第20話


 全校生徒での開会セレモニーを終える。吹奏楽部の演奏などで大いに盛り上がったのだが、俺の中ではロミオのセリフがぐるぐると渦のように回っていてそれどころではなかった。

 3日間に及ぶ文化祭は今日、金曜日が学校の生徒のみでの開催で、土日は学外の人も招き入れてのものとなる。毎年どのクラスの出し物が良かったか、入場者にアンケートを渡しているのだが、今年は演劇のクラスが多いことを知った先生たちが事前に良かった演劇を記入する欄を設けてくれた。このシステムのおかげで勝敗がより明確に分かる。うちのクラスの演劇部の工藤さん、安田さん、飯島さんはそのことを知り燃えに燃えていた。


「よっしゃあ!勝つぞ!」


 普段は大人しい飯島さんも、文化祭の熱にやられたのか、はたまたそっちが素なのか、小道具の剣を肩に携え今までにないくらいの声をあげている。


 うちのクラスは1時間半の公演を一日目に3回、二日目に4回、最終日に2回行う。中々にハードなスケジュールだが、勝負とありなるべくクオリティを落とさず、且つ沢山の人に見てもらうための調整だった。道具担当の人がビラ配りや前売りの券を発行したところ思った以上に売れてしまい、教室の狭いスペースはあっという間に埋まってしまった。


 初演。教室の半分ほどをカーテンで区切り、舞台と座席に分ける。舞台の窓際に作られた狭い即席更衣室で代わる代わる着替えたり、化粧をしたりする。ちらりと隙間から客席を覗くと、10分前にもかかわらず既に席は生徒で埋まっており、始まるのを今か今かと待ち望んでいるように見えた。元々緊張はあまりしない質だが、場に溜まっているみんなの緊張が伝線したようで、心臓を綿で締め付けられているような嫌な焦りを感じた。しんと静まり返っていて、誰も言葉を発しようとしない。あまり良くない傾向に思えた。

 どうにかしなければと考えていると、更衣室のカーテンが開く音が沈黙を破った。皆が振り向くと、美しいドレスに身を包んだ冷泉がいた。以前も感じた冷泉のお嬢様的美しさは華やかなドレスと化粧により数段強化されており、名前通り、麗しいという言葉が似合う美人だった。


「綺麗だ……」


 ぼそっと、ほとんど無意識にそんな言葉が口から出た。すぐにハッとして口元を抑えるも、静かだったせいで全員に聞かれてしまったようで、みんな栓が抜けたように噴き出して笑い始めた。


「惚気か?」


 智也が野次を飛ばすと、それに倣うように皆が口々に俺をからかった。不本意な形だがどうやら緊張はほぐれた様だ。無意識に出た言葉だったが、結果的に皆のためになったようで良かった。工藤さんは俺にグッと親指を立てた。


「じゃあ最後にもう一回」


 狭いスペースで、ぎゅうぎゅうになりながら縦長の円陣を組む。俺は隣にいる普段とは違う冷泉に触れていいものかと手のやり場に困っていると、冷泉は笑って思い切り俺の肩をつねった。確かにここで遠慮していたら演技にも支障が出かねないけどつねることないだろ。

 ていうかすんごい痛い。


「成功させるぞ!」


「おお!」


 客席に聞こえないよう、小さな声で叫んだ。


 ブー、と演劇開始を知らせるブザーを鳴らし、電気を消した。照明が舞台を照らす。最初はいがみ合う両家の使用人による喧嘩から始まる。ふー、と大きく息を吐く。呼吸が短くなるとセリフの声量が変わってしまう。気を付けなくてはと思い、何回も深呼吸をした。


「緊張してる?」


「ああ、少し」


 小声で話しかけてくる冷泉にこちらも小声で答える。


「大丈夫。上手くなったでしょ」


 冷泉の優しい声色に、緊張が優しく解けていく。


「……そうだな」


 昨日の最後の全体練習の映像を思い出す。最初とは見違えるほど成長した自分の姿がそこにはあった。それも全て、冷泉と工藤さん、そしてクラスメイトのおかげだ。俺は期待に応えなければ。出番が来て、舞台に上がる。

