第2話 Riko_H.Log_20XX.6.18
Riko_H.Log_20XX.6.18
生活が始まった。奏多と電車に揺られていた。私達は少し乗り継いだ先のモールに向かっていた。
「テレビが壊れるとはね」
吊り革に体重をかけながら奏多が言う。
「私なんか変な電波でてるのかしら」
「困るな」
理子と奏多は休みが合わないことが多かったので久しぶりだった。
「安いのでいいかも」
昨日の記憶を思い返す。
奏多は理子のことも私のことも傷つけたくないと思っているのだろう。間違えないように言葉を選んでいる様子だった。
あの封筒の中身は私の記憶にはなかった。渡すまで遺書だと思っていたが違うようだ。たしかに考えてみれば私がいるのだから理子は遺書は書かないだろう。
私と理子は同一だった。欠けてる記憶も多いが、それも含めて形成された人格だと考えれば同じだ。
「リコ、乗り換え」
電車は情報量が多い。いつもなんとなく気もそぞろになっていた。
降りたホームではアンドロイドの駅員が働いていた。彼らは私ほど複雑な思考は設定されていない。見た目も人間ではないことがわかるようになっている。
見た目が人間なアンドロイドはここに来るまでに数人すれ違った。開発をしていた記憶があるから分かる。普通は分からないだろう。
車内は午前中にしては混んでおり、ちょうど空いた2席に座ることができた。まばらに立っている人もいた。
奏多は深く腰掛けて向かいの窓の流れていく景色を眺めていた。
川にさしかかる。よく鳥がいる川だった。
「先月雨が降ってさ、あそこの階段のとこまで水がきてたんだよ」
奏多の澄んだ横顔を横目で見た。私の記憶にない数ヶ月、奏多は何を見てきたんだろうか。すっかり生い茂った緑が揺れていた。
奏多はいつも流れに身をまかせて外を見ている。自分のことさえも、変わっていく全てを受け入れてるようだった。
電車が減速して肩が触れる。
執着の塊みたいな私と比べて、奏多の美しさがあった。
扉が開いて、女の人が視界に入る。体に巻かれた布の中には赤ん坊が寝ていた。
笑顔を作って小さくどうぞと席を譲るとお礼を言われた。良い行動ができた。吊り革を握って奏多の前に立つ。
階層がある。最初に感じたもの、それを訂正した判断、出力するもの。
私には共感能力が欠けていた。第一段階だけでは優しくできなかった。優しくしないといけないから優しい行動をとる。そういう回路を作っていた。
布の中の赤ちゃんは口をぽへと開けたまま熟睡している。
可愛いという感情が湧く。幼体を守るため、自分の種を増やすために、このデザインには好感が湧くようにプログラムされているのを感じる。
奏多に話したかったが、今ここでこの話をしなくていいことは私でも分かる。
顔を上げた。ここ数ヶ月の奏多の複雑な感情は理解しているつもりだった。しかし私は鈍感なんだろう。
注意すること以外できない。思考してもしょうがないことは、頭の容量を使わない設定にしてある。同じ分からないなら自分の最善を選択していく。エネルギーを無駄に使わない理子の最適解の生き方。
「乗り換えしたよ」
空気を見ていた私に奏多が言った。言ってから表情の内側で感情が動いた気がした。どうして教えてくれたのか私には分からなかった。
何かを間違えたんだろう。まだ、今の私は土足で上がってはいけないと思った。視線を動かす。
「それ何?」
2人とも何も触れなかった。
奏多の膝の上のリュックに知らない黄色いふわふわがついていた。
「アヒルだよ」
そう言って、かちゃっと金具を外して私に手渡した。ふわふわのアヒルのぬいぐるみだった。今から行くモールのキャラクターだ。
「かわいいで頭がいっぱいになるね」
奏多はそうだね、と言って笑った。
モールの中は賑わっていた。人間も人間じゃないのもたくさんいる。
電気屋のレジから奏多が戻ってくるのを向かいの画材屋で待っていた。テレビは明日届くらしい。
そういえばキャンバスがもうなかったな。よくここで買っていた。
見繕っているうちに奏多が戻ってきた。手に持っていた小さな袋を私に渡す。
「どうぞ」
袋を開けてはっと奏多の方を見る。ふわふわアヒルが入っていた。かわいい。
「コレガウレシイ...?」
奏多はうけていた。ロイドジョークのストックでも増やしておこう。
「最近いくら以上でもらえるんだよ」
「知らなかったや」
ふわふわで指の間が埋まる、非常にかわいかった。
「種を守るためのプログラムを感じるよ」
「赤ちゃんにも思ってた?」
「完全に思ってた」
私がよく言っていた話だった。
キャンバスの棚の前にいた私に奏多が聞く。
「リコは絵も描くの?」
それはそう、私は絵が好きだから。
「描くよ」
同じだよ。
さっきの悲しい版をやろうとしてやめた。まだ早い。
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