第5話
「社長がお呼びです」
翌日、冷泉に言われ父の書斎を訪れた。
「冷泉君から報告を受けた。全員と別れたようだな」
「……何とか。こんなんになりましたけど」
袖をまくって包帯やら絆創膏やらを父に見せる。
「肉体的な痛みで済んだのなら良かったじゃないか。お前が彼女たちに与えた精神的な苦痛はもっともっと大きかったに違いない」
そう言われるとぐうの音も出ない。別れ話をした時のあかりの様子が脳裏によぎる。
「今日呼び出したのはほかでもない。お前に、二ツ橋高校に入学してもらおうと思う」
「え!!」
父の言葉に勇介は驚いた。
元々外の世界を知ってもらうためということで小学校中学校とわざわざ公立の学校に行っていたのだ。他でもない父の方針で。一応ということで二ツ橋グループが経営している二ツ橋高校も受験していたが、勇介は高校でも公立に行くものだと思っていた。
「もう十分外の世界は見せた。それよりも私はお前がまた同じようなことをするのではないかという心配の方が大きい。目の届く範囲にいてもらうためにお前にはうちの高校に入学してもらう。手続きはもう済ませてある」
いきなりのことで驚いたが、父の口ぶりから自分に決定権はないのだと思い諦めた。別に進学先にこだわりがあったわけでもないし、進学予定だった公立校には別れた彼女の一人がいたから内心ホッとした。
分かりました、と簡潔に言った。話はこれで終わりだろう、と勇介は安心していたのだが、父は一息置いてから言葉を足した。
「そしてお前には、高校での恋愛禁止を命じる」
「……は?恋愛禁止?」
突如放たれた父の言葉の意味が理解できずに聞き返す。
「恋愛禁止だ。これは7股の罰だ」
「え、だって、罰は受けたじゃないか」
ほら、と勇介は腕の絆創膏を剥がす。内出血した青あざがあらわになる。
「それは彼女達からの罰だ。私は親として、お前に罰を下さねばならない」
「そんな……」
勇介は膝をついた。
「冷泉君にも二ツ橋高校に入学してもらうつもりだ。引き続き息子の監視、よろしく頼む」
「承知しました」
勇介は部屋に戻りひとしきり絶望してから、すぐにどうにか恋愛できないかと考えを切り替えた。恋愛のせいでついた傷がズキズキと痛んだが、勇介はまだまだ恋愛を欲していた。
7股こそしていたが勇介は全員に本気だった。だからこそ彼女達を欺き続けられていたし、別れるのも困難を極めたのだ。何かに本気で取り組むことが滅多にない勇介にとって、恋愛は本気になれる趣味のようなものだった。
2週間後、卒業式が行われた。
地獄の空気のもとで。
元彼女の野原美紀は出席番号が前後であり、卒業式の最中ずっと隣にいたからだ。周りは勇介たちの空気を察して何も言わずにいてくれたが、腫れ物に触るような雰囲気は殴られたときの鈍痛と同じようにじわじわと効いた。しかし冷泉の言った通り7股の話はばれていないようだった。早々と教室を抜け出し、仲の良い友人たちと男だけの送別会、そして数日後には卒業旅行に出向いた。
切り替えの早さも勇介の取柄だった。
入学が近づくにつれ、勇介はどうやって高校で彼女を作ろうかと考え始めていた。
冷泉はきっと同じ学校で監視し続けてくるだろう。だが冷泉だって全てを見ているわけではない。あいつだって授業を受けるのだし、盗聴器がなければ会話だって学校という雑然とした空間なら聴かれることもかなり少なくなるだろう。
そう考えるとばれずに彼女を作ることなんて容易に思えた。
そして月日は流れ、高校入学を迎えた。
「お前、公立受かってたのにこっちの高校にしたんだな」
入学式初日、勇介とともに登校していたのは幼馴染の橋本智也だった。幼稚園からの友人で、勇介の親友とも呼べる存在だった。智也がこの学校に行くと知っていたのも、学校の変更を納得できた理由の一つだった。
「ああ、父さんの意向でさ。ここ、うちが経営してる学校だから」
「ふーん。って、やっぱりそうなのか。名前まんまだもんな。分かってはいたけど、お前の家すげえなあ」
目の前に立つでかでかとした校舎を見上げて智也が感嘆する
。
「っていうかお前、親の影響もあるかもしれないけど、この学校に来たのってあれが目的だろ?」
