第43話 青い目
この男、図体のデカさの割に随分素早い。マフ太でいなしながら、あたし自身もその場に留まらないよう意識する。背後に回りたいけど、そう簡単に許してはくれない。
それにこいつ、多分気付いているんだ。あたしの弱みを。
「消極的だな、小娘。先程の勢いはどうした?」
「教えの1つでね、『強い奴の股間は狙わない』ようにしてるんで」
股間に限らず、あたしは確かに攻めあぐねてしまう理由がある。加減が分からないんだ。どのくらいでマフ太をぶつければ、こいつが倒れるのか。
さすがに殺人は出来ない。かといって弱すぎても問題だ。いちかばちかに賭けちゃうか……それとも……。
「そぉ! れ!」
男の拳が、あたしの胸元目掛けて飛んでくる。マフ太を緩衝材に、拳の勢いそのままに、あたしはわざと後ろへ吹っ飛ばされる。
「また逃げるつもりか!」
初めて距離をとることができた。床に打ち付けられる前に、マフ太を全速力で男に伸ばす。もちろん当てるつもりはない。
「マフ太! 縮め!」
マフ太をぶつけるのが駄目なら、あたしがやればいい。一気に縮んだマフ太と共に、あたしは男の眼球目掛けて膝を尖らせる。どんなに鍛え上げられた人間でも、目はそうでもないでしょ。
眼球にめり込んだであろうあたしの膝は、それ程痛みはない。これは明確に目だけを狙えたな、と確信する。
「それで、」
男はあたしの右腕を掴む。え、嘘……
「終わりか?」
男はそう言うと、まるで輪投げみたいにあたしを振り飛ばした。あんまり乱暴に投げるので、視界がぐるんと一周してしまう。マフ太のおかげで受け身は取れたが、目を離したその隙を、男は見逃さない。
頭を上げたその瞬間、何かが飛んで来る。マフ太が弾いたときに、それがその辺に転がっていた人だと気付く。だがそれがブラインドとなり、あたしは男の接近には気付けなかった。
「ぐっふっ……!」
ボディーブローがあたしを襲う。即座にマフ太を間に挟んだけど、十分に勢いを吸収することは出来なかった。細長い廊下ゆえ、あたしは窓側の壁に身体を打ちつけられてしまう。
「女が!? 男に!? 生身でダメージを与えられると思っているのか!?」
クソ……こいつ全然効いてなかった。
「そのつくもがみで攻撃できないんだろう! 小娘! 貴様はこの戦場に立つ資格はない!」
「相手を殺す覚悟もない者が、どうしてここにいる!? 貴様は何を思い、春礼様に立ち塞がるのだ!?」
ごちゃごちゃ喋ってるけど、痛みを和らげる時間をくれるなら付き合ってやろう。
「あたしは……ただ恩返しがしたいだけ……。ゲホッ、そ、その人達が、殺人なんて絶対しないから……」
まともに答えるつもりなんてなかったけど、自然と口から溢れた言葉、その意味を、あたしは後から追っていた。
「だから、あたしは……」
「そのせいで、その大切な人間が死んでもか?」
……! ……なんだよ、こいつなんなの……!
「その前に、貴様が死ぬのだがな」
いちかばちかに賭けようと、思い立つ前だった。視線を上げたときには、既にマフ太が男の肩口を貫いていた。
「……え! ま、待ってマフ太、」
「ぐっ、ぐぁぁぁ……!」
ぬかるみを踏み抜くような音を立て、突き刺さっていたマフ太が抜け出す。そのせいか、ますます男の体から血が滴る。
「ち、違う。あたしは何も……。マフ太! 一体どういう」
おかしい、そんなはずはない。最近、マフ太はますます自発的に動いてくれるようになっていたけど、こんな決定的な事、勝手にやったことなんて一度も……!
頭がぐちゃぐちゃに混乱する中、すっかり見物客になっていた信者達の間から、どこがで聞いた女の声がした。
「相澤千尋ちゃーん? あなた今、つくもがみが勝手にやった、あたしは何もしていない、とか思ってるでしょー?」
この女、確かユウナギとか呼ばれてたやつだ。エコロジアースの名簿にも載っていた、おそらくこいつが夕陽夕凪、団体のNo.2だ。
「つくもがみはね、使役者の思ったとおりに動くの。あなたが考えていないことを勝手にやるなんてありえないんだよ?」
「ふふ、殺そうとしたね? 人を」
違う、違うそんな。
「混乱するよね、そうだよね自分の気持ちに今はじめて気づいたもんねー。でも思ったより覚悟持ってたんだね、お仲間のためなら人も殺せるんだー?」
「正直ね、そのまま生温いこと言ってくれてたほうが嬉しかったんだけどー。あたしは春礼のためなら誰だって殺せるんだよ?」
あたしじゃあんたに勝てないってことか。確かに、確かにそうなのかもしれないけど……けど!
「夕凪とか言ったけ、あんた。残念だけどあたしは混乱なんてしてない。思ったより大男が脆くて、あっけにとられてただけだから」
今はパニクってる場合じゃない。こいつの言ってることは多分本当、教祖様のために、あたしを殺しに来た。
「ふふ、言うじゃん。おーい皆? ゴリ建さん連れってて離脱してねー」
この場にいる全員帰すみたいだ。あの男、死ぬことはないと思うけど……。
「あーあ、ゴリ建さん信者の中じゃ1番強かったんだけどなー? やっぱり使役者潰すのは、」
夕凪は左手を窓に当てた。窓はひとりでにまるごと外れ、浮遊し始めた。
「同じ使役者じゃなきゃ」
まるでラジコンで操作されているみたいに、窓は宙を舞い、銃弾みたいにあたしへ猛スピードで向かってきた。
「──ヤバっ……!」
マフ太で弾き飛ばそうとしたが、間に合わない。勢い良くあたしの頭に激突し、そのまま受け身を取る間もなく床を転げ回る。
「もうひっとつ!」
再び何かが飛んでくる。それを確認する余裕などなく、あたしは咄嗟に近くのドアノブを握り、なんの部屋かもわからないけど取り敢えず逃げ込む。
「見えない、つくもがみが見えない……」
頭がズキズキ痛む。床を這いつくばりながらなるべく奥へ進む。何よりも、つくもがみが何処にいるか、見えない。見えないものをマフ太に戦わせることは出来ない。
「この部屋かなー?」
外から声が聞こえる。鍵は閉めた。少しは時間稼ぎが……。
キュルキュルと謎の音が聞こえたと思ったら、ドアは突然ガコン、と外れ、そのまま倒れ込んだ。窓もそうだったように、明らかに人間の力ではない。そうとなれば、このつくもがみの仕様は……。
「電動ドリルみたいな音がする……。ネジを外す類のつくもがみか……」
舞い散った埃の向こう側から、夕凪はニッコリと、倒れたドアを踏みながら機嫌良くスキップしてきた。
「そ、正解。ドライバーのつくもがみ。ま、わかったとこほでなんだけどね」
まだつくもがみの姿は見えない。一体どうして……。
「あたしの目、よーく見てごらん?」
余程機嫌がいいのか、自分から教えてくれるみたいだ。言われた通り指を差された目を見る。……そうか、そうだよね。春礼もそうであるように、こいつも体の中に、いるんだ。
「青い目、綺麗でしょ? 春礼がくれたの、つくもがみ」
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