第18話 スーツの2人組
着信音が部屋に響く。貴重な土曜にも関わらず、昼まで惰眠をむさぼっていたあたしは、枕元に置いたスマホに手を伸ばす。
画面に写った発信元を見て、あたしの弛んだ瞼は一気に開く。
「も、もしもし、お、お父さん……?」
およそ2ヶ月ぶりの会話になる。元々そんなに話す方ではないにしろ、やっぱり緊張するものだ。そもそも何の用で連絡してきたのか、あたしは少し不安だった。
「おうお前、何で休みに帰ってこねぇんだ」
休みというのは恐らく、今月頭に過ぎ去ったゴールデンウィークのことだろう。確かに所謂帰省はしなかったけど、お盆ときでいいかなと、流石に5月に帰ってくるのは早くないかと思ってたからだ。
「ちょ、ちょっと忙しくて……お盆には帰るから! ね!」
「まさかお前、もうチャラチャラしてんじゃねーだろうな」
お父さんの言うチャラチャラとは果たして何処からどこまでを含んでいるのか、わざわざ説明を求めるのは面倒だったので、適当な回答で乗り切る。
「真面目だよ! 何も心配されるようなことはしてないから!」
「最初からチャラチャラすると後が大変だ。チャラチャラするのは2年生からにしろ」
どこで仕入れた知識なのか、参考になりそうでならないアドバイスを貰った。
「……ありがとうね、電話くれて」
「あぁ? 何だよ珍しく」
実家にいた頃は、あたしに対してそんなに関心が無さそうな印象だったけど、離れた今は、意外と心配してくれているのかなとポジティブに捉える。
ふと、サークルことを話そうと思ったが、何と伝えれば良いのか分からなくなってしまった。今のお父さんに、落とし物を拾うサークルなんだよと伝えたとしても、得体が知れず、怪しい集団なのではと疑念を抱かせてしまう気がした。かといって、まったくの嘘をつく意味もない。
あたしが口籠ったせいで、しばしの間沈黙が流れた。あたしはそれに耐えられず、何かお父さんに言わなければいけないことを、頭の中で必死に探し回る。
「ま、マフラー……お兄ちゃんがくれたマフラー、大事に使ってるよ、あたし」
何故これを口走ったのか、自分でもよく分からない。防寒具の使用報告なんて、初夏にするもんじゃない。それに、お父さんに対して、お兄ちゃん絡みのことを話すのは、ここ最近は避けていたことだったのだ。
「……そうか」
あたしの耳元に届いたのは、その一言だけだった。正直、お父さんがどう考えているのか、あたしにはさっぱり分からない。お兄ちゃんがいなくなって、悲しいのか、怒っているのかすら分からないのだ。
「健康だけは気をつけろよ。じゃあ」
あたしはうん、と返事をし、通話を切った。
何か煮えきらない感情が、心の中で行き場を失くしている。やっぱまずかったかな、お兄ちゃんの名前出すの……。
カーテンの隙間から朝日が鋭く差し込む。それを見ただけで、今日が割れんばかりの晴天だと察した。
「……たまには、散歩とかしてみようかな」
もちろん、暑くてもマフラーは忘れない。あたしは身支度を手短に済ませ、顔の不手際をマスクで覆い隠し、お天道様の下へ後ろめたく繰り出した。
ちょうど12時を回ったとこだろうか、太陽は働き盛りだと言わんばかりに遠慮なく光を注ぎ込む。あたしはあまり眩しさに強い方ではなく、目を細めて眼球を守る。かと言ってずっとその状態だと苦しいので、なるべく日陰を歩くように意識した。
散歩と言っても、何の目的も無しに外に出たわけではない。起きてから何も食べてないので、コンビニでも行ってパンでも買って行こうかと思ったのだ。ただ、普通に近場で済ませるのは面白くなかったので、こうして街を練り歩きながら、いい塩梅でコンビニに立ち寄ろうと考えているわけだ。
「もうここがどこか分かんなくなっちゃった」
わざとらしく周囲を見渡し、独り言をマフ太に聞かせる。ちなみに、マフラーを首元に巻いていても、何故か暑さは感じない。もう立派なつくもがみになってしまった証拠なのだろうか、本来の機能が失われてしまっている。
十分ぐらい歩いただけで、見慣れない風景が広がっている。余程これまで家と大学の往復しかしていなかったのだと呆れる。
大きな道路に出た。片側二車線はあるので、きっと国道なんだろう。道を挟んで正面にコンビニがある。少し歩かないと横断歩道に辿り着かないが、ここで下手に見逃すと再びコンビニに出会えない気がする。あたしはここらで手を打つことにした。
「おい、……おいってば」
自動車のエンジン音や風を切る走行音で満たされている中、その声があたしに向けられているのか正直な所自信がなかった。一応マスクを顎に掛け、恐る恐る振り向きながら、はい? と、疑念たっぷりの返事をした。
そこには、スーツを着ているものの、どこか顔は幼く、身長はあたしと同じ位の男の子が、じっとあたしを睨んで立っていた。
「お前、おしゃれなマフラー持ってんじゃねーか」
「え? ど、どうも……」
急に話しかけてきて突然身なりを褒めてくる男に碌なやつはいない。あたしは誰から教えられたわけでもないが、そう強く信じている。
あれ? ……この人、なんでマフラーのこと知ってるの?