「あれって?」
「とぼけるなよ、この野郎」
智也はにやにやしながら勇介のわき腹を肘で小突いた。勇介には「あれ」が何のことなのかさっぱり分からなかった。
私立二ツ橋学園高等部。勇介の曽祖父が社長だった頃に設立された学校で、小中高一貫である。小学校に入るにも難易度の高い入学試験があるが、一度入学してしまえばよほどの成績でない限りエスカレーター式で進学ができる。もちろん今回の勇介や智也のように試験を受けて中学校、高校進学のタイミングで外部からの生徒も入ってくるが、偏差値は70を超えているうえに定員数もかなり少ない。地元の学校でも特別優秀な生徒しか入学することは叶わない。だがその分難関大学への進学率、大手企業への就職率は非常に高く、ここに入ることができれば将来はひとまず安泰だろうと名高い名門校である。
下駄箱の前に張り出されたクラス分けを見ると、勇介と智也は共にA組であった。二人で腕を合わせて喜んだものの、勇介は視界の端に冷泉の名前を捉えて少し気分が落ち込んだ。よりによって同じクラスか、と思ったがこれはおそらく細工され仕組まれていたものだろうとも思った。
教室は賑やかだった。エスカレーター組だろう、仲の良さそうなグループが既に形成されていて、余所者の勇介と智也には少し入りづらい雰囲気を感じた。
「お、出席番号前後だな」
「橋本と二ツ橋だからな」
自分たちの席の場所を確認して席に着くと、勇介は自分がやたらと注目されていることを感じた。教室の後ろに陣取っている一番大きな女子のグループなんかは、勇介が席に着くと同時にひそひそと話を始めたほどだ。
「なあ、俺なんかしたかな」
もしかして7股のことがばれているのではないかと不安になった勇介は智也にこっそりと聞いた。
「え?女子の噂なら多分あのことだろ」
「さっきも言ってたけど、それなんなんだよ」
「え?お前まだばれてないと思ってるのかよ」
逆に智也はなんで俺が分かっていないのか不思議なようだ。
他に心当たりはないしやはり7股のことだろうか。情報が漏れないようにしたと言っていたがやはりどこからか漏れてしまったのだろう。まあでもしょうがない、と勇介はあきらめた。7股が知られた状態からスタートするとなると恋愛は多少大変になるかもしれないが、まあ「以前の7人より君一人の方が好きだ」という口説き文句が使えるというメリットもある、と前向きに考えた。
「お、ちょうど来たぞ」
智也が教室の入り口に視線を向ける。何だと思って入口を見ると、とても綺麗な女性がいた。制服を着ているから生徒で、この教室に入ってくるということは同い年のはずなのだが、彼女には女子というより女性という言葉が相応しかった。
同い年とはとても思えないくらい造形が完成されていて、柔らかい表情と堂々とした歩き方からは内に秘めた知性と品が感じられた。勇介は自身の家柄上、他の高貴な家柄のお嬢様などを何人も見てきたが、彼女ほど完成されている同年代は見たことがなかった。少し地味な制服も、彼女が着ているとドレスのように輝いて見えた。黒板の座席表を確認している姿さえ美しかった。思わず見惚れていると、彼女は長く艶やかな黒い髪を少し靡かせて振り返り、明確に勇介を視線に捉えると恥じらうように小さく手を振った。
何で俺?と疑問に思っていると、後ろの女子グループからキャーと悲鳴のような歓声のような甲高い声が響いた。
「お前の彼女、やっぱりやばいな」
智也は前の席から身体をこちらに向けて、俺に耳打ちするように言った。
彼女?あの美人が俺の?
何のことだか分からず勇介は混乱した。
「あの子が俺の彼女って、どういうことだよ」
「どうって、お前まだ白を切るつもりか?もうとっくに噂になってるぜ。あの子、冷泉さんとお前が付き合ってるって」
「冷泉?」
「そう、冷泉麗さん。この辺じゃ超有名な才女じゃないか」
彼女が冷泉?冷泉が彼女?
勇介の頭は更に混乱した。
自分の知る冷泉とはとても似ても似つかない。
そんなわけないだろ、と疑いながら友人と挨拶を交わす彼女をジッと見る。冷泉と髪型は違う。冷泉はショートだ。眼鏡もかけていない……。
でもコンタクトの可能性はあるか。
髪もウィッグか?
