第37話 神代碧
結月さんに弟がいることは知っていた。だがその姿を見るのはこれが初であり、当然こうして向かい合うことも初めてだ。年は、確か小学6年生だったはず……。なんか、随分落ち着いているなぁ。
「いきなりで申し訳ないんですが、急ぐ必要があるんで、駅に向かいながら話を聞いてくれませんか? 一応、行きで使ったタクシーを待たせてあるんで」
口調も大人びてるし、何より用意がいい。小学生がタクシー使うだけでも凄いのに、待たせているってどういうこと? 頭回り過ぎじゃない?
「お、おぉ。分かったよ。えっ、タクシー?」
事が進む勢いに呑まれた甲斐さんは、戸惑いを隠せない様子だ。状況が飲み込めないまま、あたし達はスマホと財布だけ握り締め、彼……碧君に付いていく。
「こっちです」
「おぉ……。おい千尋、タクシーっていつお金払うんだっけ?」
小学生より経験の乏しい大学生がここにいた。まあ、普通の大学生にタクシー乗る機会なんてのは早々訪れないので、仕方ないのかもしれない。
「距離に応じて払うので、降りるときですよ。安心して下さい。お願いする立場の僕が、ここは払うんで」
されるがままにタクシーに乗り込み、座席に座ったあたしはやっと冷静になる。この子、多分人生2週目だ。
「いやいや! さすがに子供にそんな!」
「そ、そうですよね!」
年下に奢られそうになり焦る姿が、返って未熟さを助長させている気がしてならない。子供とは言ったが、彼にその呼称を用いるのは、極めて失礼な行為のように思えた。少なくとも、あたし達よりは大人だもの。
この大人に対して、余計なやりとりで時間を空費するわけにはいかないと思ったのか、甲斐さんは表情を引き締め、本題へ戻ろうと質問する。
「そ、それで、助けが欲しいってどうしたんだ? ユヅ……お姉ちゃんから何を聞いたんだ?」
甲斐さんの疑問は、これだけじゃ済まないだろう。改めて考えると、本人ではなく弟が、それも直接会いに来るなんて一体どういうことなんだろう。
「……お二人の反応で、僕は安心しました。やっぱり結月さんのお仲間だったんですね。彼女からは甲斐さん、あなたのことは聞いていたんですが、それ以外は何も。助けがいるというのも、僕がそう判断したに過ぎないです」
碧君が、結月さんのことを結月さんって呼んでるのは、あたし達の前だからだろうか。あたしが兄のことを、涼太さん、なんて呼ぶのは……うーん違和感あるなぁ。
「碧君は……つくもがみのことを、知ってるのか?」
甲斐さんはリスクを冒してこの疑問を投げかける。使役者ではない者に、むやみにつくもがみのことを話してはいけない……これは外山さんから貰った紙にも書いてあったことだ。
碧君は、少し驚きの混じった、点と点が繋がり合点がいった表情を見せた。一瞬だけ、百科事典を眺める子供のようなワクワクした顔になっていた気がする。
「……一般的に言われる付喪神なら多少は知ってます。結月さんの不思議な能力は、それが関わってるんですね?」
この質問に対しての対応は、あたしには出来ない。申し訳ないが、責任は甲斐さんに負ってもらうことにした。
甲斐さんは、無言で頷く。
「もしかしたらつくもがみ? は何も関係なく、僕の勘違いと思い込みかもしれない。それでも、彼女のために動いてくれますか?」
言うまでもない。理由がなんだろうと、あたしは結月さんに助けてもらった身だ。手脚がちぎれても断らないよ。
そんなこんなでタクシーが駅に着く。まだ話の全容が掴めないまま、あたし達は最短経路、新幹線へ乗り込む。
切符って2枚同時に入れるんだっけ?
