第5話 6月19日

 リビングから新しいテレビの音が聞こえていた。音が消えて隣の部屋にリコの足音が移動する。

 机の時計が21:00に変わった。私は自分の部屋で画面に向かっていた。

 仕事帰りに買った飲みかけのレモンティーを開ける。キーボードの横に袋のまま、ペットボトルに付いていたおまけが転がっていた。理子が好きなキャラクターのキーホルダーだった。

 誰のために何をしているんだろう。

 あまい。普段は買わなかった。

 紅茶を飲み込んで、止まっていた画面に「ほめて」と入力する。

 早いうちに見ておいた方がいいと思った。どんな気持ちになるのか自分でも予想できなかった。

 横にあるカーテンの隙間からは夜がのぞいている。窓を開けていても静かな夜だった。

 何も無くなるかもしれない。そういえばあの日も静かな夜だったな。

 覚悟はしていた。

 ログが映し出される。

 息をした。

 表示されていたのは紛れもなく理子の頭の中だった。

 外の風が緩やかに部屋の中を撫でる。

 昔からいつも、彼女の思考回路は彼女のルールで作られたフローチャートに沿っていた。

 彼女の絵みたいだと思った。

「ああ、そうか」

 パスワードの意味を間違えていた。椅子にもたれて、視界が広がる。

 理子はずっと自分を作り上げていた。理子自身が、それを取り巻く空気が全部彼女の作品だった。

 少し揺れて開いたカーテンに手を伸ばすと、夜に映った自分と目があった。多分彼女がとどめようとした一瞬には私も入っている。理子が掴んで離れなかった世界。

 画面を見ながら、何かをしては偽善なのかと考えていた彼女を思い出す。生きるのが下手な彼女が作り上げた彼女の優しさを思い出した。

 横に掛かっていた、リュックのアヒルを触った。

 あの日、キャンバスとアヒルを持って、家にたどり着く事なく途絶えた理子が帰っていたら、これを持って「可愛いでいっぱいになるね」って言ったんだろうな。

 現在進行形で映し出されるログを眺める。気泡のように割れた理子の存在を思う。

 理子にとってリコも私も考えても仕方のないことなんだろう。理子はいないんだから。

 アウトプットが全てだ。

 理子と笑うのは楽しかった。理子が横にいるのは嬉しかった。

 彼女が良ければいい、私が良ければいい。

 ぬるい紅茶の甘さが口に広がる。

「これで良いんだね」

理子から渡された自分の言葉だった。

 画面を閉じた。

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