第45話 ドライバーのつくもがみ


 案外、痛みは感じていない。興奮しているからなのか、そもそも大したケガじゃないのかもしれないが。軽口を叩くほどには、まだ元気がある。


 夕凪は降りてこない。一階なのか二階なのか分からなくなった、崩れかけの瓦礫や鉄骨に彼女の手が触れれば、即座にこちらへ飛来する。俄然、余裕があるのは向こう側だ。


 マフ太で受けることは、既に難しくなっている。出来るだけあたし自身が走り周り、雹のように降り注ぐ産業廃棄物に巻き込まれまいとする。


「あれあれあれ〜? つくもがみ無しで逃げれると思ってるのかな〜?」


 一つ分かったことがある。こいつ、分解したものをまっすぐにしか飛ばせない。ハエみたいにブンブン飛び回る動きは、ここまで見せていない。現状、隙だらけのあたしにすら、直線的な攻撃しかない。


「あんたこそ、いつまでそうしているつもり?」


 ただ逃げ回っていたわけではない。物を手で触れる必要がある以上、夕凪も一箇所に留まり続けることはできない。数秒開いたインターバル、落下し横たわる鉄骨を、マフ太が持ち上げ、投げ飛ばす。


「うわっ!」


 間髪入れず、とにかく足元の何かを掴み、飛ばし続けた。最初の鉄骨は触れられたせいか、夕凪を避けるように二つに割れ、片方があたしの頭上を通過し、背後へ落下していく。ただ、いくつかの小さいコンクリ片が、横殴りの雨のように夕凪を襲う。


「んもう! 最悪っ!」


 乗っていた瓦礫を捨て置き、やっと地上へ降りてきた夕凪を、あたしは見逃さない。


 既にマフ太はあたしのそばにいない。夕凪の斜め後ろ、南東の方角から、再び瓦礫をぶつけようとする。目眩ましは十分にした。きっとマフ太に気付いていない。完全に死角からの攻撃、きっと避けられない。


「ほっんと、最悪っ」


 夕凪は、地面に突き刺さる鉄骨に手を当てる。鉄骨は動くことはなかった。マフ太の攻撃が成功したのかと思ったが、後頭部を襲った激痛がそれを否定した。


 雷が落ちたような衝撃はあっという間に全身を覆い尽くし、風船が割れたみたいに体の力が一気に抜けていき、気が付いたら膝をついていた。視線は勝手に地面を向き、まるで動かせない。目眩のせいで吐き気がしてきたが、この痛みの前では些細な問題だった。


「ドライバーってさ、ネジを外すためだけに使うの? 違うよね?」


 ネタバラシのおかげで、真相はすぐに分かった。夕凪は、1度分解した物を、元の形状に戻すことができる、もしくは単純に繋げることができる。


 背後にあった鉄骨の片割れが、もう一方に引き寄せられた。おそらくあたしは、夕凪に立ち位置を誘導され、見事に嵌められたんだ。この仕様がありながら、何で今まで温存してたんだ。


「やっぱり甘いんだよっ、お前は」


 突如、夕凪は口調を今までより荒くする。表情は見ることができないが、その声には苛立ちが見える。


「あんたのこと、仲間のためならどんなことだってすると思ってた。でも違う! 本気であたしを殺す気なんてない!」


 確かそんなようなことを言ってたっけ……。段々意識が遠のいていく中、ぼんやりと彼女の発言を思い出す。


「あたしは、春礼のためなら、なんだってする。あんたみたいに、半端な覚悟で春礼の邪魔をする奴は許せない!」


 何故かベラベラと喋ってくれている。あたしは、バレないように、そっとアレ・・を、


「神代結月もそう、だから春礼に負けたんだっ」


 なんだろう、自分以外に矛先がいくと、この窮地に残っていた冷静さがスーッと消えていく。


「うるさいんだよ、バカ女」


「ハァ?」


 カチンときたことで、逆に頭が回りだした結果、わかったことがある。


「お前のほうだろう。その、殺す気がないのは」


 小さく舌打ちが聞こえた気がするが、あたしは辛うじて片目だけでも夕凪に向けながら、話を続ける。


「春礼のために、人なんて殺せないんだよお前は。ずっと迷ってんだよ、春礼の言うことはほんとに正しいのかって」


「うるさいっ、そんなわけ無いじゃん、あたしが」


 思い出したことがある。病院で、春礼が結月さんと相対した時、横にいたあんたの顔を。


「あの顔は、とても教祖に心酔しているようには見えなかったよ」


 認めるべきは、夕凪は春礼を好いている。それがどこまでの感情かはさておき。


 あのとき、春礼が本当に結月さんを殺すのか、不安や失望、恐怖や罪悪感……入り混じった表情を夕凪はしていた。


「自分が春礼を信じれないから、自分が自分を信じきれないから、そうやってあたしに怒鳴り散らすんだ。あんたはずっと自分に言い聞かせてたってことだよ」


「……あんたに何が分かんの、あんたに、あたしの何が……!」


 また怒鳴り散らすのかと思ったが、時が止まったかのように、夕凪は急に黙る。


 あたしの顎を掴み、大根でも引っこ抜くかのように、思い切り頭をぐいっと持ち上げる。流石にバレてしまったか。


「さっきからよく喋るよね、それに、ずっと変な感じがしてた。あんた、何か食べて」


 気付いたときに、すぐあたしを叩き潰すべきだ。やっぱりこいつ、殺す気なんて全然ない。


 咄嗟に掴んだコンクリ片を夕凪の小さい口に無理やり押し込んでみる。それで頭をぶん殴るのが一番良いが、いかんせん腕に力が入らない。痛みが引き、出血が止まる程度しか、渡されていない。


 コンクリ片はおやつには少々重たすぎたのか、夕凪はおえおえとえづいている。あたしの頭を掴む手を振り払い、立ち上がろうとするが、これまた足に力が入らない。


「あんた、あれだけの勢いの鉄骨をどうして、」


 頭の悪い夕凪でも、感づくことはあるようだ。


「あのヨボヨボのおばあちゃんの箒……か!」


 これが精一杯の菜花さんからの手助け。上唇に隠していた箒の穂先は、これ以上の長さでは扱いきれない。


「夕凪ちゃんは相手を殺すことばっか考えてるけど……まずあたしは死ぬつもりなんてない。甘々なあんたに、負ける気なんてこれっぽっちもないよ」


 依然、劣勢ではある。あたしはこのとき、菜花さんの最後の教えを思い浮かべる。


『生理の苦しみ以外で、心を挫いてはならない』

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