第18話


「何かやるのか?」


 珍しくトイレをトイレとして利用していた時、智也がふとそう言った。だが主語がないから何の話か全く分からない。


「文化祭だよ」


「あー」


 言葉を補填されてようやく理解する。ていうか最初からそう言え。

 そういえばさっき担任が話していた気がする。この後のHRは文化祭の話し合いだとかどうとか。文化祭は10月の暮れ、おおよそ1か月半後だ。何かをするならそろそろ準備を始めないとまずい頃合いだろう。やろうと思えば何かしらはできる。文化祭でのバンド演奏なんかはきっと注目されるしアピールもしやすいだろう。しかし学校内のほぼ全員が俺と冷泉の関係(嘘)を知っている今、そういった大勢への薄いアピールをしても大して意味がない気がした。恋愛ソングなんて歌おうものなら冷泉に向けて歌っていると思われてしまうだろう。それならクラスの出し物などで冷泉と接近した方が効果的な気がした。最近の冷泉の様子は以前とは少し違ってきている。文化祭で上手いことやれば惚れさせることだって夢じゃないかもしれない。


「おい、授業始まるぞ」


「ああ悪い」


 智也に言われて思考の世界から戻る。ベルトを締めて教室に向かった。



「10月末、3日かけて文化祭が行われる。そこでやるクラスの出し物を一つ決めてもらう」


 担任の言葉にクラスがざわざわとどよめく。そこかしこで声が上がり、早くも文化祭という学生にとってのビッグイベントによって浮足立っているのが分かった。


「とりあえず去年の出し物のリストを配るから、これを見て一つ、やりたいものを選んで投票してくれ。もちろん、リストにないものでも構わない」


 リストを受け取り見る。飲食店飲食店お化け屋敷飲食店お化け屋敷……。同じものばかりでどこかつまらなく感じた。中には飲食店しかないフロアがあり、フードコートみたいになっている。そのほかには演劇、縁日、遊園地などがいくつかあるだけだった。この中で冷泉と接近するなら……、と考えるが、どれをやろうにも結局クラス内での役割分担次第な気がした。とりあえず出し物はどれでもいいがどうせなら、と考えてお化け屋敷と書いて投票した。シンプルに一番作業量が多そうだったからだ。

 全員が投票し終えると、委員長が一枚ずつ開票していった。お化け屋敷、飲食店、お化け屋敷、お化け屋敷、休憩所……。と開票していく中で、ちらほらと演劇に票が入り始めた。ぐんぐんと演劇は票を伸ばしていき、最後の1票を終えたところで、遂にそれまで首位だったお化け屋敷を追い抜き、トップでゴールを果たした。

 演劇に決定です。と、委員長が告げると、よっしゃ!と廊下側の席の女子、工藤さんが大きな声をあげた。ああ、そういえば彼女は演劇部だったか。工藤さんは明朗な女子で、男女問わず人気がある。冷泉とも仲が良く、よく話しているのを見る。きっと同じグループの人たちに演劇を布教して票数を稼いだのだろう。


「じゃ、じゃあ演目とかって何か


「はい!はいはい!」


 委員長が言い終える前に工藤さんが大きく声をあげる。困惑気味にじゃあ、工藤さん、と委員長が言うと、工藤さんはニヤリと笑って言った。


「ずばり!二ツ橋君と冷泉さんによるロミオとジュリエットがいいと思います!」


「え?」


 いきなり自分の名前が出て驚いた。驚いたのは冷泉も一緒のようで、俺たちは呆けた表情で顔を見合わせた。演目だけではなく配役まで決定済みだった。工藤さんの熱は止まらない。


「我がクラスが誇る美男美女カップルを使っての恋愛劇。これは人気が出ること間違いなしです!脚本、演出、監督は私がやります!どうかぜひ、私の提案に清き一票を!」


 言い終えると蓋を閉じたかのようにすぐに席に座った。クラス中が呆気に取られて静止している中、チャイムが鳴った。




「二ツ橋君、麗ちゃん、よろしくねー」


 工藤さんに帰り際そう言われ、冷泉はもうーと頬を膨らまして、俺は困ったように苦笑した。しかし心中では工藤さんに感謝を表して軍隊さながらにびしっと敬礼を決めていた。ナイスだ、工藤さん。貴方の提案が通れば俺は冷泉と急接近できる。




 翌週のHR、工藤さんのロミオとジュリエットの意見に反対の人は現れず、そのまま工藤さんの案は決定となった。配役は話し合われなかったが、まあ主役の二人は決定だろうと、クラスのみんなが思っていただろう。

