第8話

「お金?」


「そう、金だ」


 勇介は親指と人差し指で〇を作る。


「何、冷泉さんって貧乏なの?」


「それは知らない。けど、あいつは仕事として侍女をやっているわけだろ?父さんか誰かが給料を出して、俺の監視を依頼しているわけだ」


「まあ、そうだな。探偵みたいなもんだ」


 智也がふむふむと頷く。


「そう。つまり、もし俺が父さん以上の金を出したら?」


「お前に寝返る可能性があるってことか」


 智也は勇介の意図が分かりハッとする。


「そういうことだ」


 勇介はニヤリと笑った。


「でもお前、そんなに金あんの?」

 

智也の疑問に、勇介は鼻で笑う。


「俺は二ツ橋グループ社長の一人息子だぞ?毎月小遣いで10万貰っている」


「毎月10万!?すげえな。お前、そんなにもらってたのか」


 今度から勇介と出かけるときは全部奢ってもらおう、と智也は思った。


「ああ、貯金もいくらかある。学生のあいつの給料なんてたかが知れてるからな。それより多く払うくらいわけない」


「それが上手くいけばこのトイレでの作戦会議も終わりだな!」


 智也は嬉しそうに言う。


「ああ、まずはあいつがいくら貰っているのか聞いてみる」


 待ってろ、夢の高校生活!そう叫んで勇介はトイレを出た。



 冷泉との下校中、人気がいないのを確認して勇介は思い切って尋ねた。


「冷泉ってさ、給料いくら貰ってるの?」


「急に何ですか……」


 冷泉は明らかに嫌悪感を抱いている表情を浮かべた。

 そりゃ急にそんなこと聞かれたら嫌な気持ちにもなるだろう。

 しかしそれは計算のうちだ。きちんと対策は考えてある。


「いや、もし俺が会社継いだらさ、侍女にはいくらくらい渡せばいいんだろうなって気になって。ほら、今日授業で給料の話題出ただろ?」


 実際経済の授業で給料の話は出ていたし、自然な流れのはずだ。


「ああ、そういうことですか。そうですね……」


 冷泉はスマホを取り出して調べ始めた。


 勇介の予想は5~6万程度だった。高校生がバイトでもらう額なんてそんなもんだろう。

 多少自身の財布事情は苦しくなるが、恋愛するためにはやむを得ない。しばらくは貯金を切り崩しながらやって行こう、と思っていた。

 冷泉が口を開く。勇介は唾をのんだ。


「毎月の手取りが30万、最近は坊ちゃまの監視が増えましたので+10万、それに年2回ボーナスもあります」


「……は?」


 聞き間違いかと思った。想像を超える額に、勇介は愕然とした。貯金を切り崩しても一か月しか払

えなかった。


「はい。福利厚生もあって待遇もかなり良くしてもらっています。お金がすべてではないですけど、やはりモチベーションにはなりますからね。

 ご期待に添えるように頑張ろうという気になります」


 勇介は冷泉の言葉を聞いてげんなりとした。金額が想像のはるか上だったこともあるが、冷泉の大人な金銭への向き合い方に、金で懐柔できると思っていた自分の浅はかさがより強調された気もした。


「坊ちゃまが社長になっても社員の待遇はしっかり良くしてあげてくださいね」


 冷泉はそう言ってすたすたと歩きだした。


「……はい」


 自分よりずっと大人な冷泉に、無意識のうちに敬語で返事をしてしまったことが、更に勇介の惨めさに拍車をかけた。




「それは無理だな……」


 勇介は翌日、失意のまま智也に報告をした。智也もその額の高さに驚いていた。


「だろ?よく考えたらあいつ父さんから相当期待されてるみたいだし、多分侍女の中でも相当多く貰ってるんだと思う」


 翌日、俺は相変わらずトイレで智也と話していた。金で解決するのは不可能だと分かった。何か別の案がないかと考えるものの、そうそういい案など出ない。その日は休み時間になるたびにトイレにいたが、結局何も浮かばず終わってしまった。




「なんだこれ」


 おかゆに昆布とわかめの入った味噌汁、ひじきとこんにゃくの煮物、など、その日食卓に並んだのはヘルシー、というか病院のような食事だった。


「冷泉様より、坊ちゃまはお腹の調子が悪いかもしれない、との報告を受けましたので、胃腸に優しい食事をご用意いたしました」


 料理担当の侍女の一人が言った。


「あいつ……」


 勇介は頭を抱えた。しかしここで下手に反論してしまうとトイレまで監視対象になってしまうかもしれない。勇介は黙って味気のない食事を平らげた。




「そもそも、冷泉さんってなんで侍女やってるんだ?」


「なんで……。なんでだろう」


 智也の疑問に勇介は答えられなかった。


「そんなに優秀なら、もっと他にやれる職業も山ほどあると思うんだよな。てかお前より優秀なら冷泉さんが会社継げばいいのに」


「それは俺も薄々感じてたから言うな……」


 智也は意外とバッサリと言うタイプの人間だ。でも確かに、智也の言うことは的を射ていると思う。俺が見た中でも冷泉は身体能力も高く、探偵のような追跡、監視もできて、別人と勘違いするほどの演技もできる。他の道も選び放題のはずだ。なぜ侍女なのか。個人的興味も湧いた。


「ちょっと聞いてみるか」


 チャイムが鳴る。俺と智也は駆け足でトイレから出た。



「なあ、冷泉ってなんで侍女やってるんだ?」


「また急ですね……」


「ふと疑問に思って」


「そうですか……。理由、は特にないですね。ただ家系的に、母も祖母も皆二ツ橋グループの侍女をやっていたので自然と私も、って感じです」


「なるほど。やめたいと思ったことはないのか?」


「ないですね。面倒な仕事もありますけど、まあそんなのどの仕事も同じだと思いますし」


 勇介はその言葉を聞いてこれはだめだと諦める。やっている理由や不満を聞ければ辞めさせることは可能だと思っていたが、まるで付け入る隙がなさそうだ。


「お前は大人だな。面倒な仕事って、どんなのがあった?」


「……今が一番ですかね」


「今?……あ」


 一瞬疑問に思ってから、それが自分の監視のことだと思い当たる。


「悪かったよ」


「仕事ですので仕方ないです」


 冷泉はきっぱりと言った。勇介は冷泉を見てため息をつく。


「お前が会社継いだ方がいいんじゃないか?」


「それは嫌です。私、人前に立つのとか好きじゃないので」


 冷泉はそう言うが、指名されたらこいつは「仕方ない」と割り切って受け入れそうな気がする。


「あ、でも、私が後継ぎを狙います。って言ったら坊ちゃまも少しは焦って勉強とか頑張れるんじゃないですか?」


 冷泉はいいことを閃いたかのように言う。冷泉が後継ぎを狙ってきたら、と一瞬でシミュレーションし、答えはすぐに出た。


「いや、お前にそう言われたら諦める」


 冷泉ががっかりという風にため息をついた。


「ちゃんと頑張らないと、本当に後継ぎの座を乗っ取りますよ」


「勘弁してくれ……」


 冷泉は声色も表情も変えずに冗談を言うから怖い。いや、もしかしたら冗談じゃないのかもしれない……。


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