第30話 そこにいたのか

 もう少し、動けると思っていた。使役者が相手でも、必ずしも人を傷つける必要なんてない。そんな甘い考えは、すぐ捨てるべきだったんだ。

 甲斐さんがいなければ、あたしは自分で気付く間もなく殺されていただろう。喉元へ突きつけられたナイフは、あたしの心を砕くのに十分すぎる鋭さだった。

 

「……ごめんね、マフ太。あたし、震えが止まんない……」

 

 甲斐さんは経験があるんだろうか、こうして人間の殺意に晒されたことが。鬼塚にのし掛かられ、すんでのところで踏み止まっている甲斐さんの表情は、とても恐怖で支配されてるようには見えなかった。

 対してあたしはどうだ? あの一瞬だけで、こうして膝を付いて体を震えさせている。あのとき、結月さんの背中を押した甲斐さんの気持ちを、あたしは踏みにじってしまうの?

 

「……嫌だ、そんなの嫌だよ」

 

 あたしの感情に呼応するように、マフ太は彼らを眺めているだけだ。あたしが勇気を出さないと、つくもがみは助けちゃくれないんだ。使役するだけじゃ駄目なんだ、あたしが、あたしが覚悟を決めないと!

 

「マフ太、ごめんね? 少し、痛いかも」

 

 鬼塚に気付かれないよう、あたしは逆転の秘策を仕込む。奴は、ああして甲斐さんに覆いかぶさりながら、あたしへの警戒も怠っていない。つまり、あたしの行動次第では、目標を切り替える可能性がある。

 

「うわぁぁ! 甲斐さん! 今助けるよ!!」

 

 

 わざと大きい声を出す。少し棒読み過ぎないか気になったが、声量で誤魔化す。

 

「マフ太! 行け!」

 

 マフ太はあたしから完全に離れ、鬼塚の背後から攻撃しようと回り込む。すると鬼塚は、甲斐さんにばかり向けていた視線をギョロリとあたしへ切り替え、マフ太の居なくなったあたしへ向けて猛然と走り出す。

 

「待ってたよ! 君が空くのを!」

 

 迷いなくあたしへ切り掛かるその判断力、信じてよかった。

 鬼塚は、あたしの目線の高さにナイフを伸ばし、一度突くふりをする。ここで冷静にフェイントを入れてくるとは、もしあたしが焦っていたらまんまの引っかかっていただろう。

 ナイフはあたしのお腹を突き刺さそうと、淀みなくスムーズに流れていく。あたしはほっぺの裏側に閉まっていた、さっきマフ太からちぎった片割れを吐き出す。

 両手で片割れをゴムのように伸ばし、鬼塚のナイフを持つ腕へ引っ掛ける。マフ太の本体から離れた片割れも、同じように伸縮することは実証済だ。

 

「縮め!」

 

 ぐっと縮んで鬼塚の腕を締め付ける。あたしの腹にナイフを届かせるなく、鬼塚は苦悶の表情を見せる。

 

「ぐぐ……イタ、痛い!こ、この女!」

「あたしを気にしてる余裕、ある?」

 

 本体のマフ太が背後から鬼塚の首へ巻き付く。あとは思いっきり、締め上げるだけだ。

 

「グギギギギ……! し、死ぬぅ……!」

「千尋、やりすぎるな! ナイフを落として、木に括り付けろ!」

 

 甲斐さんの声にハッとする。そうだ、このままじゃうっかり殺しかねない。そこまで気が回らなかった。

 グラウンド脇の、なるべく太い巨木にマフ太を使って鬼塚を固定する。ロープを探してくると、甲斐さんは部室へ急いで戻っていったが、そんなものは無かったとすぐに帰ってきた。

 

「悪い、そのまま勅使河原を待とう。しかし千尋、お前頑張り過ぎだぞ! あんなギリギリのやり方」

「甲斐さんだって、人のこと言えないですよ。あたしは、一番良い方法を選んだだけです」

 

 さっきまでの威勢はどこへいったのか、鬼塚は俯いて何かぶつぶつ呟いている。あたしごときにしてやられたのが、よっぽど堪えたのかな。

 

「ナイフはどうします? まじで危ないですよね? これ。もう壊していいですよね?」

 

 ナイフのつくもがみのくせに、切った物を操る? そんな拡張仕様、どう予想しろというのか。

 

「まあ、拡張仕様ってこじつけ凄いこともあるからなぁ……」 

「にしても、関連無さすぎません?」

 

 鬼塚はまだぶつぶつ独り言を言っている。いや、何かあたし達に問いかけてる?

