第22話 老人

 

 二日後、月曜日を迎えたあたし達は、それぞれが講義の無い時間につくもがみの捜索を行うことに決めた。本当は昨日から始めても良かったけど、甲斐さんがあたしの疲労を考慮したのか、一旦お休みとなった。

 

 今日のあたしは、昼前の2限目から時間が空いている。というより、月曜日はラストの5限目まで講義が無いのだ。決して必修の単位でこの歪な時間割を構成しているわけではない。

 

 5限目は「将来を考える〜多様なキャリアとその形成〜」という、1年生の段階で卒業後を考える、とっても有り難い選択講義だ。しかし実際は高圧的な教員が学生に次々と質問し、回答に詰まれば自己肯定感を下げるような物言いをぶつける、息苦しい雰囲気が漂う講義だった。……今日は休んじゃおうかな……まじで行きたくないし。そもそも、キャリアを考える余裕なんて微塵もない。今を生きるのに精一杯だよ。

 

「1限が始まる前と終わった後に、中央通りで声が聞こえたっぽいぞ。その辺探してみるか」

 

 結月さんから連絡を受けた甲斐さんも、この時間は空いているみたいだ。部室に集合したあたし達は、ブルゾンを羽織るのを忘れずに、早速キャンパス内の捜索を開始する。

 結月さんによれば、声はすぐに聞こえなくなったらしい。ただ、やはりいつもとは違う声の消え方のようだ。外山さんが言うようなことが実際に起きていると考えるのが妥当だろう。

 

「木の上から草の根っこまでとにかく探すぞ!」

 

 甲斐さんはやる気満々だが、殆どの捜索をマフ太が行うことになるのは自然の流れだった。飛べるし速いしね。反対にバカ傘は落とし物探しには向いていない。甲斐さんはその身一つで、膝を泥で汚しながら、草の根一本も逃さまいと目を凝らす。

 

「あー駄目だ。何もねぇわ」

「諦めんの早!」

 

 呆れるほど堪え性が無い。一瞬でもひたむきな姿に感化されていたあたしの心を返せ。

 

「なんかさー、ここ最近落とし物も全然無くてさー、もう探す行為自体がきつい、辞めたい」

 

 その事情は今初めて知ったが、そうだとしても今回はつくもがみの反応も声もあるんだから、探す価値はあるはずだ。

 

「も、もうちょっと頑張りましょうよ。実はネズミみたいな小さいつくもがみかもしれないし」

「いいこと思いついたぞ! マフ太がここら一帯で暴れ回れば、びっくりして飛び出してくるんじゃね?」

 

 あーなるほど、良い案かもしれない。ついでに倒せれば尚の事良いしね。でも、それだと働くのはあたし達だけになるけど……。甲斐さんはどうするのか聞こうとしたが、彼はぼっーと虚空を見つめ、直ぐに何かを思い出したように喋りだす。

 

「あー……ごめん腹痛くなってきた。ちょっとトイレ行ってくるから、後よろしくな!」 

 

 腹痛のタイミングが良すぎるな。この人、しばらく帰ってこないかもしれない。わざとらしくお腹をさすりながら、甲斐さんは小走りで校舎内へ消えていった。

 視界から甲斐さんが消失するやいなや、あたしはマフ太に乗り、ゆっくりと上昇する。上空から見渡したほうが、狙いが定めやすいからだ。

 

「とりあえず、端から端まで掃き掃除しちゃおっか!」

 

 マフ太が激しめに動くことで、多少砂埃や落ち葉が舞い上がるかもしれないが、幸い講義中の時間で学生は付近に全く見当たらない。彼らの迷惑になることはないはずだ。

 

「せーのっ」

 

 あたしの掛け声が合図となり、マフ太は地表へ向かって落下する。ややスピードが出過ぎている気がしたが、この勢いをそのまま利用したほうがやりやすいだろう。

 

「……ん?」

 

 ぐんぐんアスファルトが迫ってくる最中、風の抵抗を気にして細めた目に妙な物体が映る。

 

「何あれ? ……白くて良く分からない……」

 

 その純白の塊は、差し込む太陽光のせいで全貌が見えない。でも明らかに異質な雰囲気を漂わせている。もしかしてあれが探してたつくもがみかな?

