第21話
文化祭が終わり1週間経った頃だった。勇介と智也はいつものようにトイレで会話をしていた。
「デート?」
「ああ、夏休み前は断られたけど、誕生日と文化祭を通してだいぶ距離が近づいた気がするからな。今ならいけるはずだ」
「デートですか」
「そう、クラスのやつがどこか行ってないのかって」
「学校でそんな話してました?」
冷泉が訝しげにジッと見つめてくる。こいつは元気になってからは一切の聞き逃しがない。
「い、いや、トイレでだよ」
「トイレでばかり恋愛話をするんですね」
冷泉は明らかに不審がっていたが、深くは言及せず、視線をやや上に向けて考えた。
「けれどそうですね。付き合っている設定なのに学校では全然話さず、デートの写真一つもないというのは少しまずい気がします。このままだと交際自体が疑われてしまうかもしれません」
「そうそう。だからさ、一回どこか行って写真とか撮ろうぜ」
「そうですね。では週末にどこか行きましょうか」
思っていたよりもスムーズに事が進んでホッとする。7股の頃はしょっちゅうデートしていたが別れてからは初めてだった。そのせいだろう、鼓動が僅かに早くなり、緊張していることを自覚した。
あっという間に約束の日は訪れた。ここでも二人そろって家から出て行くのは良くないとのことで、冷泉の出た10分後に家を出た。駅で待ち合わせるまでの間、スマホや道路のミラーを使って何度も身だしなみの確認をした。以前はこんなに緊張しなかったのに、と思い文化祭の最終日に感じたあの感覚を不意に思い出す。
俺が冷泉に恋をしている?いや、俺は恋ができれば誰でも良い。あいつを落として、隙を見せようものならすぐに2股でも何股でもするつもりだ。断じて恋などしていない。ふるふると首を振って鏡の中の自分を否定する。駅に着くと冷泉は壁際でスマホを見ていた。その姿を見て心臓が跳ねる。いつもは学校での制服姿か、バイトでの制服姿しか見ていなかったが、今日は白のワンピースを着ていた。髪もいつもはストレートだが、くるくると巻かれていていつも見る雰囲気とは違った。ていうかあれはウィッグだから別の物を付けただけなのだろうか。よく分からない。
ふうと息を整えて冷泉にお待たせと声をかける。
「大丈夫です」
「いつもと雰囲気ちがうな。初めて見たけど似合っているよ」
打算を込めて、以前彼女達に言っていた言葉をかける。
「そうですか、どうもありがとうございます」
もう少し照れたりするかと思っていたが、冷泉は表情一つ変えず言い終えるとすぐに改札の方へと向かった。足元にあった、白いワンピース、華奢な体には似合わない大きな鞄を持ち上げて。何が入っているのか分からないが、女子の荷物を聞くのはマナーとしてどうだろうか、と思い触れないようにする。
「今日はどこに行くんだ?」
「プランは決めてあります。効率よく行きましょう」
「効率?」
勇介はデートであまり聞き慣れない単語に嫌な予感がした。
「行き先は私が決めてもいいですか?」
冷泉をデートに誘った翌日、冷泉からそう言われていた。既に俺もどこへ行くか調べ始めていたものの、冷泉が行きたいところがあるならそれがベストだろうと思い一任していたのだが。
効率、という言葉を聞いて勇介は彼女達と別れた時のことを思い出した。あの時も冷泉は効率を重視してとんでもない案を出してきた。今でも青あざが消えていないところもある。もしかしたら今回のデートも効率重視で何かとんでもないことをするのではないか。
だがデートでの効率ってなんだ。
勇介は冷泉の考えが分からないまま電車に乗り込んだ。下り方面の電車は人がまばらで、乗り込んだ車両には俺たち以外乗客はいなかった。端の席に二人で並んで座ると、冷泉が気になっていた行き先の説明を始めた。
「2つ先の駅から少し歩いたところに、今コスモスが満開の公園があります。まずそこに行きます」
「おお。俺も調べたところだ」
県内の名所で調べた時にトップ5には確実に入ってくる場所だった。ここまではいい。良かった、杞憂だったと思った直後だった。