 

「くくくっ、少し侮り過ぎたようだ、もう少し慎重に行動すべきだったか」

「ここまでくれば勝負をかけるしかないようだ。本来目立つのは避けたかったが、どうやらもうひとりの女は不在のようだ。これは、千載一遇のチャンスと捉えるべきだろう」

「それにしても……ふふっ……お前達、本当にそんな拡張仕様があると思っているのか?」

  

 何か口調変わった? いやそれよりもその口ぶり、さっきの拡張仕様はあたし達を騙してたの!?

 甲斐さんに拾われたバカ傘が、

 

「離れろお前ら。やな予感がする」

 

 と柄にもなく真剣な声色を出す。

 

「あ、あああ、いぎぃぃぃ」

 

 聞いたこともない断末魔? が響くと、それに反応するように、縛り付けている木がぐらぐらと揺れる。

 すると、切れ味の悪いのこぎりで切ったような音と共に、まるで雷が落ちたみたいに巨木が真っ二つに割れる。

 

「マフ太! こっちへ逃げて!」

 

 左右に崩れゆく木に巻き込まれる前に、マフ太は鬼塚を捨て置いてこちらへ戻ってくる。自由になった鬼塚は動くことはない。しかし、彼の口から何かがもぞもぞと湧き出てきた。

 

「時間稼ぎが、君達の専売特許だと思ったか?」

 

 べらべらと自分のことを喋ったのは、こいつも時間が必要だったからだ。そして、真実の中に虚実を混ぜ込んでいたんだ。鬼塚は既に死んでいて、口から這い出てきたこのつくもがみに、操作されていたんだ。

 

「あれは、人間の模型? いや、マリオネット……か?」

 

 木製の人形にふわふわと糸が無数に上へ伸びている。カ、すっかりぐったりとした鬼塚の肉体を尻目に、カタカタと、まるで酔っ払いのように千鳥足でこちらへ近づいてくる。

 臨戦態勢となったあたし達だったが、その操り人形はブワッと上空へ飛び立つ。背後へ広がるグラウンドの中央に、ふわりと着地すると、瞬きする間もなく一瞬でその体を巨大化させた。

 

「甲斐君! 一体これは、どういうことですか!?」

「着信があって急いで来てみれば、おいおい、ありゃなんだ?」

 

 外山さんと勅使河原が来た。いいタイミングなのか、悪いタイミングか、目の前のつくもがみ次第ってとこか。

 

「巨大なつくもがみですね。奥の校舎より大きい、推定15メートルでしょうか」

「皆、説明は後だ。とりあえず、あのつくもがみが元凶って思っていいです」

 

 勅使河原がニヤリと笑った。おそらく倒せる自信があるんだろう。しかし、そんな彼を制止するかのように、バカ傘が震えた声で呟く。 

 

「優太、いや誰でもいい、今すぐ菜花を呼べ」

「え? いや、どうした? バカ傘、そんないきなり」

「分かんねぇのか! あのつくもがみが、鬼塚使ってあんだけ人間らしく喋ってたんだとしたら! そんなことできるやつが、弱い訳ねぇだろ!」

 

 確かに、鬼塚の行動をあのつくもがみに置き換えれば、相当上手く立ち回っていたと考える他ない。それこそ、普通の人間より思考を巡らせていたかもしれない。そしてまたこの名前が出てきた、菜花ってまじで誰なの?

 

「バカ傘も喋るじゃん」

「俺は! 例外だ!」 

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