第38話 謎の男女


 19時半を回った頃、あたし達は目的地である病院へ辿り着いた。東京の下町といったとこだろうか、新幹線からの乗り換えは一回で済み、最寄り駅から徒歩5分の好立地に佇むその病院は、なんちゃら大学病院……と、難読漢字(読めない)の名前を携えていた。

 

 外来は既に閉まっており、現在は入院患者への面会でしか病院内に入ることは出来ない。その面会時間の終わりも、20時までと迫っていた。

 

「ユヅの方は特に問題なし。この時間じゃ中にほとんど人もいないだろうし、謎の連中も居なくなっちゃったかもな」

 

 甲斐さんは定期的に結月さんへ連絡を取っている。彼女は時間ギリギリまで病院内で過ごし、わざと一人になるようにトイレに行ったり、自販機で飲み物を買ったりとウロウロしているようだ。もちろん、母親の病室は常に注視している。

 

「とりあえず俺達も行こう。千尋は先行して、マフ太と一緒に中に怪しいやつがいないか探してくれ」

「了解!」

 

 居なきゃ居ないで安心だろうけど、そうなると夜の間は病院の前で張り込みかもしれない。それを考えると、今日そいつらが見つかってくれたほうが、あたしとしては手間が省けて助かる。

 

 碧君をあたしと甲斐さんで挟み、慎重かつ自然体で院内を進んでいく。受付では既に結月さんが話を通してくれていたので、特にごたつくことはなかった。

 

 院内をぐるぐる廻るか、一旦結月さんと合流するか、甲斐さんに判断を仰ごうとしたその時だった。

 

「きゃあ!」

 

 女の人の驚いた声は、マフ太を飛ばしていた先のT字路の右側から聞こえた。


 ただの医者か看護師がお互いぶつかりそうになって出した声かもしれない。あたし達は恐る恐る、声がした方向を覗き込んだ。

 

 ふわふわ浮かぶマフ太を見上げながらあたし達を視界に捉えたその女性は、

 

「あ、」

 

 と何かを察したような素っ頓狂な声を漏らした。

 

「ダウト……だな」


「あなた、見えてますね?」

 

 あたしの問い掛けに、その女性は明らかに多い瞬きを止めることなく、すぐさま後方へスタートダッシュを決め込んだ。


「おい! 待て!」


 いきなり逃げる奴へ投げかける言葉第一位のテンプレートセリフを吐いた甲斐さんよりも速く、あたしはマフ太と共にそいつを追いかける。


 やけに曲がり角の多い通路のせいで、少しでもスピードを緩めたら見失ってしまう。あたしはマフ太に捕まり、伸び縮みを繰り返し、走るよりも速く進んでいく。


 三回四回とコーナーを駆け抜けた先、次の直線で捕まえられると思ったが、そこに居たのは女性一人だけではなかった。


 もうすぐ夏になるというのに、膝丈にまで伸びるコートを羽織り、右目を長い前髪で隠した、不審感満載の男が仁王立ちで待ち構えていた。その男を盾に、先程の、よく見たらあたしよりも小さいけど、見た目はすっかり垢抜けているショートヘアの女が、隙間から顔をこちらへ覗かせている。


「ど、どういうこと!? あいつって確か……」

「落ち着け、ユウナギ。お前のその行動と表情が、彼らに確信を与えているぞ」


 二人いようが関係ないと、間髪入れずマフ太で拘束しようと思っていた。だが、妙に落ち着きのあるその男の佇まいに警戒したのか、あたしは一旦、マフ太への命令を躊躇する。


「ハァハァ……おーい、速ぇよ千尋。ん? 二人居る……碧君あいつら知ってるか?」

「いえ、全く……」


 二人が追いついてくると、彼らは再び驚きの表情を見せたが、男の方はすぐに納得したようだった。


「なるほど……彼に聞かれてしまったということか。ユウナギ、我々の計画は失敗に終わりそうだ」

「嘘……。は! もしかしてあたしのせいで、あいつらにバレちゃった?」


 何の話をしているのかいまいち要領を得ない。甲斐さんもあたしも、次の行動にどう移せばいいのか迷っていると、先に男の方から話し掛けてきた。


「せっかくの初対面だ、まずは自己紹介しよう。こんばんは、甲斐優太君、相澤千尋さん。私の名前は、えぇと何だったかな……キリノミヤザキシュンレイ、で合ってるよな、ユウナギ?」

「もう! あたしに聞かないでよ! シュンレイ!」


 名前長! というのが第一印象だ。でも、その覚えていないフリは何なんだ? どんなにへんてこでも、自分の名前は忘れるわけがないだろうに。


「おい、なんで俺らのこと知ってんだ?」

「あ……あ! ほんとだ!」


 名前のインパクトで薄れていた事実に気付く。確かにこいつ、あたし達の名前を一言一句間違えず言った。まるで、昔から知ってるみたいに。


「そこを説明するのは面倒だ。だが一つ言えるのは、君達が、既に我らが君たちの言う使役者であることを知ってしまった以上、名前そして君らのつくもがみを知っていることを隠す必要がないということだ」


