第29話 人でなし
電話の向こうの外山さんはとにかく忙しそうだった。手短に要件を伝えると、メールで送りますの一言で通話は終わってしまった。
数秒後に本当にメールが着信した。添付ファイルには寮生のデータが一覧にまとめられていた。元々ある物なのか、外山さんが夜な夜な作成したのかは分からない。
俺達は一旦部室へ戻った。バカ傘を呼びに行くためだ。
「臼井は教育学部みたいだ。一年の今日の必修講義は既に終わっているから、あるとしたら選択科目か、家に帰ってるかだな」
「金曜の午後なんて、一年が受けられる講義はだいぶ少ないですよ確か。家に行ったほうが良くないですか? 待ってれば帰ってくるだろうし」
……本当にこれで大丈夫だろうか。ソファーに転がるバカ傘を拾い上げたその手は、何故だか満足に力が入らなかった。
「場所がわかったんですね、よかった。きっと僕の謝罪を受け入れてくれるはずです」
「やっぱり危険では……。鬼塚さん、強く恨まれている可能性も」
「そんときがお前の出番だろうが! ちんちくりん!」
寝てると思ったら起きてたのか、バカ傘よ。俺達の出番でもあるのに、まず千尋に発破をかけるとは、俺を信用してないな?
「ちんちくりんだなんて、相澤さん? でしたっけ? 面白いあだ名ですね」
「いやいや、ただの蔑称ですよこれ」
アハハ……緊張感のない、乾いた笑いがしばし続く……。
傘を開くのが、もう一歩速ければ……そんな後悔をしている暇はない。咄嗟に伸ばした千尋のマフラーは鬼塚を捉えきれず、反面鬼塚のどこに仕込んでいたのか分からない果物ナイフが、千尋の喉元へほんの数センチまで迫っていた。バカ傘が身を乗り出す鬼塚をギリギリのラインで食い止め、時間を稼ぐ。
「……何か僕おかしかったですか?」
「なんでバカ傘の声が聞こえてんだ? あぁ?」
千尋は急いで後ずざりし、部室から外へ出て大袈裟に距離を取る。少し動揺している様子だ。ガクンと片膝をついて、目一杯深呼吸を繰り返している。あの一瞬でよく動けたよ、あっぱれ。
「バカ傘……変な名前がお好きなんですね皆さん」
「鬼塚、お前使役者だな? なんでつくもがみが見えないふりしてた? そんでバレたらこの通りナイフで応戦とは、その行動がやましいことがある証拠だな」
時間稼ぎが出来ればそれでいい。緊急時の無言電話は既にポケットの中で発信済だ。勅使河原が来るまで、こいつから引き出せるものは引き出すか。
「使役者? どうでしょうね、くくくっ」
「いやぁね? どうしても臼井君に会いたくてですねぇ。君達に近づいて誘導するのが一番手っ取り早いと思った次第です」
「……何で臼井に会う必要がある?」
鬼塚は左手に持つナイフをくるくると回す。俺は隙あらば傘でぶっ叩こうと思ったが、その余裕っぷりにむしろ警戒を強めてしまう。さっきだって、俺達の疑念の表情を一瞬で感じ取り、即行動に移した。ただもんじゃねぇよ。
「臼井君から聞いてるでしょ? 僕さぁ、1年生虐め過ぎちゃったこと、ほんとに悔いてるんだ。ほんとにほんとにほんとに」
「へらへらしやがって。誰がそんな戯言信じるかよ」
「ほんとなんだ! 証拠だってあるさ! 下呂も高梨も、蒲生や東山も、僕が1年生の代わりに復讐しといたんだ! このナイフで!」
人間って、嘘つくときは目線が定まらないイメージがあるけど、こいつは不自然なほどに真っ直ぐこっちを見てきやがる。とりあえず、鬼塚は頭のおかしい奴だと納得するしかない。俺は鬼塚の言うことになるべく冷静になろうと努力する。
「……復讐? 3人は昨日殺したんだろ? どうやってそんな果物ナイフで」
「あぁ違う違う! 君だって気づいてたじゃないか! 4人を殺したのは随分前さ! そのあとつくもがみになったのは傑作だった! 人間って死んだらただの物? ゴミ? ってことらしい!」
