第4話


 三日後の夜だった。

 勇介がベッドに寝転がってスマホを見ているとノックの音がした。


「はーい」


 気の抜けた返事をする。てっきり食事の用意ができたことを侍女が伝えに来たのかと思った。が、その声はいつもの侍女の声ではなかった。


「明日の10時、学校へ来てください」


 ドア越しでくぐもっているものの、それは冷泉の声だと分かった。


「? ああ、分かった」


 勇介が疑問に思いながらも答えると、冷泉はそのまま去って行ったようだった。この時勇介は言い知れぬ嫌な予感を感じた。未だに彼女達から返信は来ていない。いつもは頻繁に行われているSNSの更新も途絶えている。

 彼女たちは、冷泉は一体何をしているのだろうか。


 スマホを見ると全身に悪寒が走った。



 翌日、不安を抱きながらも勇介は言われた通り学校に来た。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 校門で待っていた冷泉に先導されて校舎に入る。

 普段は賑やかな学校も今日は静かだった。冬の冷たい空気と誰もいない廊下の冷ややかさは似て非なるものだ。気候的な寒さと感情的な寒さとでもいうか。

 しんとした廊下に二人の足音だけが響く状況は、勇介の心の不安を増幅させていく。

 おもむろに、冷泉は口を開いた。


「今日は午後からサッカー部の練習があるだけで、他の部活は全て休みとなっています。サッカー部の顧問の安田先生はいつも部活の時は校舎に入りません。よって今日校舎に入るのは私たちだけです」


 冷泉は淡々と事実を伝えた。

 今日なら邪魔が入らない、ということだろうか。


「なあ、何があるんだ」


 冷泉は答えない。勇介はただ後をついて行った。

 昨日から様々なパターンを想像した。冷泉がどんな方法で彼女達に別れることを納得させたのだろうか。そしてこうも考えた。納得なんてさせてないのかもしれない、と。


「こちらです」


 そこは多目的室という名の空き教室だった。元々物置に使われていたが年末に先生たちが不要なものをすべて処分したため、本当に空っぽになった部屋だ。

 冷泉がドアを開ける。背中を押されて中に入ると、そこには勇介の彼女たちがいた。

 7人全員。

 足を踏み入れる勇介のことを、獲物を狙う獣のように睨みつけている。

 思わず後ずさりするが、後ろには冷泉が立っていて逃げ出すことを許さなかった。


「では、失礼します」


「おい、ちょっと」


 冷泉はそう言ってドアを閉めた。開けようとするも冷泉が抑えているのか外側から鍵がかかっているのか、ドアはびくともしない。


「ゆう君」


 呼ばれてビクリと肩が揺れる。振り向きたくなかった。背中にひしひしと、強烈な殺意を感じる。


「こっち向いてよ」


 そーっと、彼女達を刺激しないようにゆっくりと体の向きを変えた。目線は床に落としたままで。蛍光灯の薄明かりが部屋を照らしていた。カーテンが閉まっていて、外の光は一切入ってこない。外界とのつながりは一切断たれている。これからこの部屋で何が起きようとも、外に漏れることはないのだ。


「ゆう君、本当なの?」


 美紀が言う。


「こんな何人とも付き合っていたなんて、嘘だよね?」


 答えられなかった。どう答えても確実に誰かの怒りを買うことになりそうだった。今自分にできる

ことはなるべく相手を刺激しないことだと勇介は本能的に悟っていた。


「もうやめましょう、あれを見たでしょ」


 それまで黙っていた凛が美紀を窘めるように言う。


「私たち全員、もてあそばれていたんですよ」


「さっきの子に全部教えてもらいました。あなたがこれまで何をしていたのか。証拠も見せてもらいました」


「今日集まったのは、念のためにあなたの言い訳を聞こうと思ったんです」


「全員に納得のいく説明はできますか?」


 彼女達の聞いたことのないような恐ろしくドスの効いた声に、勇介は震え始めた。

 どうにか逃れられないか、と考えようとするも恐怖で思考もままならない。何も言わない勇介の態度に耐えかねたあかりが、はあとため息をついた。


「できるわけないですよね」


 呆れるようにリカが鼻で笑った。全員がじりじりと勇介に詰め寄る。


「覚悟してくださいね」


その時初めて、彼女たちの顔を見た。暗い中でも分かるくらい、目だけがギラギラと光っていた。


殺される。


今までの思い出が走馬灯のように蘇った。袋叩き、とはまさにこのことを言うのだろう。誰の手か分からないビンタから始まり、殴られ蹴られた。痛みを感じたのは最初の5発ほどだけだった。誰かの握り拳が顎に入った後、意識が遠のいた。



 目を覚ますと、彼女たちはいなくなっていた。

 勇介は大の字になって床に倒れていて、全身の痛みを感じてからようやく自分がボコボコにされたのだと思い出した。瞼を開けようとするのにも痛みが生じる。

 いつの間にかカーテンが開いていて、窓からは春の到来を感じさせる暖かい陽光が差し込んでいた。

 きっと何もなければ、あっさりとした過ごしやすい一日だったのだろう。

 首だけを動かして窓の方を向くと、どこから持ってきたのか冷泉が椅子に座って退屈そうに外を眺めていた。


「……痛い」


 ぼそりと呟くと冷泉はため息をつき、首だけをこちらに向けた。


「ちゃんと手当はしてあります」


 痛みに耐えて腕を上げると、絆創膏や包帯がいたるところに巻いてあった。自分でこの場を用意しておいて自分で手当てする。とんだマッチポンプだ。手当てしてくれたことには感謝すべきなのかもしれないが癪に障った。


「……お前に怒る気力もなくなったよ」


「でしょうね。ボロボロですから」


 冷泉は相変わらず平坦な声色で言う。


「けれど安心してください。もうこれで終わりです。彼女達には坊ちゃまとのことは他言しないようにと伝えておきました」


 冷泉に返事もせずに自分の物とは思えない体を立ち上がらせた。両手を使って重たいドアを開ける。自分の身体を引きずるように歩いた。冷泉は帰り道も無表情で、けれど一応俺と同じペースで歩いていた。

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