「そこで満開のコスモスをバックに写真を撮ります。その後、もう二つ先の駅で数分の新設したテーマパークに行きます。要所は抑えてあるので、とりあえず写真映えしそうなところだけを回ってすぐに出ましょう。そして駅の逆側にある中高生に人気のカフェで写真を撮って食事をして、次は反対方面の電車で水族館に行きます。その後」
「いや、待て待て待て待て」
淡々と言う冷泉を制止する。冷泉は説明が阻害されて不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「何でしょうか」
「ハードスケジュールすぎないか?」
「そんなことはないと思いますよ。ちゃんと食事の時間もありますし、電車が混まないことも想定済みですので、確実に座って休憩もできます」
「そういうことじゃなくて……」
なんと言ったものかと俺が頭を抱えていると、電車は最初の目的駅に着いた。
「つべこべ言わず行きましょう」
冷泉はスッと立ち上がり、電車を降りた。ため息をついて後を追う。
「はい、チーズ」
演劇の最初の俺くらいの棒読みで、冷泉は俺とのツーショットを撮る。声色は無表情なのに写真が笑顔なのが超怖い。
「では次行きましょうか」
「もう?もう少し見ていかないか」
背後に広がる美しい一面の花々を指すが、冷泉はいえ、と言ってすぐにスマホをポケットにしまう。
「時間がないので」
冷泉はさっさと歩き出す。歩く速度も競歩かってくらい早い。
「もう少し寄ってください。はい、大丈夫です」
カシャ、とスマホが音を立てる。公園の出入り口で写真を撮り、すぐに駅へ向かって歩いた。
「あれ、電車来るまでまだ5分ある」
これならもう少しコスモスを見られただろうと思っていると、冷泉は持っていた大きな鞄を開けて、中からもう一つの小さな鞄を出した。マトリョーシカか。
「中に坊ちゃまの分の着替えが入っています。これに着替えてください」
「え?着替え?何のために?」
「デートを何回もしたと思ってもらうためにですよ。色んなところを回っても、服が一緒だと怪しまれるじゃないですか」
冷泉は俺に小さい方の鞄を渡すとすぐにトイレへと向かった。電車が来るまであと3分。どうやらやる以外に選択肢はなさそうだ。
その後は冷泉に引っ張られるように行動した。テーマパーク。カフェ。水族館。そしてアミューズメント施設も回った。そのどれもが滞在時間一時間以内で、余分なことなどする暇もなかった。当然、それはとてもデートと呼べるような甘い雰囲気ではなかった。どんなデートだった?と聞かれれば、業務的なデートだったと答えると思う。
電車に揺られるままに身体が動く。全身の力が抜け、電車の揺れに合わせて不規則に浮遊感が訪れた。帰りの電車も冷泉の予想通り空いていて、勇介はぐったりしたまま電車のシートに倒れるように座っていた。対面に座る冷泉はいつも通りの表情を崩さず、足を閉じたまま行儀よくスマホを見ていた。すごい勢いで指がスライドしていた。
「何やってんだ?」
「今日撮った写真の確認です。だいぶ撮れたのでこれで怪しまれる心配はないですね」
「何枚くらいある?」
「108枚ですね」
「そんなに撮ったのか」
「はい。恋人らしく、隠し撮りなんかもしましたので」
サラッと隠し撮りというあまり良くない言葉が聞こえたが、盗聴、監視とされてきた今、隠し撮りなんてそれらに比べたら怒るに値しない。俺もあっさりと聞き流した。
「まあとりあえず、これで目的達成だな」
「ええ、ありがとうございました」
「こちらこそ」
電車はトンネルに入った。ガタンゴトンと、外の音がひときわ大きくなる。しかし外と中には明確な壁があって、中はシンと静まり返っていて、時折連結部分の金属音だけが俺たちのいる車両に入り込んできていた。
「……明日も行きますか?」
「まだ撮り足りないのか?」
「いえ、そうではなくて。その、今日色々な場所を訪れて、私もゆっくり回りたくなったといいますか」