「目は口ほどに物を言う……。まさに今のお前だ」
「こんな暑いのにマフラーしてるなんておかしいよなぁ、使役者さんよ」
その語気から、この男は決して、あたしに対してポジティブな感情は抱いていないのだと悟る。一切事情がわからないけど、あたしは深く考えるまでもなく、この場を乗り切るためにマフ太に指示を出そうとした。
「遅えよ」
その男が両手に持っているものを、あたしは今初めて認識する。それは靴、しかしスニーカの類ではない。
靴の裏に刃物が付いている……つまりスケート靴ってこと?
男は靴のブレード(刃)をアスファルトに叩きつける。この時点で、あたしはマフ太を未だ動かすことができていない。
肌をひんやりとした空気が撫でる。瞬間、男とあたしの間に真っ白な氷の面が伸びていく。
「う、うわ! なに!?」
ただのアスファルトだったのに、気づけば歩道がスケートリンクのように凍っている。突然の薄氷にあたしは焦り、不用意に動いたのが間違いだった。あっという間に足を滑らせ、勢い良くお尻からすっ転ぶ。
「あ痛!」
「確定だな。見えねぇ奴はこれを氷と認識しねぇ。だから滑らねぇんだよ。無様に転んだてめぇは、使役者に間違いねぇ!」
そんなの知らないし! 何!? これもつくもがみの拡張仕様なの!?
こんな時にあたしは、この間の飲み会で甲斐さんが言っていた、
「実力のあるつくもがみ程、原型を留めがちだ。変形する必要がないってことだからな」
という言葉を思い出す。こいつのスケート靴……まさにそうじゃん。
「こんなもんじゃねぇぞ」
男がそう告げると、尻餅をついた辺りの氷が、バキバキと盛り上がってきた。細かい角氷が幾層にも重なり、あたしの体をあれよあれよと空へ近づけていく。
「や、ヤバ! 怖い怖い!!」
地面が遠くなっていく。次滑ったら、間違いなく落ちて下に叩きつけられる。必死にバランスを取って氷から滑り落ちないようにするしか、今のあたしには出来なかった。
「そ、そうだ……マフ太! ……なんて言えばいいの!?」
この状況を打開するのに、何と指示していいかさっぱりわからない。そもそも冷静に物事を考えられない。
そんなあたしをよそに、氷の勢いは留まることを知らない。側の雑居ビルより高い位置に目線が到達したとき、あたしはついに体が宙へ投げ出される。
「い、嫌! ま、マフ太! あたしを、落とさないで!」
何でもいいから……助けて!! パニックになったあたしの頭では、それしか考えられなかった。
体が左右にぶらんぶらんと揺れる。マフ太はあたしの腹回りに巻き付きながら、ビルの屋上の柵に引っ掛かっていた。あ、危なかった……まじで死んだと思った……。
マフ太はひょいとあたしの体を持ち上げて、柵の内側へ連れて行ってくれた。
「あ、ありがとうーー!! マフ太ァァーー!」
ぎゅっとマフ太を抱き寄せる。腰が抜けて立てず、膝をガクガク震わせながら、あたしは半泣きで叫ぶ。そんなあたしを見下ろすように、男は飄々と屋上ヘ氷を伸ばしてやってきた。
「鬱大でつくもがみ使って好き放題やってんの、お前だろ」
質問の意味がわからない。好き放題って何?
「あ、あなたは、何者なんですか……あたしは、責められるようなことなんてしてません!」
こいつは何かを勘違いしている可能性がある。いやでも、もしその勘違いが、甲斐さんや結月さんなら、結局見過ごすわけにはいかない。
すると突然、ビルへ繋がる扉が、ギィ……と音を立てて開く。
「ハァハァ……先走っての単独行動は危険ですよ……」
またもスーツの男、眼鏡を掛けているからか、こっちの奴よりは大人っぽい。どうもビルの階段を登ってきたのか、呼吸が荒い。
「こいつですよ、使役者。外山さんより早く見つけました。ボーナスくださいよ」
「鬱大で僕のコンパスが反応したのは、複数体でした。まだ他にいるかもしれませんよ。油断は禁物です」
コンパス? 複数? 言葉の意味はわからないが、この眼鏡の男の方が話を聞いてくれそうだ。
「あ、あたしは、何も悪いことなんてしてません!」
眼鏡の男はあたしの声に反応したのか、こちらを見て、丁寧にお辞儀をする。あたしにはそれがむしろ不気味に見えてしまう。
「申し遅れました。わたくし、環境省の外山と申します。誠に申し訳ないのですが、未登録の使役者は拘束させて頂く手筈となっておりますので」
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