第44話 理不尽
つくもがみをくれた、という発言の真偽を確かめることはしない。そんなことは彼女を縛り上げてから聞けばいい。
経験したことのない頭痛の中で、あたしは現状を必死に整理する。拡張仕様の発動条件はおそらく手で触れることだろう。だったら手を傷つければ良い。……手だけを、手だけ……。
「血、結構出てるけどさ、戦えるの? もう春礼のこと邪魔しない! って言うならさ、見逃してあげるよ? あたしチョー優しいし」
挑発してくる彼女の言葉に、あたしは特に返事はしない。どうせ見逃す気なんて一切ない。いきなり頭を狙う奴に、優しさなんてあるもんか。
一旦撤退することが頭によぎったけど、すぐに振り払った。2人に迫る危険を野放しには出来ない。あたしがここでやらないと、単独行動の意味がない。
逃げないにしても、咄嗟に逃げ込んだこの部屋でどう戦おうか、あたしは周囲を見回す。講義をする大きな部屋ではない。どっかのゼミか研究室の部屋だろう。簡易的な実験をするためのガラス器具やら顕微鏡やらが、長細いテーブルの上にある。部屋の隅にある机には積まれた書類とデスクトップがあって、天井まで伸びた本棚に敷き詰められた本は分厚い物も多く、いかにも教授のデスクって感じだ。
比較的物に溢れた部屋だ。講義室のほうがやりやすかったかもしれない。
「ふふ、この部屋はまだだったんだ。仕事が遅いなぁ、みんな」
何故か夕凪からまだ仕掛けてこないので、あたしは痛みが和らぐ時間の為にも、時間稼ぎの会話をしてみる。
「仕事ってなんのこと? そもそも、あんたらの狙いはなに? 何のためにこのイベントを開いたの?」
「ふふ、千尋ちゃーん? そーんなにたくさん質問されちゃ答えられないよぉ。逆にどう思ってるの? 千尋ちゃんの見解、聞かせてよ」
今気づいたが、時間稼ぎは夕凪にとっても必要なのかもしれない。逆質問なんて、随分と会話する気満々だ。
「……ゴミ拾いをしてキャンパスを綺麗にしよう、なんてことはもちろんあり得なくて、信者を使ってゴミ拾いという名の学内の荒らし、それはきっと何かを探すため……。よっぽど小さいものなのか、それとも何処にあるかさっぱりわからないから闇雲に荒らしているのか……。イベント自体はあくまで信者の行動をなるべく自然なものにするためでしょ?」
頭痛いのにこんなに喋らされて不快だ。さて、夕凪の反応はどうだろうか。ちょっとは当たっているといいんだけど。
「ぷぷ、一生懸命考えた? でも結構いい線かもね。ま、正解は挙げられないけど、」
「あ、夕凪様?」
夕凪が言葉を遮るように、背後から信者の一人であろう中年の女性が声を掛けてきた。様って……こんな小娘によく使えるな。
「夕凪様、こちらの棟で残っているのはこの部屋だけでございます。言われた通り高価なものを中心に回収いたしました。パソコンは述べ100基ほど、何やら怪しい薬品等も、抜かりなく」
……回収、回収ってなに?
「ちょっと! あんた戻れって言ったでしょ!それに今……あぁもう!」
「も、申し訳ありません! すぐ退散いたします!!」
夕凪の動揺を尻目に、中年女性は早々と立ち去った。
「あんた達の目的、略奪ってこと? そんなつまんない理由で、こんなイベントやってんの?」
あたしの疑問に、夕凪は今までにない表情を見せる。
「……うるさい、あんたに何が分かるの? これはね、全部春礼が考えた。春礼が言ってるんだから、何にもおかしくない!」
「随分と心酔してるみたいだね、大好きな春礼君に。聞いてみたら? 何でこんなダサいことやってるの? って」
あたしの挑発が合図になったのか、夕凪はすぐさま自身の足元に転がるドアに手を置く。つくもがみの拡張仕様が、ネジを分解したものを自在に操れるのだとしたら……きっとこれも……。
「同じ手をくらうと思った?」
予想通り、ドアごとあたしに向かって飛んでくる。直線的な動きだったので、マフ太が天井に向かって弾き返すことは難しくない。天井に突き刺さったせいで、ぼろぼろと屑が降り注ぐ。白いもやが視界を遮る中、夕凪は本棚のガラス扉に手を置く。
「ほ〜ら千尋ちゃん、早くあたしを止めないと、死ーんじゃうよっ!」
ガラス扉からガラスだけが飛び出す。本棚の規模から、10数個は飛んでくるだろう。きっと夕凪は、あたしが飛び交うガラスから逃げ惑うと思うはずだ。そこを逆手に取る。
「マフ太、痛いかもしれないけど、頑張るよ!」
1つ、2つとガラスが殺意を持って飛んでくる。首に当たらなければ致命傷にはならない。あたしは勇気を持って、あえて夕凪へ向けて走り出す。
「バッカじゃないのっ! 距離を詰めてくるなんて!」
彼女のその言葉から、動揺が感じられる。こいつはここまで何度も物を飛ばして攻撃してきた。こういうやつは、近づかれると困るタイプだ。
正確に手を狙える距離、かなり近づかないと、腕ごと刈り取ってしまうかもしれない。再びマフ太があたしの意志から乖離しないよう、より明確に狙わないと。
「だからさー、バカじゃないの?」
飛んできたガラスをいなし、手のひらのしわが見えるくらい接近できた。夕凪の言葉に耳は貸さない。手を、手を狙って……!
