第40話 夏、到来


 一人、また一人と、次々に講義室から学生が居なくなっていく。それを見るたび、あたしは焦りを募らせると共に、もう諦めて帰っちゃおうかとも考える。しかし後悔はしたくない、あと一息の頑張りが、単位を呼び込むかもしれないんだから。

 

 八月上旬という夏最盛期に、前期の期末試験はおよそ五日間にもわたって実施された。そしてついに、待望のラストの試験に、あたしは臨んでいた。テストが終わった人から退出を許可されるこのシステムは、高校時代には存在しないものであり、あたしのように最後まで残ってる学生は少ない。

 

「分からん……何にも分からん……」

 

 正直、全然勉強していなかったので、退出したくても出来ないのだ。まあ? 逆に? 粘ったところで分かんないものは分かんないだから、さっさと諦めるのも一つの手だろう。

 

「はい、時間切れです」

 

 無慈悲な声が聞こえた。顔をあげると、この講義の担当教授が目の前に。……すいませんね、あたしだけ時間目一杯使って。

 

「あの……何かすいません」

 

「これは、来年もよろしく、かな」

 

 テスト用紙を掲げた教授は、呆れたようにそう言った。悲しいけど、これを夏休み開始のゴングとしようか。



 

 

 この二ヶ月間、いくつか、つくもがみ絡みの事件はあったが、あたし達は大きな怪我をすることなく、無事この夏休みを迎えた。あたしは勉強そっちのけ(そりゃ努力すれば勉強時間は作れたかもしれないけど)で、菜花さんと特訓三昧だった。

 

 甲斐さんは、対策室の二人とも協力して、シュンレイの正体や居所を突き止めようと奔走していたが、全然手掛かりがないみたいだった。

 

 結月さんは、大学と実家を往復する日々を送っていた。碧君があいつらに顔を見られているため、危険が及ぶ恐れがあるからだ。幸い、何も起きていないようで、今日で夏休み突入ともなると、幾分か負担が軽くなるだろう。

 

「暑い……盆地は暑すぎる……」


 灼熱の大地、自然の前では、人間は余りに無力だと痛感する。独り言でも、愚痴ってないとやってられない。そんなあたしの背後から、砂利が擦れる音がする。


「ちぃー……ひろちゃん!」 

 

 暑さでただでさえぐったりしているあたしを、後ろからドン、と肩を押すその子は、すっかりじゃれ合いにも遠慮がなくなった、あたしの友達だった。

 

「も~、美怜、暑苦しいよぉ〜」

 

「えへへ、だって夏休みだよ?」

 

 元気一杯だな。さぞかしテストの出来は良かったんだろう。

 

「千尋ちゃんは、この夏休みもサークル三昧?」

 

「え、うん……まあ、免許は取りに行きたいけど……」

 

 普通の大学生はこの一年生の夏休みに自動車免許を習得するために、教習所に通うそうだ。取りに行きたいとはいったが、金が無いことに、今気づく。


「そうなんだ! あたしはね、海外行こうかなって!」


「え、凄い……!」


 海外なんて……思い付きもしなかったよ、あたしゃ。


「あとはね、大学祭の実行委員会の仕事が少しあるけど、正直あんまり盛り上がってなくて、適当でいいやーみたいな雰囲気なんだよねー」


「へぇ~。なんでだろうね」


 この大学の祭りがどんな熱量か、全く知らないけど、実行委員会が適当なら、他の学生はもっとやる気がないだろうな。


「なーんか大学側から貰える運営資金がめっちゃ少なくて。どうも他の団体のイベントに回っちゃってるみたいなんだよー」


「大学祭が蔑ろにされちゃうんだ……。そのイベントはよっぽど凄いのかね」


「あれだよあれ! 最近流行りのSDGs? 何かのサークルでさー、こないだテレビにも出てたらしいよ、あのイケメンのサ長」

 

 サ長とはサークル長の略である。それにしても、テレビに出るような、そんな人がこの大学にいるとは知らなかった。まあどうせローカルチャンネルだろうが。


「ほら、この人この人。春山礼伍って人。確かにイケメンだけど、いくらテレビに出てるからって、予算的に優遇されるのは」


 美玲の見せてくれたスマホの画面に写るその男、あたしは二度見なんてもんじゃないくらい目をグルングルン泳がせた。


「……美怜? そのイベントっていつなの?」


「へ? えぇと、あったこれ! 九月一日から2日間だって! もしかして千尋ちゃん、面食いだった?」


 春山礼伍……ふふ、おちょくってるよな、この名前は。


 片目が隠れていないからバレないとでも思ったのか。印象は異なるが、あまりにも顔が似ている。……あの男、シュンレイに。

 

「ごめん! あたしちょっと急ぐね! あと本当にありがとう! 美怜大好き!」


「えぇ!? 勢い良すぎて嘘っぽいんだけど!?」


 だったら、思いっきりハグしてやる。これでどうだ!


「……ハグが速すぎて見えないよ……千尋ちゃん……」


 既に走り出したあたしは、美怜に手を振りながら、部室へ急ぐ。


 シュンレイが、あたし達と同じ学生だったなんて……灯台下暗しが過ぎるよ。そして開催されるイベント、あの時のあいつの口振りから、何もないとは考えにくい。


「こんなくそ暑いときに……走らせやがってーー!」


 今年の冬は長くてもいいので、九月は是非、早めの秋を期待したい。

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キャンパスライフにはつくも神がいて 泥沼沈 @udonkosan

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