第23話 手掛かり?

 

 左ポケットに重みを感じないことに気付いたのは、お婆さんと別れてからすぐのことだった。あたしら現代人は、スマートフォンが無いと心臓の鼓動が倍速に跳ね上がる。落ち着けあたし、どう考えてもあの時落としたに違いない。なんたって視界の光景が逆さまだったんだから、ポケットに収まっていた必需品は重力に従ったんだろう。

 

「ええと、確かこの辺で何かとぶつかったような……あ! いるじゃん甲斐さん」

 

 日が暮れた後に活躍するであろう、若干ポールが錆びついた電灯を眺めているのは、おそらく腹の邪魔者を追い出してスッキリした男だ。側には、久し振りに自分の足で自立しているバカ傘もいた。

 

「血の付いたあいつのスマホ……。つくもがみめ! 絶対ぶっ倒してやるぞ!」

「待て優太! 何で周囲に血痕が無ぇんだ? ちんちくりん……異空間にでも連れ去られちまったんじゃ!」

 

 飛躍した発想で盛り上がっているとこ申し訳ないが、あたしは彼らの背後から呆れ顔で登場する。

 

「多分その電柱に頭ぶつけちゃいましたけど、生きてますよ。どうせ異空間に行けたなら四次元ポケットが良かったですけどね」

「わぁぁ! いるじゃん! なんだよ心配させやがって」

 

 急に話しかけたもんだから、特に驚かせたかった訳でもないのに過剰なリアクションをさせてしまった。

 甲斐さんもバカ傘もあたしの顔をまじまじと見つめている。何だか恥ずかしいので、あたしは画面が無事であることを願いながらスマートフォンヘ手を伸ばす。

 その時、彼らの行動の理由を理解した。

 

「千尋、頭ぶつけたんだよな? この電灯の真下、ポツポツ血が散らばってんだけど……誰の血?」

 

 スマートフォンに反射するあたしの顔を見て、あれ程の衝撃と痛みがあったのにも関わらず、一切の傷も腫れもないことに今更になって気付く。

 

「な、なんででしょうね。これはあたしのスマホですけど……誰かここで鼻血でも出したんですかね」 

 

 適当にギリギリ起こり得そうな事象を例に挙げる。するとバカ傘がその汚い足で跳ねながら喋り出した。

 

「へ! 俺様はわかったぜ! ぶつかったなんて嘘だろ? 股から血が飛び出して」

「殺す」

「おいバカ傘! 人間だったら完全アウトの発言だから! 言葉喋るならそこは守ってもらわないと」

 

 人間もつくもがみも関係ねーわ!

 初めて会った時とは違う、あたしはもうお前に触れんだよ。

 

 …………

 

 結局、人間の力ではつくもがみにダメージを与えることはできず、甲斐さんの弁慶の泣き所が腫れ上がるだけだった。

 

 

 

「あ痛てて……。あぁ、電話だ。……もしもし? え、また声が?」 

 

 甲斐さんは脛とあたしを交互に見つめながら、不服そうな表情を次第にはっきりさせていく。多少悪いことをしたなと思ったが、管理義務違反ということで、その痛みを素直に受け入れてくれと願う。

 再び結月さんから電話があったようだ。あたしと甲斐さんは、おそらく結月さんも、偶然とは思えない共通点を本日2回の反応から見出した。 

 

「また講義が終わった後だな」

「偶然……なんですかね?」

 

 2限目と3限目の間では、お昼休みの一時間が設けられており、多くの学生が食堂や自宅なりに行き交う時間帯だ。どうせこのまま闇雲に探していては、姿どころか手掛かりすら見つけ出すのは困難だろう。であれば、これをただの偶然と片付けてしまうのは勿体ない。

 あたしは、短い経験と拙い知識を活用し、ある仮説に辿り着いた。

 

「あの、甲斐さん。あたし、何か分かったかもしれないです」

「お、良いじゃないか。自ら考えて推論を提示するなんて、その主体性に感動するよ」

 

 にんまりと気味の悪い笑顔をあたしに向ける。まだ何も言っていないのに褒められては、逆に舐められているのではないかと勘繰ってしまう。

 

「一旦戻るか。外山さんとかにも連絡しといたほうが良さそうだ」

 