 更に翌週のHRで係の分担が決められた。クラス全員が演者に宣伝広報、大道具に小道具、衣装係に振り分けられ、もはや俺たちは意見を聞かれることもなく演者の下に名前が書かれた。その日の放課後から文化祭に向けた準備がスタートし、帰宅部である俺と冷泉は演劇部にして今回監督を務める工藤さんの指導の下、演技の練習を開始した。


「いい?演技はエモーションよ!ただ二人の愛を、放出するだけでいいの」


 グラサンを掛けメガホンを持ち、大げさな身振り手振りを交えて自らの演技論を語る工藤さんを、俺と冷泉は苦笑いしながら見ていた。さすが演劇部。


「じゃあ早速、台本の読み合わせからいこうか!」


 ほかの役の人も交えて読み合わせを始める。最初ということでストーリーの理解をメインに行っていくのでみんな棒読みだ。


ロミオとジュリエットはシェイクスピアによる有名な戯曲の一つだ。いがみ争っている2つの名家の一人息子ロミオと、一人娘のジュリエットが恋に落ちるという話。ロミオ、あなたはなぜロミオなの。というセリフはかなり有名だ。読むのも初めて、演技も初めてということもあり、皆が詰まり、噛みながら苦戦して、読み合わせだけで2時間以上がかかってしまった。すっかり秋も最中になり、日が落ちるのも早い。その日は読み合わせだけで解散となった。



「お、お前らも今終わりか」


「ああ。お疲れ」


 帰り支度をしていたところ、別の空き教室で大道具づくりをしていたジャージ姿の智也が教室に戻ってきた。智也はちらりと教室を見回して冷泉と工藤さんの姿を確認し、着替えを持ち教室を出た。ちょうどトイレに行こうと思っていたので、智也の後を追いかけた。


「大道具って何作ってんだ?」


「いや、まだ何も。今日は何作るかとか、材料どれだけ必要かとか話し合っただけだ」


「なるほどな。じゃあジャージに着替えた意味なかったのか」


「そうだな。ジャージのまま帰れれば楽なのに」


 トイレに入ると、智也は個室に入り、俺は小便器の前に立つ。


「良かったな。冷泉さんと仲良くなる大チャンスの到来だ」


 智也が個室から声を響かせる。


「ああ、工藤さんには感謝しているよ」


「あの勢いじゃ誰も反対できないよな」


「ちがいない」


 二人でからからと笑う。少し間が空いてから、個室のドアが開く。


「そういえばお前、演技って大丈夫なのか?」


「? 大丈夫って?」


「……はあ。お前は覚えてないか」


 智也はため息をついて言う。


「何だよ」


「……何でもねえよ。お前に演技なんてできるのかなと思っただけだ」


 智也の言葉に、俺はふっと鼻を鳴らした。


「智也よ、俺を誰だと思っているんだ。7股をしている間、全員に君を一番愛していると言い続けた俺だぞ」


「自信の根拠が最低すぎる……」


 智也は勇介の自信とは裏腹に、勇介の演技に不安を抱いていた。勇介は覚えていない(あるいは自覚していなかったのかもしれない)が、幼稚園の頃演劇をやって、勇介の演技は園児の中でも群を抜いて下手くそだったのを覚えていたからだ。それまでは何でもできる幼稚園のヒーローのような存在だった勇介の唯一ともいえる欠点だったから、智也の中にはそれが鮮明に印象づいていた。まあでも、勇介も成長しているし演技の練習?も積んできたようだし大丈夫だろうと、自身の杞憂で終わることを願った。




「じゃあ今日から本格的に演技してもらうから、ビシバシ行くよ!」


 工藤さんはいつにも増して気合いが入っていた。うちのクラスの演劇部は工藤さんともう2人いる。聞いたところによると演劇部は今結構な大所帯で、実力も中々のものらしい。三人で手分けしてそれぞれの演技指導を行うことになった。俺と冷泉の指導はもちろん工藤さんだった。


「じゃあ行こう。ロミオの最初のセリフね。私の後に続いて」


「うん」


 台本に目を落とす。工藤さんがセリフを読み上げる。さすがに上手だ。ただの台本読みでも、発声から素人とは違う。役に合わせて男っぽく声も変えている。そんな分析をしながら、自分も工藤さんに続く。2つ目の会話を終えたところで、ピタリと声が止まった。次は工藤さんのセリフのはずだ、とちらと顔を見ると、何だか怪訝な表情で工藤さんと冷泉が俺の顔を見ていた。


