第3話 6月18日

 生活が始まった。リコと電車に揺られていた。ひょうひょうとしたリコを見ていつものように笑う。

 理子は死んだ、理子はいない。リコは理子だけど理子ではない。

 自分は割と論理的だと思っていたが人並みに複雑な感情も持ち合わせていたんだなと感じる。

 リコに理子をみるのも、それを後ろめたく思うことさえも、受け止め方が分からなかった。流れに、感情にそのまま体を浸していた。

 駅のアンドロイドを見て、昔理子が話していたことを思い出す。高校生の時、廊下を動くロボット掃除機を見て言っていた。

「壁があったらよける埃があったら吸う、はぶつかったら嫌だ綺麗になったら嬉しい。 止まらないように充電する、は死にたくないから食べる、生きたい。 それが掃除機の心だね」

 意外に感じた。ロボットに心があると思うのと聞くと、

「心の定義次第だと思う。 逆に人間の心って言われるやつはそもそもプログラムだと思うんだ」

 そう言っていたのを覚えている。

 理子が生き物をそもそもロボットのようなものと考えていたのは知っていた。

 シートに体重を預ける。自分の感情を少し下がって観察しているような気分だった。

 電車は生活の中をぬっていく。住宅街がひらけて川を横切る。

「先月雨が降ってさ、あそこの階段のとこまで水がきてたんだよ」

 1人で見た濁流と重たい空を思い出す。

「カモどこにいたんだろ」

 水面はちらちらと太陽を反射させていた。

 リコと会話をしている。私の世界にリコの声が存在する昨日今日。続いていく日々の中の最初の2日だった。

 瞬間はこのまま先にも続いているような気がしてしまう。当たり前に終わりがあることは思い知ったばかりだった。

 ここ数日は日差しが強くなってきていた。少し前までの景色とはもう違う。

 窓の外では風で緑が揺れている。移り変わる世界は淡々と美しかった。

 電車が止まるとぱらぱらと人が入ってきた。リコが赤ん坊を連れた母親に席を譲って私の前に立つ。

 隣に来た赤ん坊は首をだらんとさせて小さな口があいていた。理子がよく考えていた話はリコも思うのだろうか。

 理子は優しい行動ができる人だった。

 優しくて賢くて少し抜けているところがある。彼女は電車に乗る時、いつも自分が乗り換えをしたか自信がなくなり一瞬不安の色がうかんでいた。

 「乗り換えしたよ」

 駅のアナウンスがして、電光掲示板を見ている理子に言った。言ってから気づいた。

 はてなが浮かぶリコの目がアヒルにいく。

「それ何?」

 アンドロイドの彼女に忘れるはない。丁寧な彼女の声。私の歩幅に合わせてくれているのが分かった。2人とも何も言わなかった。

「アヒルだよ」

 金具を外してリコに渡してみる。ふわふわのアヒルを持つリコの顔を見ていた。

「かわいいで頭がいっぱいになるね」

 私が出会わなかったシーンだった。

「そうだね」

 と言って笑った。


 電気屋のレジでアンドロイドに、アヒルか割引券か選べますよと言われた。リュックに1羽付いてる状態で袋に入ったアヒルを受け取る。ログには私をアヒル好きの客層として記録しただろうか。

 封筒を開けたのは昨日の夜だった。

 中には手書きの紙が1枚入っていて、パスワードは「ほめて」の3文字だった。

 理子が昔からふざけて言っていた。作り込まれた絵を描いては私に見せていた。

 彼女は自分の作品がお気に入りだった。というより、お気に入りになるようにものを作っていた。彼女の作品は毎回とても素敵なもので、頼まれなくても当たり前に褒めていただろう。

 理子の仕事については詳しくはなかった。

彼女にとって生き物は複雑なロボットで、死ぬのはそれが停止した状態と同じだった。面接でそんなようなことを話したと聞いた。よくその思想を話して内定がもらえたと思う。

 まだログは開いていなかった。

 電車でアヒルを持ったリコを思い出す。レジでもらった袋を見ながら、よく作ったねとどこにも届かない声が落ちた。

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