金曜の夕方ということもあり多少は混んでいたが、自由席の三人席へ座ることが出来たあたし達は、外の景色を楽しむことなく、碧君の話に耳を傾けた。
「病院に居るには、少し悲壮感が足りないというか、変に希望を持ってそうな、そんな集団が居たんです」
今日の昼頃、碧君はその怪しい連中が、病院屋外の喫煙所でこそこそ話をしているのを聞いたそうだ。
「周りを伺ってましたけど、背の低い僕がドアの内側にいることは見えなかったみたいでした。ほんとに、ただの興味本位というか、暇潰しのつもりだったんです」
「断片的なワードしか聞き取れなかったけど、神代結月という名前は、はっきり聞き取れました。そしてもう一つ、つくもがみ……って」
あたしと甲斐さんの間に緊張感が走る。彼は既に聞いていたのか、つくもがみという言葉を。そりゃさっきの反応になるよね。
あたしがシンプルに最初に思い浮かべたのは、悪い使役者だった。結月さんを狙う、身の程知らずの馬鹿が。
「外山さんとか勅使河原、じゃねぇよな。あいつらにユヅの病院の場所なんて話してないし」
碧君は話を続ける。
「病院に似つかわしくない雰囲気と周囲を伺う行動、姉の名前と聞き慣れない言葉、被害妄想かもしれないけど、僕にはそれが良くないことのように思えて」
「そ、そんなことないよ! あたしも、めっちゃ怪しいと思う!」
フォローを入れたが、あたしにある疑問が浮かんでくる。すると甲斐さんが、あたしが思っていることをそのまま、心でも読んだのかと思うほどに同じタイミングで、その疑問を投げかける。
「碧君、なんで電話とかじゃなくて、直接大学に来たんだ? 助けを呼ぶのが俺達だったことは素直に嬉しいけど、適当に理由つけて姉ちゃんに携帯借りてのほうが」
何故結月さんにそのことを話さなかったのか、という疑問は、あたし達が結月さんの強さを知っているからがゆえのものだ。碧君にとっては、そんなことないだろう。だが、たしかに電話じゃなかったことは解せない。
「……あんまり、結月さんに携帯貸して、とか言うのは……ちょっと馴れ馴れしいというか、なんというか。それに僕みたいな子供が、こうしてはるばる来られたら、皆さんが断れないかな、なんて……」
碧君と結月さんの関係性が良く分からない。まあ、他人のあたしがとやかく言うことではないだろう。
それを聞いた甲斐さんは、パン、と碧君の肩に手を置く。そして目線の高さを合わせ、一つ一つの言葉をそっと丁寧に置くように語りかけた。
「おっけ、よく分かった。……碧君、一つ覚えておいて欲しいんだけどさ、俺達は君のお姉さんの為なら、結構頑張れるんだぜ。だからさ、えーっと……俺達のこと、もう疑わなくて大丈夫」
碧君が丁寧な口調の裏に、それなりの警戒心を抱えていることは、あたしですら分かっていた。きっと甲斐さんも同じだろう。
甲斐さんの言葉を聞いた碧君は、強張っていた肩の力を抜くのに時間はかからなかった。もちろんこの短時間で、信頼なんて出来るはずもないことは、あたし達も重々承知だ。でも、君が遠慮なく窓際に座れるぐらいには、あたし達のこと、信じてくれてもいいんじゃないかな。
「……あ、ありがとう……」
碧君が、初めてあたし達から視線を外した。お礼の言葉以上に、あたしにはそれが何より嬉しかった。
「それに碧君よ、ユヅはめちゃくちゃ強いから大丈夫だと思うぜ。遠慮せず、今すぐあいつに連絡しとけば、ある程度は大丈夫なんじゃね?」
甲斐さんの言う通りだ。あたし達が駆け付けるとはいえ、この状況で結月さんに事情を秘密にしておく理由はないはずだ。
ところが、碧君の胸の内ははっきりしない様子だった。彼の中で、何か煮え切らないものがあるのだろうか。
「……分かりました。あ、でも電話はお二人の方からしてもらってもいいですか? 僕から電話したことないから……」
「いいけど、碧君が俺等に会いに来ていることは伝えるぞ。そうしないと意味分かんないからな」
何であたし達が病院のことを知っているのか、ストーカーを疑われかねないからね。まあ結月さんはそんなこと思わないだろうし、甲斐さんが適当な理由つけて説明しても、全部信じちゃいそうだけど。
「碧君、きっと結月さん心配すると思うよ?」
「そうでしょうか……」
姉からの関心に大分自信がないみたいだ。表情に乏しい結月さんとはいえ、小六の弟が一人遠出していたらびっくりすると思うけど。
そんな会話をしている間に、甲斐さんは特に躊躇もなく結月さんに電話を掛ける。彼なりの言葉で一通り事情を説明すると、突然スマホの画面を碧君の目の前に向ける。あたしも必死に覗き込むと、どうやらスピーカーモードになっているようだ。
「もしもし、碧君ですか!? そこにいるんですか!?」
本当に結月さんなのか? と思うほど感情がこもった声色だ。ほら、めっちゃ心配してんじゃん。
「う、うん。ごめん結月さん、僕ちょっと出しゃばりすぎたかも」
碧君の声を聞いて安心したのか、電話の向こうから結月さんの息を吐く音が聞こえた。すると先程とは異なり、落ち着いたいつもの声で話し始める。
「……碧君、私達家族なんですから、出掛けるなら、ちゃんと連絡しなきゃ駄目です」
「うん、ごめんなさい……」
「二人はとてもいい方なので、安心して帰ってきてくださいね。お父さんには私から連絡しときます」
「あ、ありがとう……」
電話はそれで終わった。碧君、さっきまでの賢さはどこへ……。この子、結月さんに対してかなり大きめの感情持ってるな。
いつの間にか外は暗くなっている。ビルやマンションの明かりが目立つようになってきた。
「これでひとまず安心だな。俺トイレ行ってくるわ」
「あ、ポッキー食べる? 2種類あるけど、碧君どっちがいい?」
緊張が解けたのは二人共一緒みたいだ。後は病院で何事もなく、謎の連中をボコって終いだね。
「……大変申し上げにくいのですが、行きの電車で三箱食べました……」
彼はリュックの中から取り出した空箱を、トランプみたいに持ってあたしに見せつけてきた。申し上げにくい割には堂々としてんなおい。
Welcome to the Shinkansen. This is the ……
そういえばどこで降りるんだ?
「トイレ全然空かねえんだけど!?」
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