 残り3秒もあればその謎の物体に到達する頃合いになった所で、それはのそのそと動き出し、向きを変える。

 

「……あ、……マ、マフ太! ストップストップ!」

 

 つくもがみでもなんでも無かった。それは、白衣を着る腰の曲がったご老人だった。向きを変えたことで、視界に杖が映って気が付いた。

 急に止まれと言われたマフ太は、その命令に何ら違いなく急停止した。慣性の法則だろうか、あたしは踏ん張りきれずに投げ出される。

 

「またかよーー!」

 

 一昨日も宙へ投げ出されたというのに。あたしに空はまだ早いのかな……。

 しかし以前とは違い、焦りは無い。ちゃんとあたしは信頼しているからね、マフ太。

 

「ぎゃん!」

 

 こめかみの辺りに重い一撃が入る。衝撃が波のように頭から全身へ伝播し、脳味噌が揺れる。気を失いそうな痛みが、何が起こったのか把握する余裕を打ち消す。空中で勢いを失ったあたしは、そのまま重力に従って自由落下していく。

 視界が霞む中、うっすらとマフ太の姿が見える。一切動いていない。おいこら……駄目でしょう……が……。

 

 

 

 

 

 

 次に目を開けた時に飛び込んできたのは、雲一つないない満天の青空だった。ここで自分が仰向けになっていることに初めて気づく。

 

「フォフォフォ、目覚めたかのぉ」

 

 千年続く民族の長老みたいな口調と声色が、あたしの耳を優しく刺激する。あたしは夢を見ているんだろうか。何処かファンタジーの世界の夢で、さしずめあたしはお姫様かな。いや、勇者とかのほうがいいな。

 あぁ、何だか心地いいなぁ。金木犀の香りもするし……夢で匂いがするって珍しくない?

 

「起きれるかの? 太ももがいい加減痛いんじゃよ」

 

 どうやらこれは夢ではなかったようだ。あたしは、金木犀の香水が印象的な、先程の白衣の老人の太ももに、贅沢にも頭を乗せていたのだ。それに気付いたあたしは黒ひげ危機一髪のように飛び上がる。

 

「わぁ! あ、……す、すいません!」

 

 駄菓子屋にあるようなプラスチック製のベンチに寝そべっていたあたしの横に、髪も真っ白なお婆さんが腰を下ろしてこっちを見つめている。あたしがさっき見間違えたのはこの人だったんだろう。白衣ってことは、教授なのかな? でもかなりお年を召しているけど、定年制はどこへ?

 ベンチに竹の箒がもたれ掛かっている。杖をついていたような気がするけど、それすら見間違えたというのか。

 

「お主が突然空から降ってきてのぅ……」

 

 今気付いたが、何事も無かったかのようにマフ太はあたしの首に巻き付いている。流石に地面に激突する前に助けてくれたんだよね?

 お婆さんには心配をかけてしまったようだ。あたしは改めて謝罪と感謝の言葉を告げる。

 

「そんなのはいいんじゃよ。お主の悩みを話してみぃ」

 

 お婆さんの急な要求に、へぇ? とあたしは戸惑いの声を漏らす。あたし、悩みがあるように見えたのかな? そりゃ無いことはないけど、いきなり見ず知らずの老人に話すほどの深刻な物は無い。

 

「あたしゃあ若人の苦心を取り払いたいんじゃ。生きがいなんじゃ」

 

 生きがいとまで言われたら何も話さない訳にはいかなくなる。仕方ない、直近の出来事と絡めて適当に話そう。

 

「あの、あたしさっきまで探しものをしてたんですけど……。中々見つからなくてどうしようかなと思ってたとこなんです」

「そのジャンパー……あぁ〜落とし物かえ?」

 

 あたし達のサークルについて少し知っている様子だ。

 

「研究とはのう、常識を否定する作業なんじゃ」

 

 ありゃ、これはあたしの質問に答えているのかな?

 

「何度も何度も、常識と照らし合わせて実験を繰り返していくうちに、常識の外に活路を見出すんじゃ」

「真実は、いつだって非常識の中にあるもんじゃぞ」

 

 つまり、探し物も意外な所に有るということなのだろうか、あたしはそう解釈することで自分を納得させる。

 

「探し物、全部見つかるよう願っておるぞ」

「あ、どうも、ありがとうございます……」

 

 お婆さんは満足したのか、箒を杖代わりにしてベンチから立ち上がり、亀のようにゆっくり歩き出す。

 あたしは念のため一礼して、お婆さんとは反対方向へ走っていく。甲斐さんが心配しているかもしれない。ここはキャンパス内でも大分端の方だ。

 

「あ、おーーい! ……ばなさーーん! 実験の準備完了しましたよー!」

 

 背後で大声が聞こえる。お婆さんの研究室の学生か、またはた助手か、とりあえず誰かがお婆さんを呼んでいる。

 名前がよく聞き取れなかった。ばな……橘とかかな? まあ、そこまで気になることではない。

 

「不思議な人だったな……。教授って変な人多いよね……」

 

 

 ……全部? あれ、何で複数あるって知ってたんだろう。いや、サークルとして、落とし物全部が拾えるといいねってことだろう。

 真実は非常識……今回の件も、そうなのだろうか。あたしは謎の老人の言葉を一応心に留めておくことにした。

 

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