことですか?」


 俺はジュンの映像記憶について話した。


「そういうことですか。うーん、普通に勝ちもあると思いますけど」


 冷泉はさらりと言った。


「いや、今話しただろ?あいつは教科書も参考書も丸々全部覚えてくるんだぞ。勝てるわけない」


「いや、教科書に載っていない時事問題が出ることもありますし、記述問題や現代文なんかは知識とは別の部分もあるじゃないですか。三葉君がミスする可能性だって十分にありますよ」


「それはそうだけどさ。あいつがもしミスしたとしても、俺が満点とらないと」


「私はそんな特殊な能力なんてなくても満点をとれていますよ」


 冷泉は俺の言葉を遮るように言った。確かにそうだ。冷泉は、映像記憶がなくても全教科満点をとっているのだ。もちろん冷泉は常人離れした超人だが、俺が知る限り特殊な能力があるわけではない。演劇の時もそうだった。冷泉は成し遂げたいことを、努力で成し遂げるタイプなのだ。そしてそれで、前回の模試で満点を出している。

なら俺にだって、とれる可能性は十分ある。そしてジュンがミスをする可能性も、十二分にあるのだ。


俺は、自分がジュンに勝てないと思い込んで弱気になっていただけじゃないか。


「……ありがとう、冷泉。やる気が出てきた」


「それなら良かったです」


 冷泉は優しく微笑んだ。それは演技ではなく心からの笑顔だと、すぐに分かった。


「頑張ってください」


 冷泉はそう言い残して部屋を出て行った。参考書を開く。まだ間に合う。普段から勉強していたおかげで以前ほど根を詰めなくても間に合う計画だった。何日もかけて覚えさせ定着していた知識は思っていたほど抜けておらず、2日のロスも取り戻せないほどの痛手ではなかった。いける。できる。そう言い聞かせて、辛いときには冷泉の言葉を、表情を思い出して集中力を限界まで引き上げた。残り1週間、全力で突き進むぞ。





「……またこれか……」


 テストがいよいよ週明けというところまで迫った金曜日、俺はまた保健室のベッドに横になっていた。大きなため息が出た。まあ倒れてしまったものは仕方がない。さっさと帰って復習してから休もう。腹筋を踏ん張って上体を起こした。


「おはようございます」


「うお!」


 冷泉はベッドの前、俺の脚側にいた。勢いよく上体を起こしたが冷泉に驚いてそのまま倒れた。なぜこいつはいつも死角にいるんだ。心臓がバクバクと震えた。


「以前注意したのにまた倒れて。坊ちゃまは馬鹿ですか」


 冷泉は憎まれ口をたたきながらも以前と同じようにビニール袋を渡してきた。


「ありがとう。そう、俺は馬鹿だ。だから精一杯勉強している」


 倒れるほどに。冷泉から受け取ったビニールには前回同様おにぎりが入っていた。しかし俺の好きな鮭ではなく、苦手な昆布だった。こいつわざと……。冷泉を睨んだ。


「2回も倒れた罰です。昆布を食べたくなければきちんと休息も計算して計画を立ててください」


「くそ……」


 苦手な具材でもそれしかなければ食べるしかない。どうせ冷泉は俺が食べ終わるまで帰してはくれないのだ。俺は口の中に広がる独特の味と鼻腔に溜まる磯臭さをなるべく感じないように食べた。


「ご馳走様」


「どういたしまして」


 冷泉は椅子に座ったまま話始めた。


「この前は聞きませんでしたけど、どうして三葉君との勝負にそんなに真剣なんですか?」


「……まあ、男だからな。勝負には勝ちたいよ」


 深く追及されると困る。冗談交じりに言ってごまかした。


「その勝負、というのはどういう勝負なんですか?坊ちゃまがそこまで必死になることというのは、私には現状では恋愛以外思い当たらないのですが」


 冷泉は本気で分かっていないようだ。自分で答えを言っているくせに。いつも何でも把握している冷泉がそんなことに気づいていないのが何だか可笑しい。


「終わったら分かるよ」


「そうですか」


 冷泉は俺がこれ以上話さないと悟ったのだろう、ため息をついて不満気だが大人しく引き下がってくれた。


「……勝つよ」


「はい、頑張ってください」


 冷泉と二人で帰路を辿る。妙に落ち着いていて、焦りはなかった。冷泉と話しながら、ゆっくりとした歩調で家まで歩いた。土曜日曜としっかり睡眠時間を確保しつつノルマをこなした。そして、テスト当日の朝を迎えた。


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