 淡いスポットライトの中、俺はロミオになり、冷泉、ジュリエットと恋に落ち、そして二人は……。


 初演から最高のパフォーマンスを発揮し、観客を魅了することができたと思う。やはり万全になった冷泉の演技力は化け物級で、俺は食らいついて行くのでやっとだった。



「お疲れ!」


 初日の3公演が終わり、工藤さんの手からひょいとペットボトルが飛んでくる。それをキャッチすると、思い切りラッパ飲みした。


「すごかったよ!二人とも!」


「お疲れ!」


 クラスのみんなから温かい拍手を受けると、何だか俳優にでもなった気分だった。


「明日もあるんだから、体冷やさないようにね!」


「はーい」


 冷泉が子供のように返事をすると笑いが起きた。




 二日目。大きなトラブルもないまま俺たちのクラスは順調に劇をこなしていた。毎回観客は超満員となり、舞台上から見る限りは満足してもらえていたと思う。泣いている人もちらほらいた。だが他の演劇を行っているクラスも人気なようで、工藤さんたちは劇の合間に偵察に行ったりもしていたが、どこもほとんど満員だったという。こうなると、本当に演技のクオリティが勝負の明暗を分けると言っても過言ではない。俺たちはそのことを悟り、必死に演技を続けた。その甲斐あって、全ての劇を見たという演劇部の先輩から「このクラスが一番良かった」「他の人もそう言っていた」と、かなりありがたい意見を聞くこともできた。

 このままいけば勝てる、そう思っていた。


 


 事件は三日目に起きた。

 智也と二人で登校時間ギリギリに教室に着くと、なにやらざわざわと騒がしい。そして騒動の中、工藤さんは両手で顔を抑えて泣いていた。隣には安田さんがいて、泣きそうな顔で工藤さんの肩を抱いていた。すぐにただ事じゃないと感じ取り、近くにいたクラスメイトに事情を聞いた。


「衣装が破られていたらしいんだ。それも主演二人の分だけ……」


 急いで衣装を保管していた教室に向かうと、数人のクラスメイト、そして冷泉がびりびりになった衣装の前で立ち尽くしていた。破られていた、と聞いた時には少し割かれた程度だと思っていたが、もはや衣装は原型をとどめておらず、それを作り直そうとしたら膨大な時間がかかることは容易に想像できた。冷泉の表情は分からないが、その後ろ姿から、彼女がただならぬ感情の中にいることは分かった。俺も悔しい気持ちと怒りで頭に血が上っていくのを感じ、誰がこんなことを、と考えると知らず知らずのうちに拳を握っていた。


「くそっ!」


 バン、と衣装担当だったクラスメイトが壁を殴る。ギリギリと歯を食いしばって、犯人が出てこようものなら殴りかかってしまいそうなほどだった。どうする。とりあえず先生に報告して、今からすぐに借りられる貸し衣装を調べるか、そう考えている時だった。


「……坊ちゃま」


 冷泉は皆の前だというのに小さな声で俺をそう呼んで、俺の腕を掴んで引っ張り、教室を出た。


「おい、冷泉」


 冷泉は何も答えず、ただ俺の腕を引っ張って歩き続けた。そして誰もいない、旧校舎との渡り廊下でようやく立ち止まった。


「私は諦めません」


 冷泉は俺の目を見てそう言った。冷泉の目は幾分かいつもより潤んでいるように見えた。


「……俺だって諦めたくない。これから衣装を借りられるところを探そうと」


「それだけでは足りません」


「……え?」


 冷泉は真剣な、恐ろしい表情で言った。


「犯人はきっと、衣装がなくなって慌てふためいた私たちの演技を見に来るはずです。私たちの劇を」


「ああ、まあそうかもしれないな」


「だから、証明しましょう。衣装なんてなくても関係ないって。お前のしたことは無駄だったぞって」


「……は?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。まさかこいつは、衣装なしでやるつもりなのだろうか。制服しかないこの状況で。


「そんなこと」


「できます。もっと演技を高めて、限界までクオリティを上げて、衣装なんてどうでも良くなるくらいの圧倒的な演技を見せつけましょう」


 冷泉があまりにも真剣な顔でそう言う。きっと冷泉には策があるのだろう。そして多分それは、俺が一番ハードな感じのやつだ。衣装を借りれば、きっと劇は今まで通り上手くいくだろう。何なら似たような衣装くらいなら俺の家にあるかもしれない。だが冷泉はそれだけでは足りない。完膚なきまでに犯人の心を叩きのめしたいというのだ。恐ろしい負けず嫌いと言うか怨念というか。だが俺もその気持ちは共通していた。今までなら、自分が辛いことになるのを分かっている道なんて選ばなかっただろう。けれど、やりたいと思った。クラスのみんなのため、犯人を負かすため、そして冷泉のためにも。ふうと一つ息を吐いて、俺も覚悟を決めた。


「やろう。指導は頼む」


 そう言うと、冷泉は微笑んだ。今まで見たことのない、怒りを孕んだ好戦的な微笑みだった。


 担任に事情を説明し、俺と冷泉は朝のHRそっちのけで演技の練習に入った。一つ一つのセリフを改善していく時間はない。ただひたすら、基礎の質と解釈を高める。


「今日までの練習と7回の公演で、もうこの言葉、この場面が来たらこのセリフ、というのは体が覚えているはずです。だからすべてのセリフに、もっと鮮度を与えます」


「セリフに鮮度?」


「はい。本当にその場で考えて言っているかのようなリアリティを出すんです。衣装で表現していたリアリティを、セリフで補います。あえて芝居がけてやっていたものを、より現実らしく言うことで現実感を出すんです」


