第46話 オーバーフロー

 

 再び、額から流れる血が顔を這う。おそらく「払われた」時間は、夕凪との邂逅直後までだろう。想定していたよりも長い、半分残しても良かったかもしれない。


 これでもう保険は無くなった。まさに瀬戸際、踏ん張りどころである。勿体ぶっている暇はない。あたしは、ここ1ヶ月の成果を発揮する。


「……オーバーフロー、だっけ?」


 わざと相手が用いる呼び方で宣言してみた。別にどう言おうが、本人の気の持ち様であることは、今実感している。というか、別に声に出す必要もないのかもしれない。


 夕凪は一層険しい顔を見せ、すぐさまあたしを目掛けて何かを飛ばそうと、周囲の瓦礫を見回す。さっきのような奥の手はもう隠していない様子、また芸のないやり方に戻ったみたいだ。


 一見、マフ太の見た目に変化はない。だが、そばにいるあたしには分かる。全身の毛が逆立つような感覚が、あたしに流れ込んでくる。


 焦りで雑な攻め方をしてくれればと願ったが、夕凪は瓦礫を石ころ程度の大きさにバラバラに分解し、あたしをぐるっと包囲した。逃げ場を作らせない且つ、マフ太の解除した仕様がどんなものなのか、自身に及ぼす前にバリアを張ったといった意図だろう。


「あれあれ、どうしたの? そっちから来ないの?」


 煽りに乗ってくれたほうが都合がいい。1ヶ月の間、確認と調整をしたとはいえ、実際のところそこまで無敵の仕様ではない。


「やっぱり殺す気なんてないんだ。あの陰気な奴と違って、夕凪ちゃんは優しいんだね!」


 夕凪の耳が真っ赤になった、それは瞬く間に顔全体に広がる。あまりの変化に、正直面食らってしまう。

 

 バラバラだった瓦礫が、一斉に中心であるあたしへ収束してくる。突っ立ってるわけにもいかないあたしは、申し訳程度に動いて避けようとする。


「精々這いつくばってよ、チビネズミ女!」


 全てがあたしに飛んでは来ない。瓦礫同士がぶつかり、融合していくことで、その図体をより大きくしていく。直線的な動きしか出来ないが、避けようが、マフ太で打ち落とそうが再び動き出す。

 

 1つの瓦礫があたしの足首を襲う。痛みよりも、体勢が崩れたことが問題だ。その隙を夕凪は見逃さない。あたしを挟むように、くす玉くらいの大きさになった瓦礫の塊2つが鎮座する。背後の瓦礫があたしへ接近してくる。


「さっきとおんなじじゃんか」


 ここまで待っていた、なるべくマフ太の負担を減らすために。今度こそ、マフ太の体当たりが瓦礫の塊を捉える。夕凪の目論見では、たとえ瓦礫が砕かれても、細かくなった瓦礫は再び動き出せるはずだった。

 

 瓦礫は動き出さない、というよりそもそも砕かれてすらいない。そのままの大きさで、まるで看板持ちのバイトみたいに、その場に留まった。


 もちろん、未来永劫留まっているわけではない。夕凪が分解したものである以上、夕凪の意思で再び動き出せるはずだ。想定が外れ、わずかに思考を止めた夕凪を、あたしは見逃さない。


 すぐさまマフ太を伸ばし、夕凪の背後へ回り込み、目と口を塞ぐ。同時にマフ太を夕凪の腰と手に巻き付け、どこにも触れられないように自由を奪った。


「うあ!? や、やめろ!」


 やめろと言われて止めるやつはいない。そのままマフ太で周囲の瓦礫を巻き込んでぐるぐる巻きにしてやった。これで身動き取れまい。


 夕凪は必死に手を動かそうとするが、その努力は徒労に終わる。すると、もう駄目だと悟ったのか、荒々しかった呼吸は落ち着きを見せ始める。

 

「……はぁ、何、あの仕様?」


 口をガムテープなんかで塞いでやろうかと思ったが、色々聞き出したいこともある、あたしはマフ太とともに夕凪の体を押さえつけながら、彼女の問いかけに答える。


「さあ? 言うと思う?」


「ぷぷ、こんだけ密着されてちょっと予想がついた。これ、『静電気』でしょ」


 特に返事はしない。やっぱり塞いでおくか。


「マフラーからの拡張仕様が静電気なんて、かなり珍しそう。所詮静電気なんてピリッとするだけなのに、動きを止める効果まであるなんて……ほんとにつくもがみって理不尽……」