輪郭は……確かによく見れば似ている気がしなくもない。
けれど何かが違う。
俺の知る冷泉はもっとこう、冷たい感じというか、もっと機嫌が悪そうなはずだ。
きっと同姓同名なのだろうと考えるが、そうなると俺の彼女を名乗る理由もよく分からない。
「何ジッと彼女見てんだよ」
智也がからかうように言った。先生が入ってきて、号令とともにチャイムが鳴った。
学校についての説明と入学式、自己紹介の時間があった。その間もことあるごとに冷泉の方を見て観察していたが、やはり彼女は俺の知る冷泉とは似ても似つかない。外見は確かに似ているかもしれないが、所作や雰囲気がまるで正反対なのだ。俺とも目が合えば微笑みかけてくれるし、常に友人に囲まれニコニコとしていた。俺の知るいつも無表情の冷泉とは真逆のタイプの人間だ。
放課後、智也と帰ろうと鞄にプリントを詰めていると、後ろから声をかけられた。
「ちょっといいかな」
声をかけてきたのは冷泉だった。
「どうしたの?」
別人の可能性も考慮して優しく聞くと、ちょっと来て、と遠慮がちに言った。
「じゃあ、俺先に帰るわ」
智也はニヤニヤしながらさっさと教室を出て行った。
「ごゆっくりー」
「もう、そんなんじゃないって!」
友人たちの囃し立てるような言葉に彼女はぷんぷんと可愛らしく怒って、教室を出た。
「こっちこっち」
冷泉さんに案内されたのは空き教室だった。中は暗く、電気がつくまでに数秒かかった。
「閉めて」
優しい声でそう言われてドアを閉めた瞬間、ふっと場の空気が変わった気がした。蛍光灯が冷泉の顔を明るく照らす。
「……冷泉」
先ほどまで別人だと思っていた冷泉の顔が、俺の知っている冷泉になっていた。いや、顔は変わっていないのだが、本当に別人のようなのだ。輪郭や雰囲気が、根本から違うのだ。
「戸惑っているようですね」
冷泉は平坦な、少し冷たい声でそう言った。胸ポケットから眼鏡を取り出す。髪以外は完全に俺の知る冷泉だった。
「そりゃ戸惑うよ。完全に別人じゃないか」
「そうでしたか?いえ、もしかしたら勘違いしているのではないかと思ったので呼び出したのですが、案の定でしたね」
「いや、あんなの誰だって勘違いするって!なんだあの変貌ぶりは!どういう仕掛けだ!」
「仕掛けも何もないですよ。ただのメイクとウィッグ、それと少しの演技です」
「メイクと演技であんなに別人になれるか!」
淡々と、当たり前のように当たり前じゃないことを言う冷泉にイライラが積もる。まんまと騙されていたと思うと腹立たしかった。
「両方一時期プロの人に教わっていたので、普通の人よりはできるんですよ。侍女検定2級で演技の実演もあるんです」
「ツッコミどころが多すぎる……」
勇介はあまりの情報の渋滞に頭痛を感じた。
「なんでそんな演技しているんだ?」
ふと疑問に思い聞いてみる。
「……私だってそれなりに学生生活を楽しみたいんですよ」
冷泉は不貞腐れる子供のようにそう言った。なるほど、と何となく納得する。高い能力があるうえに普段があの性格では女子ではほぼ確実に嫌われてしまう。それを防ぐための手段ということなのだろう。
「では帰りましょう。一応付き合っているという設定なので、少しは一緒にいないと怪しまれてしまいます」
冷泉が電気を消して眼鏡を外した。
「そうだ、なんで俺とお前が付き合ってることになってんだ」
「そのほうが監視しやすいと思いまして。それに、彼女がいたら近寄ってくる女性も減るでしょう」
「そういうことか……」
確かに冷泉の言う通り、彼女がいることにされていたら迂闊に他の女子に手は出せない。設定一つで一気に恋愛の難易度が上がったことになる。
「誠に不本意ながら坊ちゃまの彼女役を演じさせていただきます。誠に不本意ですが」
「二回言うほど不本意なのか……」
冷泉は心底面倒くさそうな顔をしていた。
「ですが安心して下さい。私は照れ屋でみんなの前では恥ずかしくてあまり彼氏に話しかけられない、という設定なので。坊ちゃまの手はなるべく煩わせません」
「それはどうも。じゃあ帰ろうぜ」
ドアを開けて外に出ると、既に冷泉は別人のような表情を貼り付けて笑っていた。今確認したばかりなのにまだ別人ではと疑ってしまう。
「帰ろう!二ツ橋君!」
冷泉は跳ねるような声色で言う。
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