まともに話を聞いていたら頭が痛くなる。こいつの言ってることに耳を貸すだけで苛立ちが募る。俺はできるだけ事実だけを認識するようにする。
分かったことは、下呂も既に死んでいるということだ。それ以外はさっぱりだ。
「甲斐さん! 前!」
千尋の声がなければ、いつの間にか鬼塚から視線を外していたことに気づけなかっただろう。一瞬の隙を捉えようと、鬼塚はナイフを俺へ突き立てる。
「ボッーとしてましたよ? ショックでしたか?」
「わかんないことが多くてな。教えてくれよ? お前、千里眼でもあんのか?」
バカ傘を構え、鬼塚との間合いが縮まらないよう立ち回る。千尋も俺の後ろから攻撃の機会を伺ってるみたいだが、さすがに生の人間にマフ太をぶつけるのは気が引けるんだろう。
「このナイフね、こう見えてつくもがみなんですよ。拡張仕様は切った物を操ること。操ってる物のことはなんだって分かるよ? 見てるものだって聞いてるものだって」
「……4人共、つくもがみでありながら日常生活を送ってたのは、お前が操作してたからか」
「そう! 大変だったよ! 怪しまれないように、僕がどれだけ頑張ったか」
「ずっとはそんなことやってられない。だから臼井に罪をなすりつけようって魂胆か」
もちろん、臼井を操ったあとは自殺でもなんでもさせればいい。下呂以外の3人も、そうやって昨日殺したんだろう。
「あの氷の男のせいだ。あいつに歯向かったのは間違いだった。下呂があいつを殺せてれば、高梨も蒲生も東山も殺さずに済んだのに」
クソ野郎が。元々殺したのは自分だというのに、よくそんなことがつらつら吐けるな。こんなふざけた野郎の前で、千尋が思いの外冷静なのは、この状況では助かっているな。
「君と臼井君、見ていたのは東山……だったかな。あんな形でぼくの部屋を見られるなんて、つくもがみを扱う人間が僕以外にいるなんて、あの時までは知らなかったんだよ」
「あのとき見た3人……今日君達に接触したのはあわよくばつくもがみを切りつけてやろうかと思ったんだが……ね?」
こいつ、舐めてるのか? 拡張仕様をべらべらと喋り、俺達の警戒をより強めている。怪しさ満点だ、何か他に条件があるに違いない。
「さぁ早く臼井君のところへ行こうよ! 彼、家を知られたくないのか、わざと入り組んだ道を自転車で走るんだ! よっぽど寮でトラウマ植え付けられたんだろうね! 尾行してもいつも失敗さ!」
鬼塚は右手をポケットに突っ込み、より小ぶりなナイフを取り出す。そしてダーツみたいにこちらへ投げて来た。もちろんナイフの情報を気にした俺は、身を屈めてそれを避ける。
「ビビりすぎでしょ! アハハ!」
裏返った声ではしゃぐ鬼塚は、大袈裟に体勢を崩してしまった俺の隙を見逃さない。バカ傘を蹴りで弾き飛ばし、体重全部をかけて、俺にナイフを振り下ろさんとする。鬼塚の手首を、俺は両手でガッチリと掴んでナイフを届かせないようにする。
「苦しかったんだよ、ほんとは皆殺したくなんてなかった……。でもしょうがないんだ、1年生を虐める上級生は、死で償わないと……可愛そうだろ!」
「臼井君が駄目なら君でもいい! 操ったあと、関係するやつ全員殺して再スタートしよう! 新しく皆が笑顔になれる、そんな学生寮にしたいんだ!」
「馬鹿は客観視できないのか? 一番死で償うべきはお前だろ?」
ちょっと言い返すと、鬼塚はむっとした表情になる。いくら理屈こねったって、結局その時の感情でしか動いていない。そんなクソ野郎に、殺される訳にはいかない!
「罪は償わなくていいぞ? ここで死んでくれたらな」
「……なんてこと言うんだ! こんの……人でなし!」
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