第17話 呼び名
「えー! 佐々見さん、つくもがみのこと知ってるんですか?」
「心の底から信じちゃいないけどな。去年色々あったしな……だよな? 神代さん」
頷く神代さんの手は常に食べ物に伸びている。たこわさに枝豆、さらにチヂミと休むことなく喰らい続けている。美味しいのかは表情からは読み取れない。
しかし去年に何があったというのか……。見えないものを、もしかしたら存在するかもしれないと思わせたってことは、佐々見さん結構危ない目にあったのかもね。……今度話してもらおう。
「おい、よかったな甲斐。後輩が入ってな」
「んあぁ? あぁん」
甲斐さんがビールに口を付けて早1時間、あたし達が意外にも盛り上がっている中、この男はずっとふわふわしている。これが酔っているってこと?
そんな感じの、ずっと気の抜けた顔をした男は、お猪口? を掲げながら呂律の怪しい口を開く。
「ユヅは、相澤さんには敬語なんだな。後輩なんだからタメ口でいいんじゃね?」
それはちょっとあたしも気になっていたことだ。あたしが敬語なのは当然だけど、神代さんは先輩なんだから、丁寧でいる必要はなくてもいいはずだ。
「そ、それは……何というか……」
歯切れが悪い。すると佐々見さんが、
「まだ心を開ききってないんだろ? 甲斐にはもう少し砕けてるもんな」
と助け舟を出す。そうか、あたしは甲斐さんに負けているんだ。過ごした月日が段違いとはいえ、悔しい気持ちは誤魔化せない。
「神代さん! あたしは、タメ口がいいです! でも焦らないでいいです! 待ってるんで!」
神代さんの手を握り、精一杯気持ちを伝える。何か積極的だなあたし、つられて酔っているんだろうか。
「ノンアルだよ、神に誓って」
佐々見さんが甲斐さんにそう告げる。あたしの背後で酔っ払いデビューが、どんなジェスチャーをしたのか、想像に難くない。
「そうだ。お前ら、呼び方変えてみなよ」
佐々見さんの提案に、あたしはドキッとする。まだ名字呼びのあたしが、一番変化を強いられるからだ。でも、確かにお互いの距離を縮めるには効果的だろうと思う。
「ゆ、結月さん……」
自然と目線が下を向く。ほんのり顔が、熱くなっていくのが分かる。うぅ……恥ずかしいかも……。
「では私は……千尋ちゃん、というのはどうでしょうか」
「は、はい! 嬉しいです!」
お互いの呼び方を変えただけなのに、それだけで今よりも親しくなれた気がする。
「女子だけで盛り上がるなぁ〜。俺は……ち、ちひ……」
一番恥ずかしがっている人が後ろにいた。お酒の力を借りてこのざまでは、先が思いやられる。
「無理しなくていいですよ、甲斐さん」
「あぁ! 変わってねーじゃん」
流石に男性の名前呼びはハードルが高いよ。そう思うあたしは変わり者だろうか。まあ、結月さんも甲斐君呼びだから……ね。
「仕方ねぇ、バカ傘にも千尋って呼んでもらおう」
「いやちょっとそれは……ちんちくりんのままでいいです……」
「千尋ちゃん、甲斐君みたいに、つくもがみにあだ名を付けたらどうでしょうか」
あぁ……確かに何か呼び方が有ったほうがいいよね。
バカマフラー……は即刻却下、マフちゃん、マフ君……うーん何がいいんだろう。
「千尋、兄貴の名前は?」
「え? えぇと、涼太です」
あ、何か凄いしっくりくるネーミングが頭に降りてきた。これがいいな。
「マフ太、とかどうですかね?」
「いいと思います」
「いいね! 俺も優太だし!」
ヤバ、そこまで考えてなかった。まあ今さら変えるのも無粋というものだ。マフ太、マフ太、うん、いい!
「マフ太も喜んでるぞ」
甲斐さんの言う通り、いつの間にかマフ太はあたし達の頭の上で、クラゲのようにユラユラと漂っている。
「よろしくね! マフ太!」
周りの客には変な人だと思われただろう。でもいいんだ。あたしは、これからマフ太との関係も強くしていかなきゃいけないんだから。
グイッと、目の前のグラスを一気に空にする。あたしが二十歳になったら、今度こそ皆とお酒を飲みたい。そう心から思えるほど、あたしは彼らと過ごすこれからのキャンパスライフを楽しみにしているんだ。
「改めて……甲斐さん、結月さん、これから宜しくお願いします!」
今日の歓迎会を通して、本当の意味で彼らの仲間になれたんじゃないかと思う。二人もそう思ってくれている……よね?
お酒は飲んでいないのに、体がポカポカと暖かい。せめて今日寝るまでの間は、この感覚を失いたくないなと、そう願った。
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