 言い回しが回りくどくて理解が追いつかない。こいつ、わざとやってるな。おちょくっているんだ、あたし達を。


 そしてやはりこいつらが、結月さんを狙っている連中だ。わざわざ自分から確定してくれて助かる。これで心置きなく……。


 その時、あたしの横を悠然と過ぎた男の子は、あたしが近づけなかった距離まで躊躇なく進んでいった。


「お、おい碧君!?」

 

 甲斐さんの呼び掛けに答えることなく、彼はシュンレイと呼ばれる男の正面に立った。


「何故僕が知っているのか、もう勘づいているでしょうが、改めて聞かせてください。結月さんを狙う理由はなんですか?」


「君は、確か弟だな。まさか年端も行かない少年に、こうして正面から切り込まれるとは思わなかった」


 またくどくど回り道をしようとした男に、碧君は間を置くことなく、


「質問に答えて下さい。あなたはさっき、計画は失敗だと言った。なら教えてくれても、いいでしょう?」


 と、一切怯むことなく言い放った。


「まじかよ……碧君」


 あたしもその感想しか出てこないよ。


「……だからフェアじゃないと言ったんだ。やはりこうして上手く行かない、それが分かってよかったな、ユウナギよ」


「おっとすまない。質問に答えるんだったな。まあ言ってしまえば、偶然浮いた駒を、チャンスだと思って潰そうとした、ということだ」


 潰すって……どうやらこいつ、予想より凶悪かもしれない。


「いずれわかることだが、君達とは今後ぶつかり合うだろう。昨日までそれは五分五分だったが、こうして顔と素性を知られた今、その未来は避けられない、確実に。その前に神代結月を殺せる可能性があるなら、いつもの慎重さを失うほど飛びついてしまうだろう。実際そうだった、結果は間違いだったがな」


「あたしのせいだぁーー!」


 今こうして、この男の話を黙って聞いている状況は、あいつらにとって都合がいいのではないだろうか。こんな奴、今すぐにでも……。


「あ、見て! あの女の子の顔! めっちゃ怖いよ!」


 さっきからうるせえやつがあたしを指さして何か吠えている。


「あんた、今すぐあたしらを殺さなきゃ、とか思ってたでしょ! 最低!」


「落ち着け、ユウナギ。後ろでポケットの中の携帯を弄り、我らを出し抜こうとしている男にも気づくべきだ」


 振り向くと確かに、甲斐さんはポケットに手を入れている。


「もう遅えよ」


 甲斐さんの呟きと同じタイミングで、天井に裂け目が浮かび上がる。瞬く間に裂け目は広がり、人一人は通れる隙間から、結月さんがすとんと降りてきた。


「足の怪我、ごめんなさい」


 そう呟いた結月さんは、刀に手をかけ、抜こうと力を入れた。だが、


「やるなら、本気で来なければいけない。本気なら、上の階から我々を真っ二つにすることも出来たはずだ。だが、それをしなかった。それは私にとって、とても有り難いことだ」


 と、男は饒舌に喋る。


「結月さん!? 早く!」


 一秒、二秒と時間が過ぎていく。結月さんを前にしたつくもがみなら、既にバラバラになっているはずなのに、どうして……。


「ユヅ……もしかして、動けないのか?」


 急かしたあたしと違い、甲斐さんは落ち着いた声でそう問いかける。いや、落ち着いているというよりは、信じられないものを見ているが故の、思考のフリーズだろう。


 決して結月さんが怖気づいてしまったわけではない。確かに、生身の人間に刀を抜く経験は多くはないだろうが、そうであったなら体の震えや表情の強張りがあってもいいはずだ。


 刀を握ったままの結月さんから、それらの生体反応が一切感じられなかった。人間が、ここまで石のように固まることなんてあるだろうか。これじゃまるで、時間でも止められたみたいじゃないか!


「おっと、行くぞユウナギ。三人に相対するのはさすがに分が悪い」

「あ! 待ってよーー!」


 彼らはあたしと甲斐さんに一瞥もくれることなく、横を通り過ぎ、走り去っていった。もう、追いかける気力は出てこなかった。


「ハァ……ハァ……!」


 しばらくすると結月さんは動けるようになったのか、ガクンと床に膝をつき、ぐったりとうなだれてしまう。呼吸は酷く落ち着きがない様子で、息を吐く音だけがその場に響いていた。


「結月さん! 大丈夫ですか!?」


 あたし達は今にも倒れ込んでしまいそうな結月さんを抱える。その時、小声で結月さんの声が聞こえた。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 横目に入った結月さんの目元は、過剰なアイメイクみたいに、赤く腫れていた。

 


 あたし達にとって、これ以上ないほど衝撃的な、そして絶望的な瞬間が、頭の中で何度も、何度も繰り返されて、あたしの心を深く黒く沈ませていった。

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