 彼らは今日も、キャンパス周辺の街中を捜索しているはずだ。こちらに連絡が来ていない事を考えると、おそらく進展は無いだろう。何かあればすぐ情報交換を行おうとの約束だが、わざわざ部室に戻る必要はない。もうこの人、休みたいだけだよ。

 

 

 

「キャンパス内に、使役者がいる可能性があります。もしくは、無自覚に自分の持ち物がつくもがみ化しているパターンだと」

 

 部室のテーブルに平置きされたスマホには、外山さんの顔が映し出されている。なぜ彼がテレビ電話モードにしてきたのかは神のみぞ知るところだ。

 今日の出来事、それを踏まえたあたしの推論を述べると、外山さんはその根拠を欲しがった。あたしは甲斐さんと目を合わせ、無言で発言権を彼に押し付ける。

 

「講義中には一切声が聞こえなかったみたいなんですよ。何者かが、講義間の移動で外へ出たことで声が聞こえるようになったと考えました」

 

 つくもがみの動きは、人間、さらに言えば学生の動きに呼応している。ただ、使役者だろうが美玲パターンだろうが、つくもがみ化の可逆性を説明できるものではない。

 

「君達の仮説に1つエッセンスを。キャンパス内でのつくもがみの反応は、平日よりも土日祝日に多いですよ」

 

 普通学生なら、休日よりも平日に大学にいるよね……。

 外山さんからの新情報とあたしの仮説を合わせれば、平日よりむしろ休日に大学に居ることが多い学生が怪しいということになる。

 

「うーん。研究室に入り浸る院生とか、土日も活動しているサークルとかかなぁ」

 

 甲斐さんがいくつかの候補を提示する。あたしは正直これ以上考えを広げることが出来ない。ここは、あたしより1年長くここに通う彼に任せたほうが無難だろう。

 

「いや……待てよ」

 

 甲斐さんは虚空を見つめ、瞬きを止める。何かを思い出そうと頭を捻っているんだろう。今、あたしが声を掛けても気が付かないような気がする。それ程集中しているように見えた。

 

「寮だ」

 

 独り言のように囁くだけだったが、周囲の騒音はこの部屋には届いていなかった為、その声はあたしにも聞こえた。

 

「寮……って、キャンパス内にあるんでしたっけ?」

「そう、男子寮だけだけどな。八十人くらいは住んでるはずだぜ」

 

 あたしはすぐに大学のホームページから寮の情報を探す。

 寮の名前は陽明寮。甲斐さんの説明通り、男子のみ入寮が可能であり、部屋は九十室ある。

 ユニットバスとキッチン付きのワンルームとは、普通の賃貸アパートと大差ないじゃん。家賃は……一万七千! ……思ったよりは安くない印象だ。

 

「学生寮の学生ですか。確かに平日だろうが土日だろうがそこに居ますからね。可能性は高そうです」

 

 外山さんの表情はある程度納得したように見える。話が纏まりそうな雰囲気を感じたので、あたしは存在感を出すために、少々しゃしゃり出てみることにした。

 

「外山さんなら大学に言って、寮所属の学生の情報ぐらい得られますよね? 学外でも彼らを捜索すれば、何か分かるかも」

 

 あ、曇った。心なしか眼鏡の角度が鋭くなった気がする。そのくらい言われなくてもやりますよってか。

 

「では、健闘を祈ります」

 

 そのまま電話は切れる。甲斐さんがまたあたしを満足そうに眺めている。

 

「いいねさっきの要求! 主体性があって!」

 

 本当に褒めているのだろうか。そもそも、主体性というのなら貴方より遥かにある気がしますけど。少なくとも今日に限っては。

 

「さて、俺は早速行ってくるよ。ユヅに今までのこと伝えといてくれな」

「え!? あたしも行きますよ!?」

 

 正直、今日の内に寮に出向くとは思わなかったが、あたしはそれを悟られまいとわざと声のボリュームを上げる。

 

「いや、男子寮だぜ? 女子連れてくわけにはいかねーよ」

 

 変なとこに気が回る人である。そんなこと言って、とんでもないつくもがみがいたらどうするのか。

 

「……結月さんが来たら近くまで行きますから、それまで無茶しないでくださいよ」 

「大丈夫だよ。そんないきなりやばいこと起きないって」 

 

 傘を片手に外へ出た甲斐さんの背中は、いつもより頼もしく見えた。それを眺めるあたしは、胸に刺さるこの棘が大きくならないようにと切に願った。

 

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