 ベラベラと喋る様子がデジャブに思える、でも立場が違う。こいつ、諦めたから落ち着いているんじゃない。


「春礼ごめん……。約束、守れない」


 小声だった。それでも確かに聞こえた、「オーバーフロー」と。


 わずか指先が触れていた、夕凪自身の服が引き裂かれたかのように分解される。わずかにできた隙間、すかさずあたしとマフ太で押さえつけようとするが、これが逆効果だった。 


 次に夕凪が触れたのは、あたしだった。


 ドライバーのつくもがみとは嘘ではない。文字通り、体のあちこちで電動ドライバーを押し当てられ、無理矢理ねじ込まれるような激痛が襲う。


 吹き出た血が散らばる様を目の端で捉える。今は、出血が止まってくれと願うしかなかった。それほどまでに、成すすべなどなかった。


「ありがとう、千尋ちゃん。自分の気持ちに、やっと気付いたの」


 ねじ込まれる感覚は3秒ほどで無くなったが、痛みが引くことはない。これは、生物にも分解が適応されるということ? でも、幸いあたしの手足はまだ繋がっている。


「確かに人を殺すなんて、そこまですることなのかな? って思った。その覚悟もなかった。でもね、あんたを春礼のところに行かせるわけには、絶対にいかない……! そう思えたの」


 すっきりした表情を見せる彼女は、迷いが消えたようだった。口撃は、もう効かないかも……。


「やっぱり人は難しい、でも……次はもっと……!」


 次は問答無用でバラバラにされるだろうか。殺されはしないが、手足の一本でも吹き飛ぶだろうか。


「ホッント、理不尽だよね」


「ぷぷ、同感!」


 不思議な光景だった。お互いこんなに傷つけあったのに、何故か笑い合っている。


 次の行動が勝敗を決める、いや決めなきゃいけない。これ以上長引けば、あたしの体力が尽きる。軽く息を吐き、敢えて深く瞬きをする。


 目を開くと、夕凪は手を、体の正面へ真っ直ぐ伸ばし、手のひらをこちらへ見せつけている。マフ太の攻撃、夕凪の仕様、どちらが優先されるか賭けたのだろう。


 あたしも小細工なしでそうするつもりだった。というよりそれしかないと思っていた。でもあたしが選択した行動は、自らを省みないものだった。


「嘘でしょ……千尋ちゃん」


 あたしはマフ太を自分の首から引き剥がした。そして夕凪目掛けて走り出した。まるで、下校中の友人に忘れ物を届けるかのような、躊躇のない、それでいて軽い足取りで。


 夕凪は、あたしに触れられなかった。それが意識的だったかどうかは、考えることはしない。あたしは手首の付け根の少し上、掌底を夕凪の顎に思いっきり打ち込んだ。


 全体重を乗せたおかげで、そのまま倒れ込んでしまうほどの勢いだったが、懸命に耐える。対して夕凪も、ぐらつく頭に平衡感覚を失ったようなふらつきの中、必死に耐える。


 膝をつくのはどちらが先になっただろうか。お互い満身創痍だったが、あたしにはマフ太がいる。ふらふらの夕凪を、マフ太から千切った糸で、まだ崩れなさそうな柱に括り付けた。

 

「……どうして手を引いたの?」


 夕凪はしばらく黙った後、吐き捨てるように呟いた。


「殺さないと止まらないでしょ、あんた」


 さあ、どうだろうか。ぶっちゃけ、もう暖かい布団でぐっすり明日の昼まで眠りたい気分だ。菜花さん……は頼れない。やることがあると言っていた。とにかく、所謂幹部の一人を、しばらく行動できない段階まで追い込めた。ある程度の目的は果たしたし、二人と合流するのが最善だ。


「春礼のつくもがみは何? 教えてよ、あいつが結月さんを殺すの、止めさせたいんでしょ?」


「……あたしは春礼を信じる。きっと彼なりの考えがある……から」


 駄目元で聞いてみたが、やはり教えてはくれないようだ。視界に入れば動けなくなるという仕様、マフ太も擬似的な痺れにより同様のことが可能だが、奴の仕様は、もはやそんな代物ではない気がする。


「仕様は教えられない……けど、春礼は絶対意味のないことはしない、それだけは分かって」


 殺される側からすれば、気休めにもならない。それでもあたしは、一定の敬意を示そうと思った。なぜだか、夕凪のことを少し尊敬している自分がいる、とは言わないが。


「ありがと。じゃあ、そこでしばらく眠っててね、誰が迎えに来るかは分かんないけど」


 マフ太が動く限り、あたしだけが休むわけにはいかない。痛みに感覚を支配されそうになっても、屈してはいけない。案外、踏ん張りどころはここじゃなかったのかもしれない。


 ええと、まずは二人に連絡を、いやそれより探し回ったほうが早いか? あぁ、まずいな、何だか疲れて……。


「……昔話でも聞いていけば? 春礼のこと、知りたいんでしょ?」


 子守歌にならないだろうか。そんなことを考えているうちに、夕凪は独り言みたいにぶつぶつと喋り始めた。

 

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