「なるほど……」


「急ぎましょう。時間がないです」


 時計は8時半を指していた。今日の公演は2回。最初の公演は11時。あと2時間半だった。俺たちはその2時間半、限界まで演技を追求した。それは冷泉が普段学校でしている演技と同様の技術で、俺はそれを学ぶことで、自分自身を極限までロミオに近づけた。


「お待たせ!」


 指導が終わり教室へ向かう。ぴったり11時だった。工藤さんの目は赤くなっていて、俺たちを見るとまた泣きそうになった。


「ごめん、衣装貸してもらえるように色んなところに電話したんだけど、日曜なのもあってどこも休みで……」

 

俯き言う工藤さんの肩を、冷泉はポンと叩いた。


「気にしないで工藤さん。私たちは大丈夫」


 工藤さんはそれを聞いて、うんと頷いた。ぶっつけ本番だ。お互い以外誰にも見せていない。だけど、いけるという確信があった。先に俺の出番が回ってくる。鎧を着たクラスメイトの舞台の中に、制服姿の俺が颯爽と現れる。客席が一瞬ざわついたのが分かる。しかしそのざわつきは読み通りだ。問題はここから。俺は冷泉に言われたことを反芻して、セリフを言った。


「まだそんなに早いのかね?」


 そのセリフはとても自然に、俺自身が言ったかのようだった。舞台上のクラスメイトも驚いたように俺を見る。そして、すっと次のセリフを言う。冷泉の狙い通り、とても自然に、役に溶け込めた。憑依型の俳優という言葉を聞くが、こういうことなのかもしれない。俺は身も心もロミオになっていた。俺の言葉はロミオの言葉として今考えられ吐き出された。俺は服以外の全てがロミオだった。

 最初のシーンを終え、場面転換に入る。冷泉は俺の顔を見て笑った。


「すごかった。このままじゃ負けちゃいそう」


「よく言うよ」


 第二幕が始まる。冷泉はすうと息を吸って、ジュリエットになった。スポットライトの下、制服はドレスのように映え、冷泉は美しく自然に、ジュリエットを演じた。




『共演シーンは息を吞むほど美しかった。制服のまま舞台に上がった二人の主役は、周りとの衣装の差を感じさせないほどに馴染んでおり、二人きりの舞台では制服があの時代の正装なのではと錯覚したほどだ。教員として、生徒の演劇に優劣をつけるのは無粋かと思うが、一演劇ファンとして言わせて頂きたい。最高の演技、最高の演劇だった。 演劇部顧問 橘 英樹


  一番良かった演劇を記入してください  1年A組  ロミオとジュリエット』




 文化祭終了から三日後、クラスごとの集計が終わり、全校集会で結果が発表された。


「演劇部門、優勝は……1年A組!」


そうアナウンスされ、俺たちは立ち上がり、跳ね上がって喜んだ。クラスメイトに囃し立てられ、冷泉と二人、舞台上に上がる。


「素晴らしい演技だった。おめでとう」


 演劇部の顧問と校長に賞状とトロフィーを授与される。振り返り全校生徒に礼をする。割れるような拍手の中、冷泉と二人で顔を見合わせて喜んだ。ふと見えるその表情は、きっと演技ではないと分かった。


 文化祭最終日、2回目の公演を終えた後、俺と冷泉は二人で文化祭の出店を回った。


「友達と回らなくて良かったのか?」


「うん。友達に二人で行きなって言われちゃったから」


「そうか」


「うん」


 演劇の疲労もあってお互い口数が少なかったが、二人で出店のたこ焼きを食べたり、体育館でバンドのライブを見たりして過ごした。その中で、俺は一つ自分が成長していることに気づいた。冷泉の演技と本音を見分けられるようになっていたのだ。もちろん全てではないけれど、時折、これは演技だなとか、これは本音だな、とかが感覚的に理解できるようになった。たこ焼きを美味しいと言ったのは本音だし、バンドの演奏を見てすごいねと言ったのは演技だ。

 きっと最後に冷泉から学んだ演技が、普段冷泉がやっている演技に近しいものだからだろう。俺は何だかそれだけでぐっと冷泉との距離が近づいたような気がして嬉しくなり、直後にそんなことを喜ぶなんて、まるで自分が冷泉に恋をしているみたいだなと思い自嘲気味に笑った。

いや、まさか、ね。すぐに考えるのをやめた。


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