「えっと、二ツ橋君。台本読みだけどもう少し気持ち込めてやってほしいな」


「あ、ごめん。分かった」


 今でも結構なりきっていたつもりだったのだが。やはり演劇部の人は少し厳しめなのかもしれない。そう思い今度はややオーバーなくらいを意識してセリフを読んだ。


「ストップストップ!」


 工藤さんは俺のセリフを遮るように言った。そんな変なミスをしただろうか。


「ちょっと、麗ちゃん。これどういうこと?」


「私に言われても……。演技なんて初めて見たし……」


 工藤さんに言われて冷泉も困ったように笑う。一体何だというのだろうか。


「ごめん、二ツ橋君。まじめにやってるんだよね?」


「? やってるけど」


 あまりに疑われるので若干語気が強くなってしまう。二人はうーんと顔を見合わせて、工藤さんはポンと手を叩いた。


「そうだ、じゃあ録音してみよう」


 ポケットからスマホを取り出しボイスメモを起動する。先ほど同様工藤さんがセリフを読み上げ、俺もそれに続いた。先ほどと同様、しっかりと真面目に、ロミオになりきって読んだつもりだ。3つほどセリフを終えたところで、工藤さんが録音停止ボタンを押す。


「よし、じゃあ二ツ橋君、聞いてみて」


 音が再生される。ザー、という微かなノイズの後、工藤さんの声が響く。スマホ越しでもよく通るいい声だと思う。しかしその後、俺のセリフのタイミングだった。まるで機会が文章を読み上げるような無機質な声が入ってくる。無機質?機械仕掛け?棒読み?形容しがたいがとにかくそれはとても演技とは言えない代物だった。ただ言葉を読んでいるだけだ。自身の脳内イメージと違いすぎて、最初それが自分の声だとは分からなかったくらいだ。二人が俺を疑うのも無理はない。


「これ、俺?」


 恐る恐る聞くと、二人はこくりと頷いた。


「本当にまじめにやってたんだ……」


 冷泉がそう言って、工藤さんは絶句していた。


「なんでこんなことに……」


 もう一度録音を聞きなおす。文字に起こそうものならすべてがカタカナになりそうなセリフ。間に上手い工藤さんのセリフが入る分、より際立って機械的に聞こえた。


「ちょっともう一回お願い」


 工藤さんは頷いて録音を開始する。同じ部分のセリフを読み上げる。あれであんなに棒読みになるなら、もっと大胆に。そう意識して、日常会話の部分をミュージカルの終盤くらい感情をこめて大げさに読み上げた。


「これでどうだ」


 工藤さんからスマホを受け取る。二人の顔は引きつっていた。


「……なんだ、これ」


 棒読みではなくなったものの、今度は気持ち悪かった。何と説明すればいいのか分からない。抑揚などはついたものの、全てが的外れなうえに拭いきれない棒読み感。やはり気持ち悪いとしか形容できなかった。


「うーん、どうしたものか……」


 工藤さんも腰に手を当て天井を仰ぐ。既にお手上げ感が出ていた。


「とりあえず麗ちゃんは安田のところ行って別のところから練習してて。彼氏は私がどうにかしてみせるから」


「うん、分かった」


 工藤さんに言われ、冷泉は教室を出て行った。せっかく二人で練習するチャンスだったのに、自分の演技力のせいでみすみすチャンスを逃してしまった。工藤さんとマンツーマンの特別授業が始まる。


「さあ、二ツ橋君!やるよ!」


「はい……」


 冷泉の背中を見送り、半泣きで演技練習に励んだ。




「今日はここまでで……」


 空が暗くなりしばらく経ち、19時半になったところでその日の練習は終わりを迎えた。一向に上達しない俺をどうにかしようと工藤さんも奮闘していたが中々上手くいかず、フラフラと力なく鞄を肩にかけた。


「ありがとう!お疲れ様!」


 俺がそう声をかけると、工藤さんは練習開始時より5歳は老けた顔で力なく微笑んだ。ちょうど他のクラスメイト達との練習を終えた冷泉と合流し、一緒に下校する。冷泉は下駄箱で不安げに口を開いた。


「少しは上手くなった?」


「いや、全然」


 本当に全然だった。抑えようとすると棒読みになるし、仰々しくすると気持ち悪くなる。どこをどうしていいか俺も工藤さんも分からないまま今日の練習は終わっていた。


「しっかりしてよ?二ツ橋君の演技が上手くならないと他のクラスに負けちゃうよ」


「負け?」


「あれ、工藤さんから聞いてない?」


「ああ、何も」


「今年、文化祭で演劇やるクラスがいっぱいあって、演劇部の中でどのクラスが一番になれるか勝負してるんだって」


「なるほどね。そういうことか」


 工藤さんの気合いの入りようはそのためだったのだろう。そしてその意気込みを俺は見事に打ち砕いたと……。


「だから気合い入れて頑張ってよ?私の足引っ張らないでね」


 優しい言葉尻とは裏腹に、その言葉には強烈な圧を感じた。冷泉の演技力は知っている。俺がどうにかしなければ、このままでは超絶アンバランスなロミオとジュリエットになりかねない。


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