「そんな甘い考えで、あたしを止められると思った?」
狙い通り、正確に手を刺せた、はずだった。
いつの間にかマフ太は、あたしの目の前でバラバラと散らばっていた。それはまるで、手で布を引きちぎったみたいに。
「……嘘、そんなっ」
ガラスが再び飛んでくる。右脇腹に刺さったガラスは、鉄の塊かと思うほど重々しく、あたしの体を容易く吹き飛ばした。
そのまま反対側の壁に思いっきり叩きつけられ、内蔵が全て飛び出してしまいそうなほど全身に衝撃が走る。ガラスの突き刺さった腹は、まるでヘビが内側から食い破ろうとしてるみたいな激痛で、呼吸すらままならなくなる。
「ゲホッ……! ァ……痛ッ……!」
迂闊だった。ドライバーという言葉に引っ張られて、つくもがみの拡張仕様を決め付けた。いや、正確に言えば考えるのを怠っていた。この女、もしかしてわざと……。
「正面から来るから何かと思ったら……ぷぷ、勘違いしちゃった?」
このつくもがみは物を分解する……それはつくもがみも例外じゃない。そうなれば、おそらくネジが付いているかなんて関係ないだろう。やろうと思えば、床だって壁だってバラバラにできる。
「あたしのこと、お喋りな子だと思った? まあ間違ってはいないけどねー。千尋ちゃーん、つくもがみのこと全然分かってないよね?」
「な、なんでそんなこと聞く」
「これはね、理不尽の押し付け合いなの。つくもがみの能力なんてむちゃくちゃで当たり前、元の物質の役割なんてほーとんど関係ない! どれだけ相手に理不尽を強いるか、そういう戦いなんだよ?」
悔しいけど、一理あるなと思う。そう、つくもがみの拡張仕様なんて、とんだ言葉遊びや出鱈目な理屈で成り立っている。
ただ、この言葉を額面通り受け取るのもまた違う。こいつはわざとドライバーという単語を出し、わざとおとぼけなキャラを見せて、あたしの行動を誘導した……と思う、多分。
「理不尽ね……そんな事言うわりには、押しつけが足りないんじゃない? 今、ベラベラ喋ってる暇があるなら、床でもなんでも分解して、あたしにぶつければいいじゃない」
「ふふふ、聞きたいことがあるからね、千尋ちゃん。あんまり早く死なれると、つまんないし」
あたしは思う。こいつにはまだ、付け入る隙はある。正直、立ち上がるのも大分きついけど。今立ち止まったら、痛みを感じてしまう……むしろ動き続けて気を紛らせないとね。
膝を手のひらで数回叩いて、ギリギリの状態に喝を入れる。あれを使うのは、ここじゃない。それに、あたしにだってアドバンテージはある。マフ太は、バラバラにされたって動き続ける。散々今まで一部分を引きちぎってきたんだから。
「千尋ちゃん、オーバーフローしてる?」
突然振ってきた、夕凪の質問の意味があたしには分からない。オーバーフロー…… って、あぁもしかして、
「もしかして呼び方違う? あれって自然と頭に流れてくるもんねー、まあここまで言えば分かるでしょ?」
「仕様制限解除……のことなら、」
何その呼び方変なの、という夕凪の表情はさておき、あたしは返答に迷う。まあ、間が空いた時点で、怪しさ満点になってしまったが。
「……あるんだ。やっぱり5月のあれって、オーバーフローしてたよね?」
こいつ、もしかして見てたの? あたし達が人形のつくもがみと戦っていた光景を。だとしたら、マフ太の拡張仕様は大部分が割れているんじゃ……。
「ごめんね、手加減やめるね」
一言、それを夕凪が、消え入りそうなか細い声で呟いた次の瞬間だった。足元はガタガタ揺れはじめ、板チョコを砕くみたいに床が崩壊し、片や天井はショベルカーで解体したみたいに崩れ落ちてきた。
「くそっ……!」
横たわるマフ太で、不意打ちしようと思っていたのに、これじゃ、自分の身を守ってもらうほかない。
「──マフ太!」
落下するあたしを、半分になったマフ太はするりと絡め取る。この状況で複数使役するのは、今のあたしには出来そうにない。もう半分や切れっ端は一旦無視するしかない。
「何だ、つくもがみまだ生きてんじゃん」
この女のつくもがみ、拡張仕様のスケールが1段階大きくなった印象だ。こいつが言うように、オーバーフローしたってことなの?
マフ太のおかげで瓦礫にぶつかることもなく、安全に着地することが出来た。しかし残念なことに、2号館はすっかり吹き抜けの建物になってしまった。普通の参加者がこの崩壊に巻き込まれていないか心配になったが、他のことを考える余裕はないみたいだ。
ふわふわ風船みたいに浮かぶ瓦礫に座り、夕凪はあたしを見下ろしてくる。
「お願いなんだけど……死んでくれない?」
「声小さくて聞こえないんだけど? 降りて来てよ、それとも引きずり落とされたい?」
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