冷泉は言葉を少しずつ、手繰るように口にした。俺から視線を逸らして、短く切り揃えられた髪をくるくると指で巻く。それが冷泉からの遠回しな誘いだと、俺は数秒遅れて気が付いた。望んでいた、あるいは望外なくらいの展開なのに、疲弊していた頭と身体では気の利いた言葉なんて出てこない。
「…………行くか」
不自然なくらいの間の後にようやく出たのは、そんなありきたりな言葉だった。冷泉はそんなありきたりな言葉でも嬉しかったようで、少し笑った後、小さくはいと言った。
冷泉には、俺が断るか悩んでいたから間が空いたように見えたのだろうか。笑顔には少しだけ安堵の感情が窺えて、でもそれはすぐにいつもの無表情の陰に隠れてしまった。頭が回らない、理性が薄い状況だからこそ、自分の中の感情が相対的にいつもより大きく感じる。否定する気力もなくて、きっとそんなはずがないと思っていた感情を、遂に自覚して、認めてしまう。
俺は、冷泉に恋をしているのだ。
翌日、昨日訪れた場所の中から、コスモスの公園、そして水族館の2つを回った。昨日自覚した恋心は俺の心臓の鼓動を速め、そして緊張させた。いつもよりもっと会話が続かず、そして沈黙が多かった。珍しく冷泉が楽しそうにしていたのに、逆に俺はローテンションになってしまった。デートで相手に合わせてテンションの調節をするのは以前なら容易にできていたはずなのに、今日ばかりは全然上手くいかない。上げようとするとつまらないことを言ってしまったり、下げようとしたら行き過ぎて不機嫌な顔をしてしまったり、何だか自分の身体が自分の物ではないみたいだった。冷泉のことはこれまでも観察してきたし、何となく些細な表情の変化も演技か本音かも見分けられるようになっていたのに、この日はそもそも顔を見ることがままならなかった。こんなのまるで子どもだ。冷泉に嫌な思いをさせてしまったのではないかと考えて、それもまた子供じみた悩みだと首を振って思考ごと吹き飛ばした。
「今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ。俺も楽しかったよ」
帰りの電車でようやく落ち着きが戻ってきた気がする。しかしもう手遅れだ。はあと深くため息をついて、それもまた失礼なことではと思いハッとする。正面に座る冷泉は聞こえていなかったのか気にしていないのか、昨日と同様スマホを見ていた。その姿を見て、まだデートは終わっていない、と自分を鼓舞する。終わりよければ全てよしだ。せめて帰宅するまでは楽しい思いをしてもらおうと、口を開こうとした時だった。冷泉はスマホの画面を見たまま口元に手を当てクスクスと笑い出した。
「何か面白いものでもあったのか?」
「……いえ、なんでも……」
そう答えながらも冷泉は笑い続けていた。冷泉がこんなに笑うことなんてめったにない。何だろうと思い立ち上がる。
「何だよ。気になるな」
「……これです」
「なっ!?」
そこに映っていたのは水族館での俺の写真だった。それもとびきり間抜け顔の。目は半開きでボケーとした、完全に気の抜けた表情だ。薄暗い中でバックに大きな水槽がある幻想的な背景との対比で、その顔はよりアホみたいに映る。
「……そんなに面白いか?」
「すみません。でも、でも」
少しムッとして言うと、冷泉は俺にスマホを渡してくる。写真の中の自分と睨めっこしていると、何だか自分でも笑えてきてしまった。二人きりの車両で、二人で笑いあった。
「ああ、おかしい」
冷泉はやっと笑いを収めると、目元に浮かんだ笑い涙をハンカチで拭った。なんだかな、と思う。一日中、冷泉に楽しんでもらおうとして力が入りすぎていたかもしれない。勝手に気難しい奴だと決めつけて、特別なことをしようとしすぎていた。冷泉はこんなに些細なことで笑う、普通の女の子なのだ。
「後でその写真、俺にもくれ」
間抜けな自分の写真も、冷泉を笑顔にした写真だと思うと何だかとても誇らしいものに思えた。……鏡と見比べてこの顔ができるように練習しよう。
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